六 小さき参拝者

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「なんだ?お前、食べてないのか」 「いいえ?いいえ」 「お前……あ!」 ここで源之丞。夜の所蔵庫を蝋燭を手に確認した。確かに米が少なかった。 「そうか。最近は肉があまり取れぬで、米がないと爺が言っていたな」 「源様。大丈夫ですよ。この品で、なんとかお米が貰えますよ」 ……この娘。俺の分しかないから。もしかして食べてなかったのか。 自分で作っておきながら。口にしてなかった娘。確かに痩せていた。源之丞は悔しさで拳を作った。その気持ちを知らず、文子は彼を励ました。 「源様。明日、私、清吉さんと村に行ってきます。そんなに心配しないで」 「俺はもう寝る!朝飯は要らぬ!」 怒って寝てしまった彼。文子は傷つけてしまったと思った。でも、明日のため、早く寝た。 翌朝。売るための品。カゴに入れた文子はよいしょと背負った。朝霧の神社の境内。空気が冷たい夏の朝だった。そこに彼が立っていた。 「おはようございます。握り飯は置いてあるので。食べてくださいね」 「……もう食った。それを持てば良いのか」 「え。でも」 狐面の彼。奪うように荷物を背負った。文子は彼を見上げた。 「源様。これから人に会うかもしれないですよ?だから、私が参ります」 しかし。彼は返事をせず黙って境内の階段を降り始めた。文子はその背を追った。 「旦那様。あの」 「お前は嘘つきだ」 「え」 源之丞はぽつりと話し出した。 「腹が減っているのにそれを俺に言わない。それは俺が嫌いだからだろう」 「違います?そうではありません」 「ではなぜ言わぬのだ」 寂しそうな背。文子は静かに語った。 「だって。私は押しかけでこうしていさせていただいて。源様のために何もしてないんですもの」 「……そうだな」 「だから。お役に立ちたいんです」 聞いていた源之丞。突然、階段に止まった。 「では。これが売れたら、お前は飯を食うのか」 やはり心配していた源之丞。文子は彼の気持ちに胸が熱くなり彼の着物の袖を掴んだ。 「源様。文子はちゃんと食べています」 すると彼は文子をふわと抱きしめた。 「また嘘を申した……お前は会った時よりも身が細い。俺はお前の腹の音など聞きとうない」 彼女の耳元に唸るような声。彼の胸の中、文子は目を瞑った。 「ごめんなさい。心配をかけて。でも、私。本当にそれを売ってみたいんです」 「……」 「源様。これは私の仕事です。やってみたいんです」 ……こいつは仕事を探しておった。そうか。なら、仕方あるまい。 「わかった、許そう」 「はい」 「だがな」 彼はまだぎゅっ抱きしめた。 「帰って来れるな?神社はそこだぞ?」 優しく囁く源之丞。文子は優しさに溺れそうになった。 「はい。帰れます」 「……では。参るか」 どんどん降る神社の階段。やがて村に降りてきた。二人が歩く様子。田んぼにいた村人達が物珍しそうに振り返っていた。源之丞はここまで送ってくれた。 この日、清吉と文子は村の市場にこれを売りに出かけた。月に一度の集まりの市場。駅前にてそれぞれが勝手に売り始めてのがきっかけの、勝手市(かっていち)というものだった。 「すごい活気?野菜や、家具まで」 「えええ。わしはいつもあの角でやっておるんですよ」 暗黙の場所があるといい、清吉と文子はその定位置に陣取った。そして早速にを広げた。しかし、少々で遅れた感もあり、今回はなかなか客が来てくれなかった。 「どうしましょう。もっと声を掛けましょうか」 「そうですね。今回は、みんな規模が大きいようですな」 そこに。例の少年が顔を出した。 「姉さん。売れないのかい」 「ええ。困っているの」 「ふーん……」 すると少年は大きな声を出した。 「うわ?美味そうだな。それに、こんなの見た事ないや!」 周囲に聞こえるように話す少年。文子の商品を紹介し出した。 「俺の母さんが、これで元気になったんだ。これは効くよ。それにここにしか売ってない上物だよ!」 「そんなにか?じゃ、一つ買ってみるか」 「私もください」 「俺も!」 たくさんの人だかり。ここで商品は飛ぶように売れた。特に薬草は喜ばれた。 客から予約注文までもらった二人。早めに店じまいをした。そして売れたお金でお米などを買った。 「やった!こんなに売れるなんて」 「……私の野菜も売れましたが。文子さんの商品の評判が気になりますね」 ホクホク顔の帰り道。そこに少年がピョコと飛び出してきた。 「あ。あの時の。ありがとうね。ええと……」 飴を買った文子。少年にあげた。 「お駄賃よ。ありがとうね」 「へへ。いいんだ。母ちゃんが世話になったし」 「坊主……お前は石川さんちの子か」 米を背負う清吉に、少年はああとうなづいた。 「俺。伝助(でんすけ)って言うんだ。姉さんは?」 正体を知られると面倒。清吉は言葉を選んだ。 「……伝助よ。この方は文子さんだ。あの神社で、薬草の勉強をしているんだ」 「へえ?あの狐と一緒に住んでいるの」 「そうよ」 「ふーん」 村人が嫌う源之丞。近づくなと教えられた伝助は、目の前の清らかで優しい文子が彼と一緒とは、まだ信じられなかった。 そんな三人の夕暮れの道。町外れ田舎の土の香りの風。虫の音がうるさい夏の田んぼが大海原のように揺れていた。その一本道の先、清吉は微笑んだ。 「さて、お出ましだ。よほど心配だったのですな」 「源様?迎えに来てくれたんですか」 カンカンと一本下駄で走ってきた彼。まっすぐ文子を見ていた。 「お前はすぐ迷子になるのでな」 「ほほほ。これは大変じゃ」 溺愛振りに清吉は微笑んだ。文子は恥ずかしそうに誤魔化した。 「それよりも源様。これを見てください?お米がこんなに買えましたよ」 「おお?」 驚く源之丞を近くで伝助が見ていた。清吉は米をよいしょと道におろした。 「清吉の分は?」 「うちの分はわしが持っております。それは文子さんが売った分じゃ」 「あれが……米になったのか」 しみじみ話す源之丞。よいしょと米を担いだ。 「帰るぞ。清吉、世話になったな」 急かす源之丞。文子は慌てて挨拶をした。 「では。今日はありがとうございました。伝助君も、気をつけてね」 「ああ」 「……姉さん!飴、ありがとう」 源之丞と文子。神社まで歩いて帰っていた。 「しかし。こんなに米になるとは」 「だって。あの李、美味しいですもの。そうだ!今度、山椒の木があれば教えてくださいね。他には、そうだな。百合の花も咲いてないかな」 「……」 商品のアイディアが浮かぶ文子。ぐるぐる考えていた。 「あとは、また竹を切らないと。器がないもの」 気がつくと。階段の途中で源之丞が振り返っていた。怒っている様子だった。 「どうしたんですか」 「……ふん!」 やはり怒って階段を進む彼。その背を文子は見ていた。 ……そうか。心配していたんだわ。 自分のことばかり考えていた文子。彼に悪いことをしたことに気がついた。 迎えに来てくれた彼。その広い背を見つめていた。 「源様」 「なんだ」 「ありがとうございます」 「ふん。そんな礼は要らぬ。勝手にすれば良い」 ……おへそが曲がってしまったわ?どうしよう。 カンカンと登っていく様。文子は必死に階段を追いかけた。 「待って。源様!……あれ、いない?」 登り上がった境内。しかし、源之丞が消えていた。 「源様!どこですか、どこ?」 僅かな光の母屋。文子はそこに急いだ。すると暗闇から手が伸び、彼女を背後から抱き留めた。 「ひや」 「……俺がこんなに心配しておったのに。お前はなぜそんなに楽しいのだ」 「だって、お米を」 「そんなに早く出て行きたいのか、ここを」 苦しそうな声。耳元の切ない思い。文子は目を瞑った。 「……いいえ。そうではありません」 「ではなぜ?」 「一緒に。一緒に食べたいからですよ」 「一緒に」 闇に紛れて抱き合う二人。互いの鼓動が聞こえていた。 「そうです。だって、美味しいですものね」 「……今宵はもう、俺が作った。卵を入れた」 そう言って彼は文子を解いた。そんな二人は手を繋いで母屋に向かった。 ……どうして。こんなに優しいのかしら。本当に恩を返そうとしてるだけなのかな。それとも。 狐の面で見えぬ顔の彼、その彼に抱かずにはいられない思い。文子は必死に初恋を胸に押し沈めてていた。 夏の夜風、森の匂い。二人の夏は始まったばかりであった。 「小さき参拝者」完
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