二 悪魔の子

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……あ。雨だわ。 境内の階段を降りていた文子。この雨に大きなカシの木の下で雨宿りをしていた。しかし、バスの時間がある。いつまでもここにはいられない。そろそろ動こうとしていた。 最後の手段で行こうとしているのは亡き母の実家。噂では火事で焼失し、祖父母も亡くなったと聞いているが、とにかくその住所に行ってみようと思っていた。 その時。下駄でカンカンと階段を勢いよく走る音がしてきた。その人物は脇に座る文子に気づかず、どんどん下へ走って行ってしまった。 ……旦那様だわ。あんなに急いで。 雨で何かあったのか。文子は不思議に思いつつ、道脇に生えていたフキを取り、その大葉を傘にし雨の道を歩き出した。しばらく歩くと、前方から狐面の彼が走って戻ってきた。 「はあ、はあ。お前、どこにいた」 「そこで。雨宿りを」 「……あのな。バスは来ない」 「え」 彼は文子をじっと見つめた。彼は拳を握り彼女を見据えていた。 「来ない。こんな雨の日は」 静かな声。文子は彼を見つめた。 「来ないって。バスがですか?」 「そんなに嫌か。俺の家が」 ……もしかして。私があの神社が嫌いだと思っているのかしら。 損傷が激しい神社。彼があの神社について劣等感を抱いていることに気がついた。確かにひどく傷んでいた神社である。しかしそれに勝る優しさに包まれた神社であった。 「いいえ。そんなことはありません」 「古くて。貧しいから。お前、嫌なんだろう」 この時、二人に雨がザザと降ってきた。文子は思わずフキの傘を彼に差し掛けた。 「濡れますよ。旦那様」 「お前」 とっくにずぶ濡れの彼。自分も濡れている文子。こんな小さな葉の傘。それを寄り添ってくれた彼女は彼を見上げていた。彼の心は決まった。 「あの、私はお屋敷については、その」 「帰るぞ。それ」 「うわ」 フキの傘が飛んだ大雨の中。源之丞はまたしても文子を背負い、神社に帰ってきた。 「着ろ。それを」 「良いのですか」 古い木綿の浴衣。しかし綺麗に洗ってあった。 「俺の母のだ。我慢しろ」 「我慢だなんて。お借りしますね」 結局戻った部屋。朝顔の模様の着物。文子は着替えた。そして居間に顔を出した。彼は囲炉裏にかけた鍋を混ぜていた。濡れたままだった。 「旦那様。着替えは?」 「いい。俺は平気だ……へ、ヘックション!」 「ふふふ」 すると彼はスッと立ち上がり無言で自室に消えて行った。 ……笑ったりして。失礼だったかな。 戸惑う文子。それでも鍋をかき混ぜた。おいそうな匂いだった。ここに彼が戻ってきた。見ると着替えをした彼、しかし、面をつけていなかった。 ……顎に火傷の跡。さぞかし痛かったでしょうね。 実家が医者の文子。ひどい怪我の病人を何人も見てきた。長い黒髪を束ねた彼、顎髭であまり見えないが、顔半分が赤くなっていた。彼が面をつけている理由はこれと悟った文子。しかし、これに気にせず囲炉裏を囲んでいた。 それよりも思ったよりも若い好青年。粗暴な雰囲気に年配者だと思っていた文子。彼に今更ドキドキしていた。 「これは最後にネギを入れるんだ。それ」 「美味しそう。旦那様はお料理が上手なんですね」 二人で囲む囲炉裏。やがて完成となり、文子がお椀に盛った。 「はい。どうぞ」 「ああ。お前も食え」 「はい。いただきます」 こうして食べ始めた時。彼は急にハッとなった。 「あれ?俺、面を」 「……旦那様はさっきから付けていませんよ」 「何?」 驚く彼。文子を見つめた。文子の方こそ、首をかしげた。 「何か?」 「お前、俺の顔が、恐ろしくないのか」 この村では誰もが逃げ出す顔。しかし目の前の娘は静かにその箇所を見ていた。 「火傷の跡ですよね?それは子供の頃ですか?相当、痛かったですよね」 怖がるどころか、心配する顔。源之丞は目をパチクリさせていた。 「旦那様?」 「ああ。なんでもない。いいから、食うぞ」 「はい」 空腹だった二人。たくさん食べた。 「ああ。美味かった」 「はい。おネギがおいしかったです」 「そうか」 優しい顔。文子はほっとした。そして囲炉裏で湯を沸かし、お茶でも飲もうとしていた。 「ところで。お前の話を聞かせてくれ。なぜこんなところに参ったのだ」 「はい。私はですね」 彼女は身の上話をした。前妻の娘の自分、祖母の介護が終わり居場所のない家を出てきた話だった。 「医者の娘なのに。なぜだ」 「義母は私が嫌いなんです。それに後継は弟達もいるし」 「では金持ちに嫁に行けば良い」 彼は湯気をじっと見ていた。文子も思わず見ていた。 「そんな縁談もありましたけど、一回り上の方で、後妻なんです。だから、私、一人で仕事を見つけて、生きて行こうって」 「金よりも自由か」 彼はスッと立ち上がった。障子を開けると星空が光っていた。 「俺はな。こんな顔だから、村中の嫌われ者だ。だから爺しかここへは来ぬ」 背を向けて話す彼。その姿、寂しそうだった。 「しかし。お前が持ってきた手紙を読んだ。俺は子孫として、お前を助けなくてはならぬ」 「旦那様。本当に、そこまでは」 彼は振り向いた。その背景は星で光っていた。 「うるさい!聞け。ここにいたければいれば良い。ここで仕事を考えろ」 「いいんですか。私がここにいて」 彼はむすとした顔で定位置に座った。 「良いと申しておる。早く、茶にしろ。飲みたいのだ」 「はい……ただいま、淹れます」 一見、傲慢のようだが、優しい態度。お茶を淹れながら文子は泣いていた。 ……また泣いた?俺は何かしたのか。 不安な源之丞。文子に尋ねた。 「なぜ泣く。帰りたいのか」 「いいえ。旦那様が、優しいので、つい」 この答え。安心した彼。ずっと知りたかったことを聞いた。 「……娘。お前の名は?」 まだ名乗っていなかった文子。ここで彼に向いた。 「ごめんなさい。私、文子です」 「文子。か。俺は源之丞だ。源で良い」 「はい。源様」 二人は静かにお茶を飲んだ。夏の始まり。雨上がりの夜空。輝く星は優しく瞬いていた。 つづく
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