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「源様。いませんか」
「何だ。爺」
神社からの帰り道。清吉は源之丞がいる川にやってきた。彼はここで魚を獲っていた。
「源様。文子さんのことです。新聞が欲しいそうで」
「あんなの嘘ばかり書いてあるなのに。なぜ欲しいのかわからん」
カゴに小魚を入れる源之丞。清吉はため息をついた。
「そうは申しても。文子さんは情報は欲しいのですよ」
「あれは仕事先を探しておるのじゃ。工場や女中がいいと申すが、ないと言ってやった」
「そうですな」
清吉は小魚を見ていた。
「でも。新聞には書いてあるやもしれません。源様とて、いつまでもここにいてほしくないのであれば。仕事を探してやりなされ」
「俺にはそんなことできぬ。自分の食いぶちくらい、自分で見つけねばどうする」
「それはそうですがね」
一人で生きている源之丞の言葉。確かにそうである。清吉は新聞の件を心得たといい、山を降りた。
……全く。俺は忙しいのだ。
山の仕事が忙しい源之丞。そう思いながらも文子の分も食料を得て、この夕刻、帰ってきた。
「おかえりなさいませ」
「これ」
「うわ?それはイワナですか」
魚を驚く文子。狐面の源之丞はニヤリとした。
「おお。これを焼いて食うぞ」
そして二人で焼いて食べた。
「美味しいです」
「そうか。そうか」
むしゃむしゃ食べる源之丞。しかし文子の食は進まなかった。
「いかがした?」
「いえ。美味しいです。食べます」
そうは言っても全然元気のない文子。彼は不安のまま寝床に向かった。
……あの娘御。外での仕事など、できるのであろうか。
彼から見たらお姫様。厳しい仕事は不向きに見えた。それにしても元気のない様子。彼は文子を案じながら眠りについた。
翌日。清吉は新聞を文子にくれた。しかし、そこには彼女が求める仕事がない様子だった。
……だから言ったのだ。あんな紙に良い話が載っているはずがない。
ますます元気がない文子。源之丞の胸はチクチク痛んだ。
翌朝。朝飯の後、源之丞は文子に向かった。
「お前。ちょっと来い」
「どこにですか」
しかし彼は彼女を手をつかんだ。そして森の奥へと進み出した。木々を抜け岩を登る獣道。文子は必死に付いていった。
「源様。どこまでいくのですか」
早い足の彼。ついて行くのが大変な文子。やがて、広い野原に出た。
「源様?」
「……着いた。ここだ」
「うわ」
そこには一面の花が咲いていた。源之丞は文子の手を離した。
「どうだ。綺麗だろう」
「はい……どこまでもお花だわ」
女は花が好き。そう思っていた源之丞。文子の笑顔を作るのに成功した。
「はい!それに、これは」
手に取った花。これは薬草だった。
「源様。これは、病を治す薬草ですよ」
「薬草?」
「薬になる草です」
ああと彼はうなづいた。
「そのようだな。この村には医者がいないからな。俺の婆様がどこかの医者から、薬草の種をもらって、植えたと申しておったな」
文子が元気になればそれでよし。これに関して興味のない様子の源之丞。野原に飛ぶ、蝶を追っていた。
「こんなにたくさんの種類があるなんて?すごい」
……嬉しそうにしておる。笑うとあんな顔なのか。
今まで沈んだ暗い顔だった文子。その彼女の笑顔に源之丞。憂しかった。
「使いたくば、勝手に使え、俺には無用だ」
彼はそういうとそばにあった木に登り始めた。スルスル登るその速さ。文子は驚きで見上げていた。
「源様?何をなさるの」
彼は無言で木々を揺すった。
「きゃあ?これは、李」
「ははは、ははは!』
源之丞は木々を揺らし、文子に赤い実を落とした。文子は必死に拾った。彼は木からふわと地上に降りた。
「食ってみろ」
「……源様は、これを。甘くて美味しそうですよ」
拾った実。一番綺麗で美味しそうなものを文子は弦之丞に渡した。彼は首をかしげた。
「なぜ一番うまそうなのを俺に寄越すのだ?お前は李が嫌いか」
不思議そうな源之丞。文子は笑った。
「いいえ。大好きですよ。でも、やっぱり旦那様に食べて欲しいから」
「好きなのに?おかしな奴だな……」
そう言って彼は面の口元だけ上げて齧った。
「うん、うまい!お前の選んだのは甘い!」
「よかったですね。それは大きいから」
文子は拾った李を選んでいた。
……美味しそうなのは源様で。私はこれでいいか。
彼女は形が歪なものや、虫がかじった跡のある李を食べようとしていた。
すると源之丞、じっと文子を見た。
「なんですか」
「これは甘いから。お前が食え」
彼はそう言って食べかけの李を差し出した。
「さあ!食え」
「源様……」
意地悪ではない。食べておいしかったから。文子にあげたいと彼は言っている。文子は受け取った。そして彼のかじり掛けの李を食べた。
「うん?甘い。食べごろですね」
「食ったか。うまいか」
……私が落ち込んでいたから。ここに連れてきてくれたんだわ。
粗暴であるが優しい源之丞。文子の胸はジンとしてきた。
「はい、源様。文子はこんな美味しい李を食べたのは初めてです」
こうして二人で李を食べた。しかし食べ切れる量ではない。文子はこれを持ち屋敷に帰ろうとした。
「おい。俺はまだ仕事がある、お前、先に帰れ」
「はい。私はあっちの方角ですよね?」
しかし彼は返事をせず。風のようにサッと森の奥へ消えていった。文子はあっけに取られていた。
……確か。こっちのはず。
連れて来られたので方向に自信がない。文子は必死に歩いて進んだが、山の中で迷子になってしまった。
つづく
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