最終話 狐に嫁入る

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最終話 狐に嫁入る

「失礼致す。我、八雲神社の八雲源之丞と申す。ここに文子殿がおいでのはず」 「源様。あそこ!寝ているよ」 面を外し髭を剃り黒髪を揃えた凛々しい神主姿の源之丞は、あの日文子が直した白衣装を着ていた。蛇の毒の時に担ぎ込まれた時とは別人の凛々しい姿に毅は驚いた。 そんな呆気に取られてる二階堂家族を無視して、彼は寝ている文子のそばにやってきた。 「……おい。俺だ」 「源様……これは夢……」 目を開けた文子。その目には涙が浮かんでいた。もう彼には二度度会えないと思っていた文子は震える手を布団から出した。彼はそれを握り頬に当てた。 「夢ではない。お前に会いにきたぞ」 「私……あんなひどいことを言ったのに」 大粒の涙。息も絶え絶えの言葉に源之丞は首を横に振った。 「もう忘れた……あのな。お前に結婚を申し込みに参ったぞ」 「源様……」 ここで源之丞はすっと家族に振り向いた。 「二階堂の当主殿。ここに娘御に結婚を申し込みいたしまする。その証として。まずはこの、品々をお受け取りくだされ」 源之丞の言葉。伝助は廊下から必死に品を運んできた。一緒に来ていたイネ。なぜか男装で説明をした。 「この反物は足利特産の足利銘仙でございます。そしてこれは、国宝『山姥切国広』を作りました村の刀工の七代目が作りました、小刀でござりまする」 特別室であるが狭い病室。ひとまず受け取った一郎と次郎。二人はまず刀に興奮していた。 「父さん。これ、手術の外科用ナイフみたいだ」 「すごい切れそう……うわ?指が切れた」 騒ぐ兄弟。にっこり微笑むイネ。読み上げた。 「よろしいですか?他には、下野国(しもつけのくに)最古であり延宝元年創業の酒造の清酒、そして渡良瀬川で取れたアユ、ヤマメ、イワナ……」 病室に入れぬ数。イネは目録を読み上げていた。その間、毅はじっと文子を見ていた。 「……そして最後。この砂金でございます。これは拙者が長年かけて歳出しました」 これだけは手に掲げた源之丞。袋の大きさに兄弟は驚いた。 「すごい?こんなに」 「自分で採ったんですか?」 「お前達、鎮まれ。して、源之丞とやら。なぜに文子をそこまで所望するのだ」 神官姿の源之丞。真っ白な装束。烏帽子の美麗。頬は火傷の痕、しかし煌々と目を光らせ静かに毅を見つめた。 「拙者。文子殿を好いております。お幸せにしたいのです」 ……他に理由はないと申すのか。 文子との婚姻でこの男に利益はない。外科医、二階堂毅には娘、文子への縁談が山ほどきている。そのどれもが彼女を利用するもの。好きだから。幸せにしたいから、と言う理由の者は皆無である。 「それに、拙者だけでなく。娘御は村にはなくてはならぬ存在。村民が、文子殿の帰還を待っておりまする」 この言葉。毅は涙が出た。娘を疑っていた自分が恥ずかしかった。文子は清く優しく、兄弟を思い、他人に優しい娘であった。そんな娘は彼を思い、こんなにも苦しんでいる。これは全て、父親である自分の不徳である。 「……おい、文子。聞こえたか?彼がお前を迎えに来たぞ」 話を聞いていた文子。涙でうなづいた。 「はい。お父様。私は……源之丞様の元に行きたいです。お願いです」 初めて言ったわがまま。それは愛しい男の元に嫁ぎたいとうい思い。父はこれを目を瞑り受け止めた。 「……わかった。では、約束してくれ。食事をして元気になると。出なければ、嫁には行けないよ」 「はい……」 「姉さん、よかったね」 「早く元気になろう」 一郎と次郎の言葉。文子は微笑んだ。姉に駆け寄る兄弟。しかしその肩を毅はそっと叩いた。 「では、源之丞君。娘を頼む。この病は、我々では治せない。君しか無理なようだ……」 二階堂一家の言葉。源之丞は静かに頭を下げた。 「確かにお預かり致す。この源之丞。命を持って文子様をお守り申しまする」 そして彼はベッドに寄り添った。 「おい。父上の許しをもらったぞ」 「……源様。そばにいて」 「おう。さてさて。お前には元気になってもらわなくてはな」 この笑顔の二人、家族は退室し二人だけにした。 そして五十日後の冬の前。 足利に嫁がやってきた。花嫁行列。牛に揺れた娘。白無垢姿。神社に到着した。一緒に歩いていた男三人はもうくたびれていた。 「文子。本当にここを登るのか」 「はい。お父様。足元を気をつけてね」 あまりに急な階段。毅は息子達を振り返った。 「一郎。文子を助けろ。次郎は後ろから見てやれ」 「はい。姉さん。手を」 「俺は尻を押すよ」 「ふふふ」 急な階段の神社。必死に上がった二階堂一家。照代は拘置所を出て実家にて謹慎。このため毅と一郎と次郎の参列であった。 田舎と思っていたが、ここは貴重な村だった。特に外科用のナイフを毅は大変気に入り、その後、特注したほど。さらに源之丞が送ってくる野菜や獣肉の旨さに感激。中でも村の特産の日本酒を絶品と気に入り、病院関係者へのお歳暮用に大量に注文し酒造を驚かせていた。 薬物中毒だった一郎。目を覚まし医学の勉強を邁進していた。親の勧めで目指した外科医であったが、本当は不器用。さらに足利の竹工芸品の細やかな作品に感激している父に、自分には器用な外科医は無理だと説得した。今は元来興味があった内科医を目指していた。 弟の次郎。医学部受験のため本気で取り組んでいた。足利の特産の書道の毛筆。書の腕がある次郎。この筆にて文字を書いたところ、あまりの滑らかさに衝撃を受けた。己の乱れが映る書は心の窓。濁る文字に大いに未熟な自分を恥じた。以後、精神を鍛えようとこれで毎日、書いている。 この兄弟、当然の如く、酒とタバコを止めた。さらに実家に住まい、父親と一緒に早朝の駆け足を始めるなど親子で健康的に仲良くしていた。 すっかり足利村が好きな三人。しかしやってきたのは初めてだった。次郎は階段を振り返り村を見ていた。 「姉さん。本気であのバス停で、夜明かししようとしたのかい」 「ええ。でも源様が心配して迎えにきて、神社に泊めてくれたのよ」 これに毅はため息ついた。 「あのバス停……彼にはまだ礼を言わねばならぬな」 「あ。みんな。あれは源さんじゃないか」 一郎の声。階段を登るとそこには狐面の一本下駄の神官が立っていた。彼はスッとお辞儀をした。 「ようこそ。遠路はるばる」 「確かに?文子はよくここに家出をしたものだ」 「……自分も最初、そう申しました」 どこか神妙な彼に一同はどっと笑った。こうして挙式となった。 傷んでいた神社。これは毅が受け取らなかった砂金で修繕し、少しは立派になっていた。 村人と二階堂の家族が見守る中、神前挙式が行われた。 挙式後はイネや伝助による奉納。料理はトメの自慢料理が振る舞われた。しかし、夜の宿泊はできない。宴会は夕刻で終わりとなったが、山の幸をもてなすと誘われた二階堂一家。足利村の大地主の家に泊まることになり山を降りて行った。 そして。清吉らも帰った夜の八雲神社。二人だけになった。 「源様。大丈夫ですか」 「ぐあああ」 いびきの彼。お酒を一口飲んで倒れた源之丞。父の毅は寝かせておけというので文子は静かにしていた。 懐かしい家。大工の工事で部屋がきれいになっていた。嬉しいが少し寂しい文子。寝支度をして源之丞の横にいた。 ……今夜は疲れた。寝よう。 久しぶりの彼との出会い。あの求婚から文子はずっと二階堂家にて療養していた。そして事情を理解した父に財産を返し、何もかも整理してきた。 少しは持てと多少のお金と、亡き祖母の形見を少々もらった文子。しかし、今はここに戻ってこられて、ホッとしていた。 ……お部屋が直っているけど。障子はあのままね。 文子が直した素人障子。しかし源之丞はそのまま愛用してくれていた。文子は嬉しかった。その時、彼が起きた。 「ん?ここは」 「源様の部屋よ。宴は終わりました」 「ふわああ?水」 「はい、どうぞ」 すっかり寝ていた源之丞。面を外して水を飲んだ。 「ふう……何だ、お前は寝るのか」 「はい」 「そうか。ここで寝るのか」 頭をかく彼。文子は急に恥ずかしくなった。 「いや?その。文子は今夜はやっぱり向こうで寝ます。源様はここで」 しかし。彼はふわと文子を抱きしめた。 「俺は何も申しておらぬ。ああ、それにしても、あんなに人が来るとはな」 「でも終わりました。また静かに暮らせますよ」 「ああ、お前と二人だ」 彼はゴロンと布団に横になった。 「みろ。前はな。屋根のあそこから星が見えたんだ。しかし大工が塞いでしまった」 「どこですか。ああ。本当だわ。星が見えないわ。私の部屋もそうなのかな」 二人で頭をくっつけて見上げていた天井。文子はこの幸せに思わず寄り添った。 「なあ、あのな」 「はい」 「今宵はその、初夜と聞いておるが、その……」 戸惑っている源之丞。文子はそっと手を繋いだ。 「いいんです。お疲れでしょう、このまま手を繋いで寝ましょう」 「お(ふみ)……」 彼は文子に覆い被さってきた。真顔だった。 「もうどこにも行くな。ずっと一緒にいてたもれ。約束じゃ」 「はい……」 静かな夜。二人だけの時間。時は優しく流れていった。こうして文子は狐に嫁入りを果たした。
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