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「なんだ?お前、食べてないのか」
「いいえ?いいえ」
「お前……あ!」
ここで源之丞。夜の所蔵庫を蝋燭を手に確認した。確かに米が少なかった。
「そうか。最近は肉があまり取れぬで、米がないと爺が言っていたな」
「源様。大丈夫ですよ。この品で、なんとかお米が貰えますよ」
……この娘。俺の分しかないから。もしかして食べてなかったのか。
自分で作っておきながら。口にしてなかった娘。確かに痩せていた。源之丞は悔しさで拳を作った。その気持ちを知らず、文子は彼を励ました。
「源様。明日、私、清吉さんと村に行ってきます。そんなに心配しないで」
「俺はもう寝る!朝飯は要らぬ!」
怒って寝てしまった彼。文子は傷つけてしまったと思った。でも、明日のため、早く寝た。
翌朝。売るための品。カゴに入れた文子はよいしょと背負った。朝霧の神社の境内。空気が冷たい夏の朝だった。そこに彼が立っていた。
「おはようございます。握り飯は置いてあるので。食べてくださいね」
「……もう食った。それを持てば良いのか」
「え。でも」
狐面の彼。奪うように荷物を背負った。文子は彼を見上げた。
「源様。これから人に会うかもしれないですよ?だから、私が参ります」
しかし。彼は返事をせず黙って境内の階段を降り始めた。文子はその背を追った。
「旦那様。あの」
「お前は嘘つきだ」
「え」
源之丞はぽつりと話し出した。
「腹が減っているのにそれを俺に言わない。それは俺が嫌いだからだろう」
「違います?そうではありません」
「ではなぜ言わぬのだ」
寂しそうな背。文子は静かに語った。
「だって。私は押しかけでこうしていさせていただいて。源様のために何もしてないんですもの」
「……そうだな」
「だから。お役に立ちたいんです」
聞いていた源之丞。突然、階段に止まった。
「では。これが売れたら、お前は飯を食うのか」
やはり心配していた源之丞。文子は彼の気持ちに胸が熱くなり彼の着物の袖を掴んだ。
「源様。文子はちゃんと食べています」
すると彼は文子をふわと抱きしめた。
「また嘘を申した……お前は会った時よりも身が細い。俺はお前の腹の音など聞きとうない」
彼女の耳元に唸るような声。彼の胸の中、文子は目を瞑った。
「ごめんなさい。心配をかけて。でも、私。本当にそれを売ってみたいんです」
「……」
「源様。これは私の仕事です。やってみたいんです」
……こいつは仕事を探しておった。そうか。なら、仕方あるまい。
「わかった、許そう」
「はい」
「だがな」
彼はまだぎゅっ抱きしめた。
「帰って来れるな?神社はそこだぞ?」
優しく囁く源之丞。文子は優しさに溺れそうになった。
「はい。帰れます」
「……では。参るか」
どんどん降る神社の階段。やがて村に降りてきた。二人が歩く様子。田んぼにいた村人達が物珍しそうに振り返っていた。源之丞はここまで送ってくれた。
この日、清吉と文子は村の市場にこれを売りに出かけた。月に一度の集まりの市場。駅前にてそれぞれが勝手に売り始めてのがきっかけの、勝手市というものだった。
「すごい活気?野菜や、家具まで」
「えええ。わしはいつもあの角でやっておるんですよ」
暗黙の場所があるといい、清吉と文子はその定位置に陣取った。そして早速にを広げた。しかし、少々で遅れた感もあり、今回はなかなか客が来てくれなかった。
「どうしましょう。もっと声を掛けましょうか」
「そうですね。今回は、みんな規模が大きいようですな」
そこに。例の少年が顔を出した。
「姉さん。売れないのかい」
「ええ。困っているの」
「ふーん……」
すると少年は大きな声を出した。
「うわ?美味そうだな。それに、こんなの見た事ないや!」
周囲に聞こえるように話す少年。文子の商品を紹介し出した。
「俺の母さんが、これで元気になったんだ。これは効くよ。それにここにしか売ってない上物だよ!」
「そんなにか?じゃ、一つ買ってみるか」
「私もください」
「俺も!」
たくさんの人だかり。ここで商品は飛ぶように売れた。特に薬草は喜ばれた。
客から予約注文までもらった二人。早めに店じまいをした。そして売れたお金でお米などを買った。
「やった!こんなに売れるなんて」
「……私の野菜も売れましたが。文子さんの商品の評判が気になりますね」
ホクホク顔の帰り道。そこに少年がピョコと飛び出してきた。
「あ。あの時の。ありがとうね。ええと……」
飴を買った文子。少年にあげた。
「お駄賃よ。ありがとうね」
「へへ。いいんだ。母ちゃんが世話になったし」
「坊主……お前は石川さんちの子か」
米を背負う清吉に、少年はああとうなづいた。
「俺。伝助って言うんだ。姉さんは?」
正体を知られると面倒。清吉は言葉を選んだ。
「……伝助よ。この方は文子さんだ。あの神社で、薬草の勉強をしているんだ」
「へえ?あの狐と一緒に住んでいるの」
「そうよ」
「ふーん」
村人が嫌う源之丞。近づくなと教えられた伝助は、目の前の清らかで優しい文子が彼と一緒とは、まだ信じられなかった。
そんな三人の夕暮れの道。町外れ田舎の土の香りの風。虫の音がうるさい夏の田んぼが大海原のように揺れていた。その一本道の先、清吉は微笑んだ。
「さて、お出ましだ。よほど心配だったのですな」
「源様?迎えに来てくれたんですか」
カンカンと一本下駄で走ってきた彼。まっすぐ文子を見ていた。
「お前はすぐ迷子になるのでな」
「ほほほ。これは大変じゃ」
溺愛振りに清吉は微笑んだ。文子は恥ずかしそうに誤魔化した。
「それよりも源様。これを見てください?お米がこんなに買えましたよ」
「おお?」
驚く源之丞を近くで伝助が見ていた。清吉は米をよいしょと道におろした。
「清吉の分は?」
「うちの分はわしが持っております。それは文子さんが売った分じゃ」
「あれが……米になったのか」
しみじみ話す源之丞。よいしょと米を担いだ。
「帰るぞ。清吉、世話になったな」
急かす源之丞。文子は慌てて挨拶をした。
「では。今日はありがとうございました。伝助君も、気をつけてね」
「ああ」
「……姉さん!飴、ありがとう」
源之丞と文子。神社まで歩いて帰っていた。
「しかし。こんなに米になるとは」
「だって。あの李、美味しいですもの。そうだ!今度、山椒の木があれば教えてくださいね。他には、そうだな。百合の花も咲いてないかな」
「……」
商品のアイディアが浮かぶ文子。ぐるぐる考えていた。
「あとは、また竹を切らないと。器がないもの」
気がつくと。階段の途中で源之丞が振り返っていた。怒っている様子だった。
「どうしたんですか」
「……ふん!」
やはり怒って階段を進む彼。その背を文子は見ていた。
……そうか。心配していたんだわ。
自分のことばかり考えていた文子。彼に悪いことをしたことに気がついた。
迎えに来てくれた彼。その広い背を見つめていた。
「源様」
「なんだ」
「ありがとうございます」
「ふん。そんな礼は要らぬ。勝手にすれば良い」
……おへそが曲がってしまったわ?どうしよう。
カンカンと登っていく様。文子は必死に階段を追いかけた。
「待って。源様!……あれ、いない?」
登り上がった境内。しかし、源之丞が消えていた。
「源様!どこですか、どこ?」
僅かな光の母屋。文子はそこに急いだ。すると暗闇から手が伸び、彼女を背後から抱き留めた。
「ひや」
「……俺がこんなに心配しておったのに。お前はなぜそんなに楽しいのだ」
「だって、お米を」
「そんなに早く出て行きたいのか、ここを」
苦しそうな声。耳元の切ない思い。文子は目を瞑った。
「……いいえ。そうではありません」
「ではなぜ?」
「一緒に。一緒に食べたいからですよ」
「一緒に」
闇に紛れて抱き合う二人。互いの鼓動が聞こえていた。
「そうです。だって、美味しいですものね」
「……今宵はもう、俺が作った。卵を入れた」
そう言って彼は文子を解いた。そんな二人は手を繋いで母屋に向かった。
……どうして。こんなに優しいのかしら。本当に恩を返そうとしてるだけなのかな。それとも。
狐の面で見えぬ顔の彼、その彼に抱かずにはいられない思い。文子は必死に初恋を胸に押し沈めてていた。
夏の夜風、森の匂い。二人の夏は始まったばかりであった。
「小さき参拝者」完
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