二 甘く、優しく

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二 甘く、優しく

「源様。源様」 「何じゃ。騒々しい」 「は、蜂が」 「何、蜂?」 神社の奥のお堂にできていた巣。源之丞、喜んでしまった。 「蜜が取れるぞ。よし」 「でも。危ないですよ」 うるさいといわんばかりの彼。しかし、その手際は素早かった。この日は清吉もやってきて、二人であっと言うまに巣を外していた。 「おい。そこにいては刺されるぞ」 「源様は刺されていないの?」  体についている蜂。しかし源之丞は刺されていないと話した。 これには清吉も笑った。 「源様は昔からこうしておるので。蜂も仲間と思っておるのでしょう」 「うるさい。さあ。蜜はこうして居れば取れるのでな」 ……すごい手際。でも、本当に刺されていないのかしら。 この夜。夕食後。文子は風呂上がりの源之丞の体をしみじみ見ていた。暑いのか半身の彼。文子はその背を見ていた。 「なんだ」 「本当に蜂に刺されてないんですね」 「しつこいな」 よく見るとそこには火傷の痕もあった。痛んであろうと文子は険しい顔になった。 「見るでない。恐ろしいであろう」 「そうではありません。痛かったでしょう」 「お前」 思わず火傷跡の肩を撫でる文子。源之丞、動揺した。 「な、撫でても、治らぬぞ」 「そうですけど……我慢したんでしょうね」 悲しそうな目。源之丞。思わず抱きしめた。 「そんな顔するな。もう痛くない」 「わかっています。源様はお強いですよね」 「……強いか?まあ、そうだな」 寄り添う二人は笑った。縁側は夏の風だった。 七夕まで七日。二人は祭りの支度をしていた。神社の片付けはそれなりに進み村人が来ても参拝できる状態に近づいていた。あとは祭りで販売する商品を文子は心配していた。 「あのな。祭りの日であるが」 「はい」 「お前は俺の生まれを知っていると思うが。村の者が、お前を虐めるかも知れぬ」 源之丞はスッと立ち上がった。 「俺はお前が心配だ」 「源様。その日はトメさんも来てくれるし。伝助君も来てくれるわ」 ……俺のそばにいないつもりか? 自分を頼ってない文子。源之丞はがっかりした。それを知らず文子は話を続けた。 「だから、源様はお好きなように」 「寝る。お前も寝ろ」 「は?はい」 なぜヘソが曲がったしまったか文子はわからぬまま。布団に入った。 翌日。まだ機嫌の悪い源之丞。不貞腐れて森に行ってしまった。心配であったが、文子は祭りの支度を進めた。 食べ物は傷むのでそんなに早くから用意できない。この日の文子は針仕事をしていた。 ……着ないかも知れないけれど。神主様のお衣装だもの。 発見した白い着物。洗濯をして糊を効かせて干した文子。あとはほつれた箇所を修理していた。文子はこれを着た源之丞を想像し、ニヤニヤしていた。 「何がそんなに楽しいのですか」 「うわ?清吉さん」 いつの間にやってきた清吉。文子はびっくりしていた。 「いいえ。その。源様の衣装を」 「懐かしいですよ。まあ、着てくれるかは半々ですな」 「ええ。本人に任せましょうね」 「ところで。あなた様はどうなさるんですか」 「え?私?」 清吉は文子の衣装はどうするのか真顔を見せた。 「やっぱり。ご自分の事は考えていませんでしたね」 「だって。その日は販売するので」 「……これはトメと相談したのですが」 腰掛けた清吉は、頭をかいた。 「この祭りはあなた様のお披露目でもあるので、いっそ、巫女の衣装でも良いかと思いまして」 「巫女?でも私は巫女ではないですもの」 「まあまあ、落ち着いて」 清吉は静かに庭を見た。 「その方が村の者があなた様を受け入れると思うんです」 「村の人ですか」 清吉が帰った後。文子は考えていた。 確かに自分はいつの間にか居着いた娘。源之丞がいてもう良いと言っても、村人方は他所者である。 ……それに。これから無人販売をするし。 祭りをきっかけに毎月七日に予定の無人販売。これを成功させるためにも自分が嫌われるのは避けたい状況だった。 この夜。源之丞に相談したかったが、彼は疲れて居眠りの様子。相談は明日以降にした。そんな文子。翌朝、源之丞に相談した。 「巫女……そのような必要はない」 「そうですか」 目立ってほしくない源之丞。強く反対した。そもそも祭りも嫌な源之丞。華美な行いを嫌悪していた。 まだ機嫌の悪いまま、森奥へ行ってしまった。 「そうよね。私が着飾っても、関係ないわよね」 今回は源之丞のため。文子は翻弄されながらも用意を進めていた。この日は干していた神主の衣装を取りこみ、畳もうと床に広げていた。 「痛い!?まあ蜂だわ」 例の蜜蜂。衣装に紛れて入っていた。これを知らずに触った文子。腕を刺されてしまった。 ……痛いわ。せめて水で流しましょう。 手当てはそれしかない。文子は清水で洗っていた。しかし、だんだんジンジンしてきた。 ……熱が出てきたかも知れない。これは、一度、病院で診たことがあったわ。 文子は患部の腕を、晒しの布できつく縛った。これで全身に毒が回らないはず。そして腕を心臓よりも高く上げた。 息が苦しくなってきた。でも、他に治療はない。死ぬとは思わないが、息が苦しくなってきた。 誰もいない神社の清水。蝉の声がうるさい夏の午後。文子は岩場に倒れていた。 「おい。しっかりしろ!おい」 「……旦那様」 「腕か?色が青いぞ」 縛っているせいもあり、その腕は真っ青で腫れていた。文子は考えて、このままを選んだ。 「どうする。部屋に行くか」 「はい。手を貸してください」 しかし。源之丞は彼女を抱き抱え、部屋に連れてきた。 「全く。お前は目が離せぬ」 「すいません」 「痛むであろう。水を持ってくる」 優しい彼。それに反し、失敗ばかりの自分。文子は情けなくて泣けてきた。 そこに水を持った彼が現れた。 「また泣いておる……そんなに痛むのか」 「源様……文子はダメな娘です」 「……」 メソメソと泣く文子。源之丞、そばに座った。 「源様はなんでもおできになるのに。私は何もできず、こうして世話になってばかり」 「そうだな」 「ごめんなさい」 しかし。源之丞は文子の髪を優しく撫でた。 「お前は来た時から。めそめそ泣いて。謝ってばかりじゃ。俺はそれがなぜか、ずっと考えておった」 思わぬ話。文子は枕を頭にしながら聞いていた。 「お前はなんでも一人でやろうとする。それができぬので、悔しくてそう泣いておるのじゃ」 「だって。ご迷惑ですもの」 「迷惑……まあ。そうかも知れぬな」 文子はじわと泣けてきた。源之丞はまだ優しく撫でていた。 「ううう」 「よく聞け。人に迷惑を掛けぬ者があろうか?俺とてこうして生きておるが、その辺で死ねばいい迷惑じゃ」 「そんな事は」 「いや。迷惑じゃ。だからのう。迷惑とは掛けてしまうものだ。だから、互いに助け合うのが人の世であるぞ」 立派な話。源之丞の狐面が説く話。文子の胸に沁みた。 「そんな顔をしておるがな。俺はこれでも神職であるぞ」 「源様……」 源之丞は寝ている文子に頬寄せた。 「どうだ?元気が出たか?」 ……なんて優しいお方でしょう。私も、しっかりしなきゃ。 「はい。源様」 「水で冷やすか。どれ、今持って」 「源様。いいの。ここにいて」 文子に手を掴まれた源之丞。面の下は驚きの顔であったが、座った。 「そばに居て」 「わかった」 文子が寝るまで。彼は手を握っていた。彼女に甘えてもらった源之丞。無いはずの狐の尻尾を振りそうなくらい、喜びに満ちていた。 翌朝。文子の腫れは引いた。 「大事ないか」 「頭が少し痛いですけど。今日は無理しません」 「悪かったな。お前は蜂を怖がっておったのに」 ……気にしていたんだ。そんな事ないのに。 そう言って朝食を作ってくれた源之丞。文子は思わず背中から抱きついた。 「な、なんだ」 「大好きです」 「お、おう」 「おう?」 恥ずかしそうな源之丞。その髪は草の匂いがした。文子はうっとりした。 「ふふふ」 「何じゃ。泣いたり笑ったり」 「ふふふ……さあ、今日も支度しなきゃ」 背後の文子。狐面の源之丞はそのまま立ち上がり彼女を背負った。 「無理致すなよ。俺もいるのだぞ」 「はい。私もいますので、源様も頼って下さいね」 「……ふふふ」 東の太陽。神社の朝。屋根の下の燕の巣は、賑やかだった。七夕までもうすぐの二人。空は青く澄んでいた。 二 甘く優しく 完
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