四 悪魔の足音

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四 悪魔の足音

「どう?新薬は」 「奥様。大変、好評ですよ」 薬科係の話。照代は微笑んだ。 「一度使うと、また処方してくれと言われて」 「どんどん処方していいわ」 「……でもどうします?毅先生は診察してからとおっしゃいますが」 ぬるい夫の考え。今はそれどころじゃないほど火の車の病院。照代は無視して良いと微笑んだ。 「私から言っておきますよ」 「そうですか。ならいいですね」 二階堂病院の事務室。理事長の照代は探偵も雇い、文子の行方を追っていた。 しかし。その足取りを掴めずにいた。 ……解せないのはお金を使っていないこと。匿ってくれる人がいるのかしら。 今の照代。銀行係りも押さえている。文子が金を下ろせば、その支店がわかるレベルになっていた。しかし、これは当てにならない。まずは新薬販売の報酬の方が優先だった。 この時。製薬会社の鈴木が来院した。 「理事長。いかがですか?我が社の新薬は」 「どんどん処方していますよ。報酬が大きいのでね」 「もちろんです。今回は少額ですがお納めください」 大量に処方している二階堂病院。その報酬金。差し出した鈴木は微笑んでいた。 「本社の方からもお褒めの言葉をもらったんです。こんなに広めていただいて」 「最近はあれが欲しくてうちの病院に来る患者もいるのよ?すごい効き目ですよ」 「そうですか」 「ところで。文子の件はいかがですか」 「そうでしたね」 鈴木は疲れた顔を見せた。 「実は私。この県内一体が縄張りなんです。色んな仕事をしていますので、仲間に声をかけていますが、どうやらこの街にはいないようですね」 「そう、ですか」 居場所がわからねば意味のない話。照代は唇を噛んだ。 「まあ。待ってください。あんな美人なお嬢さん。いれば目立ちますよ。それよりも、一郎君の件です」 「え?一郎が何か」 「一緒にいる連中が、まずいです。今のうちに縁を切らせた方がいいですよ」 照代の知らないことを知っている様子。母親である彼女。鈴木にお茶菓子を差し出した。 「どう言うこと」 「最近、若い娘を乱暴する不良グループがいましてね。警察が目をつけているようなんです」 「その仲間に、一郎がいると?」 「仲間?まあ、そうなりますね」 頭の中が真っ白の照代。鈴木は話を続けた。 「手口はこうです。若い娘に声をかけて。酒に薬を混ぜる。この薬は、うちのものですね」 「それを一郎が?」 鈴木はうなづいた。 「おそらくね。警察の捜査がうちに来ました。近いうちに、一郎君は逮捕されます」 「それは困るわ?なんとかできませんか」 必死の照代。鈴木は他人事。首をコキコキ鳴らした。 「そうですね……理事長は何をしてくれるんですか」 「私が?そうね」 お金。しかし、照代にそれがないのは鈴木は知っている。男は不敵に笑った。 「はっきり言ってちょうだい」 「では。条件をして。ちょっとした整形手術をして欲しいんですよ」 ある人物の顔を変えてほしい。この要望。照代にできることだった。 「いいわ。そして、一郎は?」 「……任せてもらえますか。そうじゃないと救えませんね」 手荒な真似の匂いがした。しかし、鈴木に頼るしかなさそうだった。照代は彼に任せた。一郎は下宿先。連絡がなかなか取れない状況。母として彼女は不安な日々を過ごしていた。 そんなある日。二階堂病院に患者が担ぎ込まれた。 「一体何が」 「ヤクザの喧嘩です!うわ。刀傷、相当深いです」 「血圧低下。すいません。ベッドに移します」 緊張する手術室。院長の毅は患者を受け入れた。照代は待合室にて警察の話を聞いた。 「奴らはどうやら婦女暴行の悪漢グループで。ヤクザと揉めたらしいのです」 「では。患者さんは、そのグループの人ですか」 若い男の患者たち。警察はそうだとうなづいた。 「そうです。事件を起こしたのは、若くて、金持ちのボンボンばかりなんですよ」 胸がドキドキした照代。刑事は話を続けた。 「こう言ってはなんですがね。あいつら。滅多刺しにされてもおかしくない非道な奴らですよ。このまま刑務所ですね」 「そうなんですか」 手術後にまた来ると刑事が去っていった。それを入れ替わりに鈴木が顔を出した。 「ねえ。一郎は!」 「ご安心を。彼だけは事件前に、こちらが手配した女と温泉旅行ですよ」 「温泉に?ああ、ほっとした」 安心して膝をついた照代。しかし鈴木は冷たい目で見た。 「さすが母親だ。息子さえ助かればそれでいいわけだ」 「何を言うの?当たり前でしょう」 「ふふ……では約束通り、お願いします」 鈴子はメモを渡した。 「ここに書いてある男の顔の手術です。別人にして下さい」 「なぜ、顔を」 鈴木は答えず背を向けた。 「理由を聞いてどうするんですか。とにかく。また連絡します。では」 コツコツと響く足音。照代は後戻りできない世界にいることを、改めて自覚した。 そして不良グループは退院後に逮捕。一郎は免れた。後日、照代は一郎に問い正した。 「お前。何をしていたのよ」 「うるさいな。俺は薬を渡しただけだよ」 「警察に逮捕されるところだったのよ?お父さんが知ったらなんというか」 一郎はここで水を飲んだ。その飲み方、照代は目を見開いた。 「お前?まさか、あの薬を?」 「離せ!うるさい」 明らかな禁断症状。照代は腰を抜かした。 「どうして、お前、そんな事をしたら破滅じゃないか」 「ふふ、初めからそうだよ。俺なんか医者になれない。それは母さんが一番、よく知っているじゃないか」 夜の話合い。ここに父の毅がやってきた。医師の彼、一郎の症状をすぐに見抜いた。 「一郎、いつからだ」 「……さあ?忘れたよ」 「貴様……」 怒りの拳。息子の顔に振るった。 「あなた!何をするの?息子でしょう!」 「ああそうだ。だからこいつは精神科に入院させる。そこで薬を抜く」 息子の腕を引く毅。嫌がる一郎。照代は顔を真っ青にした。 「でも?あそこは牢になって」 「そうだ。お前は息子を囚人にしたんだ!」 「そんな……」 嫌がる息子を引いていた毅の背。照代はヒステリックに叫ぶだけであった。 完
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