三 八雲神社

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三 八雲神社

村の山上にある八雲神社はまるで村人から忘れたような古い神社。文子はここでこれからの仕事を考えることにした。 神社の跡取りの源之丞は神職をしている様子はなく、もっぱら山から木の実やキノコ。山草などを採ってきていた。下駄で走るその身の速さ。まるで忍者のような身のこなしである。 この神社に世話になることになった文子。これからの身の上を考える機会とするはずであったが、この屋敷は元来綺麗好きの彼女に火をつけてしまった。 古く痛みが激しい神社。源之丞は構わず暮らしていたが、見れば由緒ある神社。文子はこれを綺麗にしたいと思った。 できることは限られている。まずは朽ちた木々を集め薪にし、まだ壊れていないお堂などは掃除をしていった。 「おい。お前」 「はい。源様」 お堂を雑巾掛けしていた文子。背後では狐面をつけた源之丞が仁王立ちしていた。 「掃除をしても無駄だ。また汚れるぞ」 「でも。このままではあんまりです」 「……」 ……なぜあんなに働くのだ。食べ物はあるのに。 いそいそと掃除をする文子の気持ち。それはせめて何か手伝いたいというものであった。しかし、彼はその意味が分からず、イライラしていた。 ……まあ良い。元気になったし。 そんな彼は森の奥へと消えていった。文子はまた一人、掃除を進めていた。 埃を落とせば立派な社。彼女はどんどん磨いていった。 二階堂家にいた時の文子は家事ばかりであった。医者の娘で長女の彼女。世間的にはそうであったが、実情は異なる。後妻の照代の虐めに遭い、女学校にも行かせてもらえなかった。 父親の毅は仕事にかまけて見て見ぬふり。かわいそうに思った祖母は、病院に勤務する看護師や研修生の勉強に文子を混ぜさせてくれた。 実習資格はないが文子は医療に詳しく育った。 さらに。東洋医学を研究していた祖父の学びも継承し、実家の庭にあった薬草などを煎じて薬にする方法や、薬草医学の多くを知っていた。 ……でも。ここに逃げてきても。仕事は何をすればいいのかしら。 八雲神社という名前から。文子はここにくれば仕事を紹介してもらえると期待をしていた。しかし、想像と異なり、まずここは嫌われている。しかも源之丞という男が自給自足している山奥だった。賃金を得るような職業はここにはないのだ。どこか現実逃避を思いつつ、文子は必死に自分ができる事を考えていた。 ……町外れに行けば。工場があるはず。そこに勤務できるかしら?あとは……何処かのお屋敷の女中くらいなら。 しかしあてはない。彼女はそっと空を眺めた。そこにはカラスが飛んでいるだけだった。 「はあ」 「……仕事は思いついたか」 「あ?すいません。そうですね」 夕食の囲炉裏端。文子はどこかぼんやりしながら今の考えを口にした。 「町外れの工場はどうかと」 「……この村の娘が織物工場に行っておったが、大怪我をして帰ってきた。何をするか分からんが、力仕事のようだぞ」 「力仕事ですか?でも、それしかないなら、やるしかないです」 ……いや。無理だ。この女子には。 怪我をして戻ってきたのは農家の娘。あの娘ができないことが、このたおやかな家出娘にできるとは源之丞には思えなかった。 「そうですか。では、どこかのお屋敷の女中さんとか」 「この村から。以前、布団屋に奉公に出向いた娘がおるぞ」 「本当ですか?それはどこで」 狐面を外した源之丞。澄まして答えた。 「……奉公は終わったのに。まだ帰してもらえぬ。清吉が申すには、仕事中に失敗をしたと難癖を付けれられて、その布団屋は年季を伸ばして奉公人を返さなぬということだ」 「ひどいですね」 「……娘には父親がおらぬでな。向こうは大きく出ているのだ。お前などは親なしだ。もっとひどい目に遭うぞ」 「そんな」 家庭では粗末に扱われていたかもしれないが、世間知らずのお嬢様。源之丞にはそう見えていた。 ……金持ちに嫁に行くのが、一番楽であろうに。無理をして勤めに出たいという気持ちが知れぬ。 食べ終わった彼は立ち上がった。面をつけていた。 「この村ではそんなものしかない。俺はそれしか知らぬ」 「……はい。すいません」 そう言って源之丞は部屋を出た。文子は深くため息を付くしかなかった。 しかし一晩考え、翌朝、彼に相談した。 「新聞とな」 「はい。そこに求人が載っているはずなんです」 名案が浮かんだ文子。ちょっと嬉しそうだった。 「今日は村に行って、新聞を買ってこようと思います」 「ならば清吉に頼むと良い。駅まで行かねば買えぬはずじゃ」 「でも。私、バスに乗って」 自分で行こうとする文子。なぜか彼は嫌った。 「……勝手にせい。俺は知らぬ」 「あ?」 彼は背を向け出ていった。面でわからぬが、怒っている様子だった。そのあと、使用人の清吉が来た。文子は新聞の話をした。 「新聞ならわしの家に先週のがありますので、明日、持って来ましょう」 「ありがとうございます。でもあの。私、自分で駅まで行っていますけど」 文子の言葉。清吉は、うーんと首を捻った。 「それはちょっと。まだ待ってくださいますか」 「どうしてですか」 清吉は眉を顰めた。 「なんて言いいますかね。その。文子さんは悪くないのですが。その、あなたがこの神社にいるとなると。村人がちょっとですね」 ……そうか。私がいると迷惑なんだわ。 寂れた神社。源之丞がいても良いというので安心していたが、やはり世間的には問題があると文子は認識した。 「すいません。私」 「いや?そこまでじゃないですよ。それに新聞なら本当に手に入るので」 清吉の様子は嘘がないよう見えた。文子は彼に託すことにし、神社の掃除をした。 ……源様はいても良いと言ったけど。やはり、そうではないのね。 午後から曇り空。文子の心も曇っていた。 つづく
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