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七 雨の神社
「おはよう!姉さん。これ大根」
「まあ。太いのね」
「……伝助と申したな。ここには来るなと申したはずだぞ」
朝食後。境内にて。文子のために竹をのこぎりで切っていた狐面の源之丞。少年を指した。
「お前。村で嫌われるぞ」
「俺、もう嫌われてるもん!それよりも代表して水を汲んで来てくれって頼まれたんだ」
「くそ!」
勝手にしろと言わんばかり。源之丞はまた竹を切り出した。文子は大根のお礼に薬草を少年にあげた。
「これをどうぞ。そして。お母さんは元気になった?」
「うん。お礼を言ってくれって言われた」
「よかったわね」
「……ところで。姉さん、それ何をしているの」
源之丞の竹切り。面白そうに見る伝助。そのうち手伝うようになった。
「お前は邪魔だ」
「でも兄さん。そのままじゃ、だめだよ」
「うるさい!」
「だって!」
大きな声の二人。文子は仲裁に入った。
「源様も伝助君も。仲良くしないといけないわ。ここは神社よ。神様に叱られるわ」
文子に言われて見上げた鳥居。源之丞も渋々大人しくなった。
こうして昼まで二人は作業をしたが、雨が降りそうな雲。これを見て伝助を帰した二人、母家で珍しく休んでいた。
やがて降ってきたしとしと雨。源之丞は囲炉裏の前で寝転んでいた。
「なあ。お前……毎日、そんなに働いて疲れないか」
「いいえ?楽しいですよ」
「ふーん」
今は縫い物をしている文子。彼は面を少しずらし、じっと見ていた。
「俺の母様もそうやって縫い物をしておったな……母様は目が疲れるとよく文句を申しておったぞ」
「確かに目は疲れますものね。でも。文子は平気です」
「いやだめだ」
源之丞は起き上がり、文子を見つめた。
「お前は働きすぎじゃ。俺とこい」
「え」
彼は縁側に文子を連れてきた。ひさしがあるので濡れない場所。草が伸びた庭を前に二人は座った。
「そこに池があるであろう。その向こうに俺が立てた棒が見えるか」
「はい」
雨の中。木々の中にある棒。狐面の彼。スッと指した。
「そして。ここに石がたくさんある。これをあの棒に当てろ。まずは俺からだ。それ」
源之丞は狙って投げた。当たらなかった。
「ほれ。お前の番じゃ」
「私が投げるんですか?ええと。それ!」
しかし。届かなかった。ポチャンと落ちた音。源之丞は大笑いした。こうして投げ合った二人。なかなか決着が付かなかった。
「雨で難しいの。いつもならすぐに当たるのに」
「次は文子の番です。ちょっと、投げ方を変えてみようかな」
「おいおい?」
今まで遊びに付き合っていた文子。ここで本気で狙いに行った。この必死の様子。源之丞は目を見張っていた。
「ここから投げてみるわ。そーれ!」
ガツン!と音がした。
「うわ?当たった。源様。私の勝ちです」
「……おお?」
文子は嬉しくなった。
「やった!うふふ。当たりました。ねえ。源様」
「許せぬ」
彼は文子を捕まえるように抱きしめた。あぐらをかいた足。ここに文子を腰掛けさせた。
「俺に勝つとは!許せぬ」
「す、すいません。そんなつもりじゃなかったんですけど」
「……ふ。ははは。ははは」
面の彼は笑い声を上げた。
「楽しいか?もっと笑え」
「源様?もしかして」
返事をするように彼は狐の面を外した。
「それ!」
源之丞。文子を抱いたまま、的を大した見ずに石を投げた。それはガツンと当たった。
「まあ?お上手でしたのね」
素早い身のこなし。逞しい腕。そばには火傷の跡の顔。しかし、文子には世界で一番好きな顔だった。
「はは。お前の本気の顔の方が愉快じゃった!ははは」
……こんなに優しい人が。他にいるのかしら。
家出をした自分。人嫌いなのに受け入れてくれた人。貧しい家。粗末な食事。しかし心はこんなにも豊であった。
医者の娘の文子。義母に虐げられて育った彼女。身の回りにあったものは高級品だった。それを使うことは許されず使用人と同様の生活をしていたが、世の中の金持ちの嗜好を知っている。
文子を令嬢として扱ってくれる男性もいたが、それは高級車で迎えるとか、高価な品の贈り物などが主な誠意である。
しかし、この神社に住む源之丞の心配り。誰に教わったわけでもない、彼が自ら考え、文子のために気を遣い実行している。
その一つが、この石投げ。高級車でのドライブよりも、文子は嬉しかった。
囲炉裏で作ってくれる彼の粥は、どんなレストランの食事よりも嬉しかった。
ガサツであり、粗暴。時には膨れて部屋から出てこないへそ曲がり。そんな飾りのない性格も好きだった。
この優しさに。彼の腕の中で、涙が出てきた。
「ん?いかがした。なぜに泣く」
「源様が……あんまりにも優しくて」
「俺がか?俺なんか、意地悪だぞ」
「いいえ、いいえ……」
思わず彼の首にしがみついた文子。源之丞、困ってしまった。
「おい。お前?」
「源様。しばらく、このままで」
「……」
「もう少し。このままで、お願いです」
……なんだ?そんなに楽しかったのか?
女心を知らぬ源之丞。文子の申す通り、石のように固まった。
「ああ……好きにしろ」
草の香りの髪、汗の匂いは優しい彼。文子はその身に優しくしがみついていた。そして、いつしか寝てしまった。
◇◇◇
……ん、あれ?寝てしまったのね。
雨の音、外は暗い。おそらく時は夕刻。夕飯の支度の時間である。自室の布団で寝ていた文子。慌てて囲炉裏にやってきた。そこでは面を外した源之丞が少し支度を始めていた。
「起きたか」
「すいません。布団に運んでくださったんですね」
「まあな」
文子とくっついていた源之丞。実は自身も気持ちよくなり、あのまま一緒に昼寝をしてしまった。それは言わず、彼も先ほど起き、夕飯の支度を始めていた。
しかし。森の仕事を思い出した。
「この続きはお前がやれ。俺は仕事を思い出した」
「はい。お気をつけて」
この夜。二人で鍋を囲んだが、なぜか源之丞はさっさと食べて部屋に引っ込んでしまった。また機嫌が悪くなったと思った文子。これに触らずお休みの挨拶をした。
そんな源之丞。一人部屋にて雨漏りの屋根の雫を見ていた。
……まるで猫のようだ。
神社にやってきた文子。最初はすぐに出て行くと行ったが、確かに自分が引き留めた。それは彼女が行く場所がないとわかったからである。
村娘とは明らかに違う品のある娘。この荒屋など嫌がっていると思っていたが、先ほども楽しそうに雨漏りの箇所に皿や椀を置いていた。
……楽しいのか?こんな村のボロ家が。
都会の医者の娘。さすがの源之丞も彼女が裕福であったのは想像できる。それなのに掃除をし、自分の褌さえも洗ってくれていた。
……なぜだ?なぜそんなことをするのだ?
全くわからない源之丞。雨漏りの雫を見ていた。
……しかし。あれは泣き虫だ。それに、仕事を見つけたいと申しておった。
家が嫌で自立したいと話していた文子。源之丞はそれを支えたいと思っていた。
……くそ!わからぬ。俺はどうすれば良いのだ。
苦悩する源之丞。雨の夜、昼寝のせいで眠れず。悶々とした夜を過ごした。
翌朝。源之丞、寝坊をした。
「あ、もう……朝か」
庭に出た彼。そこにはもう洗濯物が干してあった。
「おはようございます」
……お前のせいで。眠れなかったのに。
笑顔の文子が憎らしい源之丞。返事もせずに勝手に朝飯を食べた。
機嫌が悪そうなのを察した文子。放っておいた。彼は昼飯を持って森へ行ってしまった。
そこに清吉がやってきた。
「おはようございます。例の勝手市の件じゃが。文子さんの商品の評判は上々じゃ」
「本当ですか?よかった!」
「……源様は?森ですか」
「はい」
すると清吉は少し声の調子を落として話した。
「貴方様のことが村で評判になっておる。もしかすると、ここに村の者が来るかもしれませんぞ」
「買いに来るってことですか」
「はい」
文子は持っていた箒を脇に抱えた。清吉は続けた。
「どうされますか?ここには村人には来ないように言いますかね」
「はい。私、商品は清吉さんの家までお届けするので。まだそこで売ってもらえませんか」
「……それは。まだ村人と源様の交流が早いということですかね」
「はい」
あの源之丞の様子。ここに人が来るのは彼にまだ負担だと文子は思った。
「だってここは源之丞様のお屋敷ですもの。嫌がることはできません」
「わしは構わんです。では、それから始めましょう」
源之丞が不在の時にそう決めた二人。ひとまずこの日は手元にあった乾燥果物を清吉は持って帰った。
こんな日が続いたある日。また雨の日だった。源之丞は森へは行かず、母屋でぶらぶらしていた。
「源様。お昼です。私はお堂でお掃除してますので」
彼は無言で囲炉裏の部屋に入っていった。文子はお堂を掃除していた
……由緒ある神社ですもの。それに伝助君のように、お参りに来る人がいるかもしれないもの。
いつ、誰がきてもいいように。文子は古く傷んだ神社を手入れしていた。
そこに食べ終えた源之丞が狐面で顔を出した。
「無駄であるのに」
「いいのです。お世話になっているので」
「……お前は。仕事を覚えたら出て行くのだろう。うちの神社など、放っておいてくれないか」
「え」
冷たい言葉。文子は耳を疑った。狐面は続けた。
「俺はお前が嫌いだ。顔も見とうない」
「源様……」
「わかったら。仕事を覚えて出ていってくれ」
そう言って彼は境内の奥に消えていった。雑巾を持った文子。悲しい言葉にしばらく動けなかった。しかし、大雨とともに、涙が出てきていた。
七『雨の神社』 完
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