三 八雲神社

2/3

2475人が本棚に入れています
本棚に追加
/35ページ
「源様。いませんか」 「何だ。爺」 神社からの帰り道。清吉は源之丞がいる川にやってきた。彼はここで魚を獲っていた。 「源様。文子さんのことです。新聞が欲しいそうで」 「あんなの嘘ばかり書いてあるなのに。なぜ欲しいのかわからん」 カゴに小魚を入れる源之丞。清吉はため息をついた。 「そうは申しても。文子さんは情報は欲しいのですよ」 「あれは仕事先を探しておるのじゃ。工場や女中がいいと申すが、ないと言ってやった」 「そうですな」 清吉は小魚を見ていた。 「でも。新聞には書いてあるやもしれません。源様とて、いつまでもここにいてほしくないのであれば。仕事を探してやりなされ」 「俺にはそんなことできぬ。自分の食いぶちくらい、自分で見つけねばどうする」 「それはそうですがね」 一人で生きている源之丞の言葉。確かにそうである。清吉は新聞の件を心得たといい、山を降りた。 ……全く。俺は忙しいのだ。 山の仕事が忙しい源之丞。そう思いながらも文子の分も食料を得て、この夕刻、帰ってきた。 「おかえりなさいませ」 「これ」 「うわ?それはイワナですか」 魚を驚く文子。狐面の源之丞はニヤリとした。 「おお。これを焼いて食うぞ」 そして二人で焼いて食べた。 「美味しいです」 「そうか。そうか」 むしゃむしゃ食べる源之丞。しかし文子の食は進まなかった。 「いかがした?」 「いえ。美味しいです。食べます」 そうは言っても全然元気のない文子。彼は不安のまま寝床に向かった。 ……あの娘御。外での仕事など、できるのであろうか。 彼から見たらお姫様。厳しい仕事は不向きに見えた。それにしても元気のない様子。彼は文子を案じながら眠りについた。 翌日。清吉は新聞を文子にくれた。しかし、そこには彼女が求める仕事がない様子だった。 ……だから言ったのだ。あんな紙に良い話が載っているはずがない。 ますます元気がない文子。源之丞の胸はチクチク痛んだ。 翌朝。朝飯の後、源之丞は文子に向かった。 「お前。ちょっと来い」 「どこにですか」 しかし彼は彼女を手をつかんだ。そして森の奥へと進み出した。木々を抜け岩を登る獣道。文子は必死に付いていった。 「源様。どこまでいくのですか」 早い足の彼。ついて行くのが大変な文子。やがて、広い野原に出た。 「源様?」 「……着いた。ここだ」 「うわ」 そこには一面の花が咲いていた。源之丞は文子の手を離した。 「どうだ。綺麗だろう」 「はい……どこまでもお花だわ」 女は花が好き。そう思っていた源之丞。文子の笑顔を作るのに成功した。 「はい!それに、これは」 手に取った花。これは薬草だった。 「源様。これは、病を治す薬草ですよ」 「薬草?」 「薬になる草です」 ああと彼はうなづいた。 「そのようだな。この村には医者がいないからな。俺の婆様がどこかの医者から、薬草の種をもらって、植えたと申しておったな」 文子が元気になればそれでよし。これに関して興味のない様子の源之丞。野原に飛ぶ、蝶を追っていた。 「こんなにたくさんの種類があるなんて?すごい」 ……嬉しそうにしておる。笑うとあんな顔なのか。 今まで沈んだ暗い顔だった文子。その彼女の笑顔に源之丞。憂しかった。 「使いたくば、勝手に使え、俺には無用だ」 彼はそういうとそばにあった木に登り始めた。スルスル登るその速さ。文子は驚きで見上げていた。 「源様?何をなさるの」 彼は無言で木々を揺すった。 「きゃあ?これは、(すもも)」 「ははは、ははは!』 源之丞は木々を揺らし、文子に赤い実を落とした。文子は必死に拾った。彼は木からふわと地上に降りた。 「食ってみろ」 「……源様は、これを。甘くて美味しそうですよ」 拾った実。一番綺麗で美味しそうなものを文子は弦之丞に渡した。彼は首をかしげた。 「なぜ一番うまそうなのを俺に寄越すのだ?お前は李が嫌いか」 不思議そうな源之丞。文子は笑った。 「いいえ。大好きですよ。でも、やっぱり旦那様に食べて欲しいから」 「好きなのに?おかしな奴だな……」 そう言って彼は面の口元だけ上げて齧った。 「うん、うまい!お前の選んだのは甘い!」 「よかったですね。それは大きいから」 文子は拾った李を選んでいた。 ……美味しそうなのは源様で。私はこれでいいか。 彼女は形が歪なものや、虫がかじった跡のある李を食べようとしていた。 すると源之丞、じっと文子を見た。 「なんですか」 「これは甘いから。お前が食え」 彼はそう言って食べかけの李を差し出した。 「さあ!食え」 「源様……」 意地悪ではない。食べておいしかったから。文子にあげたいと彼は言っている。文子は受け取った。そして彼のかじり掛けの李を食べた。 「うん?甘い。食べごろですね」 「食ったか。うまいか」 ……私が落ち込んでいたから。ここに連れてきてくれたんだわ。 粗暴であるが優しい源之丞。文子の胸はジンとしてきた。 「はい、源様。文子はこんな美味しい李を食べたのは初めてです」 こうして二人で李を食べた。しかし食べ切れる量ではない。文子はこれを持ち屋敷に帰ろうとした。 「おい。俺はまだ仕事がある、お前、先に帰れ」 「はい。私はあっちの方角ですよね?」 しかし彼は返事をせず。風のようにサッと森の奥へ消えていった。文子はあっけに取られていた。 ……確か。こっちのはず。 連れて来られたので方向に自信がない。文子は必死に歩いて進んだが、山の中で迷子になってしまった。 つづく
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2475人が本棚に入れています
本棚に追加