デートに行こう!

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 そして、俺は回想からようやく今へと戻ってくる。  エプロンを解きつつ、俺の隣に座る女騎士・ソードは繰り返した。 「ですから、ドラゴンはえっちな目を——」 「いやわかった、それはわかったんだけどさ」  そりゃまたどうして? と、俺は熱弁する女騎士をたしなめつつ問う。淹れたてのコーヒーで舌を湿らせ、彼女は続けた。 「まず、竜とドラゴンは全くの別物です」 「へえ。確かにこの世界でもドラゴンと龍って伝承からして違うけど、ファンタジーでは基本どっちかしか出ないんだよな。舞台とかテイストによったりして。どっちも出すと世界観ぶれちゃうしなあ」 「そうなのですね。ですが私の元居た世界——〈アスタリア〉には、ドラゴンと龍、そのどちらもが別の生物として存在していました」 「ほー。明確に違うんだ」 「ぜんっぜんちがいます!」  力強く言い切るソード。その想像以上の勢いに「お、おう……」と若干気おされつつ「具体的にはどう違うの?」というようなことを訊くと、ソードは忌々しい記憶を呼び覚ますように語り始めた。 「なんというか、両極端なんですよ。  龍はかなり偏屈な種族で、もちろん人族に友好的な龍もいるにはいるのですが、それでも人族よりも上位——別次元の存在として振る舞いますし、人族も彼ら龍を崇拝の対象とすらしています。  対して、ドラゴンはちょっと違います。ちょっとというか……真逆ですね。ドラゴンは例外なく、人族の”おっさん”のような性格をしているのです」 「は?」 「ドラゴンは龍に比べかなり温厚で人族との交流も深いのですが、その理由は、彼らが人族の女性に目がないことに起因しています。彼らは人族の女性を、ものすごくえっちな目でひたすら舐めるように見るのです。  辛抱たまらず乱心したドラゴンが、傾国の美女と名高い一国の王女をさらっていった――なんてお話がお伽噺にも残っているくらいで」 「ドラゴンが姫を攫っていくのは定番と言えば定番な気はするけど……なんというか、そっちのドラゴンはものすごく残念なんだな……」 「かくいう私も一度拐われかけたことがあり……その際は、爪を切り落としてなんとか退いてもらいましたが」 「そ、そうなんだ……」  ドラゴンに対して抱いていたイメージが崩れ去っていくのを感じる。  ――とまあ、こんな風に。  俺たちは、俺が書いた設定に女騎士(ソード)が目を通し、気になった点を指摘する、という形で監修を進めていた。  今は九月の一週目。  目下の目標は、今月中に一本企画書を書きあげること。そしてそれを、担当編集である総曲輪庵(そうがわ あん)に叩きつけるのだ。 「……よし、じゃあ、ドラゴンはおっさんキャラにしよう。どちらかと言えばコメディに向きそうな設定だけど、これまでみたいな訥々と話を進める作風とは雰囲気をガラッと変えたいと思ってたし、これくらい振り切ってたほうがいいかもしれない」 「はい、その方がリアルでよろしいかと思います」 「そ、そうだね。うん」  俺は笑顔を引きつらせながら、彼女の指摘した内容をメモする。  それにしても……。 (現実的(リアル)、か……)  今日までの監修でも薄々感じていたことだったが、今日で確信に変わった。  彼女——ソードのいた異世界(ファンタジー)の常識は、必ずしも俺たちの世界におけるファンタジーの常識とは嚙み合わない。  考えてみれば当然だ。  この世界のファンタジーにおける固定概念は何も、ソードのいた世界をもとにして形成されたものではないのだから。  ……それでも。  俺は久しぶりに、自分の心の中に小さな火が燃えているのを感じていた。  それはたぶん、何かを書くということへの熱意。書くことが楽しいという、純粋な気持ち。  彼女の異世界知識は確かに、ファンタジーの固定概念を覆すものばかりだ。  そのまま物語に採用すれば、少なくともこれまでのファンタジーの枠に当てはまらないという意味で、リアルさはむしろなくなるかもしれない。  ——だけど同時に、こうも思う。  それでいいじゃないか、と。  そもそも、ファンタジーなんてもともと非現実なのだ。  俺のデビュー作は、難しいことなんて何も考えず、ただひたすら自身の空想世界を文章にして、物語を構築していたはずだ。そこにはとうぜん設定の粗さや、矛盾もあった。だけど、あの時は少なくとも、書くことを苦しいとは思っていなかった。ただ書くことが楽しくて仕方なかった。  創作は、ただ楽しいだけじゃない。孤独に向き合い、苦しむ時間もある。  だけど、それでも。楽しんで書いちゃいけないってわけでも、苦しんで書かなきゃいけないってものでもないはずなんだ。  俺は創作を始めた頃の気持ちを——忘れかけていたあの熱を、久しぶりに思い出していた。  他でもない、ソードの予想外な異世界事情による監修を通じて。 (当初の目的とは少しずれてきてる気もするけど、ソードには感謝しないとな……)  俺は自然と表情が緩むのを(気持ち悪がられないように……)となんとか堪えつつ、「それ以外に、ドラゴンと龍の違いってある?」と質問する。 「あとは、そうですね。ドラゴンは大陸西方から北方を中心に生息し、龍は東方を中心に生息していましたね」 「ほー。じゃあ、こっちの世界の伝承もあながち間違いってわけでもないのかな」 「そうなのですか?」  手を顎にやって首をかしげるソード女史。あざといな? 「あ、うん。ドラゴンは北欧の、竜は東方の伝承によく登場するんだよ」 「なるほど……もしかするとこの世界にも、かつてはドラゴンや龍が存在したのかもしれませんね」 「どうだろうなぁ……一応大昔に恐竜ってのはいたんだけど」 「ほう! それは……」  恐竜という未知の生物に一瞬目を輝かせるが、こほんと咳払いして努めて真面目な顔に戻る。 「それはそれで興味がありますが、脱線しそうなのでまた今度にいたしましょう……って、導師(せんせい)?」  俺は仕事熱心だなぁと苦笑しつつ、よっと立ち上がって適当な本を見繕い、「恐竜図鑑、暇なときに読んでね」と手渡した。 「いいのですか……!」  ぱぁっと表情を明るくして俺を見上げるソード女史。わかりやすいな? 「いいよいいよ。っていうか別に、俺の許可なんてなくてもこの家にあるものなら何でも好きに使っていいし見ていいから」 「あ、ありがとうございます……!」  彼女はこの一週間、ほとんどのことに対して俺の許可を求めてきた。  しかも、彼女は必要最低限のこと——つまり家事全般と、監修に関することくらいにしか自分の時間を使っていない。あとは常に俺の命令を待っている状態だ。そのせいで、いまだに電子機器の類を俺が作り上げた魔法具だと勘違いし続けている始末で……。  ——それは、あまりに徹底された主従関係の構築。  彼女の生きてきた世界では当然のことだったのかもしれなけれど、ここはもう異世界だ。彼女のいた世界とは違う。  むしろ俺が彼女をここに縛り付けてしまっているのだから、彼女にはなるべく気苦労をさせたくないし、リラックスして生活して欲しい。だから。 (そろそろ、頃合いだろう)  俺はかねてより考えていた、彼女との親睦を深め、彼女にこの世界でもっと自由に生きてもらうための案を実行に移すことにした。 「ソード!」 「は、はい!」  がばぁっといきなり立ち上がった俺に驚きつつ姿勢を正す彼女に向かって、俺は言った。 「デートに行こう!」
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