七 見上げてごらん星の花を

1/1

2475人が本棚に入れています
本棚に追加
/35ページ

七 見上げてごらん星の花を

「源様。お部屋の障子を直してみました」 「ここか?ほお」 居間の障子。破れた箇所。そこには多少、歪な和紙が貼られていた。 「お前がこの前、干しておった紙か」 「ええ。ひとまず穴は塞がりましたよね」 「おお。十分じゃ。しかし……」 彼はちょっと首を捻った。 「ど、どうしました?」 「外が見えない……少々、寂しい」 「え」 ……そうか。ここからお外を見ていたのね。 「では。源様。夏の間は、ここだけ開けておきますか?秋になったら寒いので、閉じると良いかと」 「おう!そうしてたもれ」 まだ補修用の和紙はある。文子は開けて欲しい箇所を源之丞に訊ねた。 「源様。どこ?どこを開けますか」 「……そうじゃな」 囲炉裏の定位置。彼は思案していた。文子は思いついた。 「源様。寝転んだ時に合わせましょうか。いつものように、ほら、寝てみて」 「なるほど。こう、こうだな」 言われた通り。寝そべった源之丞。そこから障子を見た。文子は開ける箇所を聞いていた。 「ここ?それともこっち?」 「もっと右じゃ……その上。あ、戻れ。違う違う」 「ここ?この枠?」 「うーん……あ、そこじゃ!そこだ」 「ここね?はい。わかりました。開けます」 文子。せっかく直した障子を小刀ですっと切った。そして源之丞のお望み通り、開けた。 「どうですか?」 「はっは。最高じゃ。よし。外が見える。うん。気分が良い」 「よかった」 微笑んだ文子。台所に行ってしまった。源之丞。実はすごく嬉しかった。 ……母様(かかさま)であったら。絶対叱られておったな。 神主の息子としてこれでも厳しく育てられた源之丞。文子の臨機応変に対応してくれる姿勢に好感を持っていた。 金持ち娘のくせに。なんでも仕事をするし。こんなボロの神社で楽しそうに暮らしている。源之丞は不思議だった。 ……若い娘であれば。綺麗な着物や人がいる町暮らしが良いであろうに。なぜこんな神社が楽しいのであろうか。 全く解せない源之丞。起き上がり文子がくれたイチジクをかじった。 森で見つけたと思われる果実。虫がついていない綺麗なもの。また一番美味しおうものを自分にくれたと源之丞は知った。 ……なぜだ?わからんぞ。 人嫌いで爺としか付き合いのない源之丞。文子の優しさに戸惑っていた。 この夜。夕食時。文子は尋ねて来た。 「源様。他の部屋の障子も直して良いでしょうか」 「構わん。好きにせい」 「あの……源様の部屋はどうしましょうか」 入ったことがない部屋。しかし、廊下を通るとそれはビリビリになっていた。 綺麗好きの文子。なんとかしたい状況だった。 「良い。あのままで」 「源様。穴を開けるとしても。ビリビリは良くありません。ここは神社ですもの」 「うーむ」 「では。今、開いている部分はそのままにして。綺麗にしても良いですか」 「……」 ……生き生きしておる。楽しいのだろうな。 実はどうでも良い源之丞。文子のやる気を見て、これを許可した。 「お部屋……何もない」 彼が森へ行った午前中。文子は障子の修理に取り掛かった。木枠の入っている紙は古く、触れば落ちるようであった。この状態。全部張り替えである。 ……でも、源様のは、開ける箇所があるから。 本当は。全面和紙を貼り、開ける部分だけ切り抜くのが簡単である。しかし。それまでの和紙はない。文子はまた考えた。 「そうだ!私の部屋の障子と交換すれば」 文子の部屋の障子。当初から破れが少なく比較的新しかった。しかも自分ですでに補修済みである 文子はこれを源之丞の部屋の障子戸と交換することにした。 「そして。源様のいう通りに、穴を開けてっと」 文子は源之丞の部屋の障子と同じ箇所を、どんどん切り抜いて行った。 「どうかな……よし!これで」 モザイクのように空いた穴。しかし源之丞はこうして欲しいという注文。文子はご満悦で彼の部屋に戸をはめてみた。 「……あ。ここにこれが来ちゃったか、でも、いいか」 自分で作った再生和紙。悪戯でお花を入れた部分を自室に使用していた文子。うっかりこれが源之丞の部屋用になってしまった。しかし。気にしないと思った。 ……あんなにビリビリで平気だったんですもの。これくらいは気にしないはずよ。 それよりも。今度はほとんど破れている障子が文子の部屋になってしまった。彼女は慌ててまた再生和紙を作っていた。 そして夕食。森で仕事をしてきた源之丞。食べながらうつらうつらしていた。 「源様。お面をつけたままですよ」 「あ?そうであった……道理で口に入らぬと思った」 「私が外しますね。失礼します」 腕を上げるのもだるそうな源之丞。背中に回った文子。狐面を外してやった。 「さあ。早く食べて寝ましょう」 「おお……くそ!眠い」 そう言って慌てて食べた源之丞。隣の自室に転がるように入っていった。少し寂しい文子であったが、障子紙の張り替えの疲れが出て、彼女もまたすぐに寝た。 翌朝。源之丞がよろよろと起きてきた。 「おはようございます」 「ふわ……飯」 「はい」 今朝は草粥。塩仕立て。源之丞はむしゃむしゃ食べていた。 ……障子のこと、何にも言わないわ。まあ、いいか。 せっかくの努力。何か感想が欲しい。しかし、彼は忙しなく、昼飯の握り飯を持って森に行ってしまった。 居候の身。彼にお褒めの言葉が欲しいわけではないが、二人暮らしゆえの会話への思い。これを胸に沈めて文子は家事をしていた。 その夕刻。源之丞はまた眠うそうに座っているものやっとだった。 「源様。森で何をしているのですか」 心配の声の文子。しかし源之丞、冷たく返した。 「……うるさい。俺の仕事に口だすな」 「すいません。そういうつもりじゃ」 この夜も崩れるように脱力した源之丞。理由を教えてもらえない文子。寂しい夜の布団で眠った。 翌朝。晴れの天気。源之丞、文子を山に誘った。 「どこに行くんですか」 「こっちだ、こっち」 またもや道しるべの木の杭を打ってある山道。文子はここに進んだ。やがてそこには洞穴があった。 「ここ?寒いんですけど」 「入るぞ。滑るからな」 いつの間にか。そばにあった松明に火を入れた源之丞。文子を洞穴に誘った。ここは洞穴というよりも、ぽっかり空いた岩穴。だが、石の階段があった。頭を下げなくて良いほどの高さ。源は指した。 「ここは……おそらく古墳かも知れぬ。しかし、盗掘にあったのか。俺の先祖が発見したときは、もう何もなかった」 「でも。あれは何?」 「開けてみよ」 藁で囲まれたもの。文子は恐る恐るそれをめくった。 「きゃあ」 「何をそんなに驚くのだ」 「だって。氷が」 「……冬の間に俺が入れておいた。それがいつだったか、忘れたがな」 源之丞は文子を見た。 「ここは貯蔵庫だ。お前も好きに使え」 「いいんですか?」 冷蔵庫が欲しかった文子。彼はうなづいた。 「ああ。実はこの氷室(ひむろ)のことを忘れておったのじゃ」 「忘れてた……」 「ああ。忘れておった。しかしのう。この辺に雷が落ちたのじゃ。それで気がついた」 「そう、ですか」 ……私のために思い出してわけではないのね。 ちょっと期待した文子。嬉しかったが、寂しかった。そんな気持ちを知らず彼は説明をした。 「ここは。なぜか父様(ととさま)が絶対蓋をするなと申していた」 「多分。ガスが発生するのを恐れたのですね。開けておけば、空気が少しは循環するので」 理由を察知した文子。源之丞は続けた。 「それと。必ずこの松明を持って入るようにと申しておった」 「そうですね。ガスだと燃えたり、火が消えるので。お父様はガスの発見と防止のために工夫してたのね」 ……娘御。なぜわかるのだ? 文子の聡さ。源之丞、目を丸くした。しかし、面にてこれを抑えた。 真夏でもこんなに冷やすことができる保管所。これで森の幸を加工し、日持ちさせることができる。文子はこれか他の仕事に弾みをつけた。 「源様。ありがとうございました」 「あ。ああ」 「あの氷室があれば。文子の仕事の幅が増えます」 「そうか」 本当に雷の時に思い出したついでの話。あんまり喜ぶ文子。源之丞、複雑だった。 ……お前の方が、俺に色々してくれているのに。こんなことで楽しいのか。 帰り道の山道。ふと文子が言い出した。 「ところで。どうして源様は毎日、そんなにお疲れでしたの?」 「ああ。あの氷室の前にな。雷で倒れた木などが塞いでおったのじゃ。それをするのに骨が折れた」 「まあ。そんなに」 気にしている様子であったが文子は神社まで源之丞と帰ってきた。 二人きり夕食後、源之丞が狐面を装着しぽつりと話だした。 「あのな。お前が直した障子。(くず)が入っておるぞ」 「葛?」 「こっちだ。こっち」 源之丞。初めて自分で彼女を部屋に招き入れた。何もない万年床の男の部屋。その部屋の障子は月明かりを映していた。空いてる箇所からは夏の風と、庭の景色が見えていた。 「どこですか」 「ん」 源之丞は指した場所。そこは文子が悪戯でいれたお花入りの箇所だった。 「これは和紙にお花を混ぜたんです。ごめんなさい。ここは明日外しますね」 「花?……花か……なぜ入れた」 「それは、その。部屋でも花が見えるかと思って」 押し黙った源之丞。文子はまずいと思った。 「待って!今、小刀で切りますので」 「違う。そうか。花か……」 彼はゴロンと布団に寝そべった。そして肘をつき、障子を見た。 「ここからこう見るとな。穴から月と星が見える……そして庭の草が揺れておるのが見える」 「はい」 「でも花はなかったから……それで良い」 「源様」 彼はそう言って仰向けになった。スースーと寝息が聞こえてきた。 ……寝ちゃったのね。お面を外さないと苦しいわよね。 文子はそっと狐の面を外した。そこにはぐっすり寝ている若い男の顔があった。本当によく寝ていた。 凛々しい眉。すっとした鼻筋。あちこちの怪我の跡。髭の下の赤い肌。その口元は結ばれ、静かに眠っていた。 文子は狐面をそっと壁にかけた。彼にも布団をかけ、ついでに部屋にあった洗濯物らしきものを手に取った。そして静かに戸を閉めた。 「おやすみなさいませ」 「スースー……」 月明かり、夏の虫の音の世界は静かで賑やかだった。涼しい山の風、土の香り。夜の部屋の文子、自室の障子の戸を見た。 手製のシワシワの障子紙。そこにも花が飾ってあった。 これを喜んでくれた源之丞を思い、静かに一日を終えた。 『見上げてごらん、星の花を』完
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2475人が本棚に入れています
本棚に追加