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雨の配達
街の郵便局であるまひの家は、朝早く夜遅い。そんな環境だからか、まひは隣のおれの家に来ている時間が多かった。まひの親とおれの親。親同士の仲も良かったし、何よりおれもまひも、二人でいる時間が好きだった。だから全然苦じゃない。血は繋がっていないし見目にも似ていないけど、家族とか兄弟以上の関係だと思っている。
まひは郵便配達員になるのが夢だ。親の仕事を継ぎたい、手紙を書く手伝いをしたい、手紙を代筆する仕事もしてみたい。色々やりたいことの尽きないまひなので、親さんに頼んで、時々配達の手伝いをしている。その時はおれもついていく。駆の手紙もその一環だった。
手紙を届けに行く予定の土曜日は、雨降りだった。おれとまひが配達に行く時も、よく雨が降っている。配達といっても、ごくごく近所の人に届ける手紙だけど。
だから、駆の友達に宛てた手紙の配達は、おれとまひにとっては珍しい遠出でもあった。
電車に揺られ、降りてからはバスを使って移動する。駆は今回家の用事かなんかで来られないらしかったので、目的地までの地図や行き方を調べてもらった。
「バス停から少し歩くみたいだね」
車内で地図を眺めながら、まひが呟く。横から覗き込むと、まひが指で道を指し示してくれた。徒歩10分くらい、と。駆の字で書いてある。その手前、バスの時間は20分くらい。停留所の名前がまだ案内板に出てこないから、もう少しかかりそうだ。
「結局おれ、駆の手紙読んでないんだけど。どんなこと書いてあるか、まひは知ってるんだよね?」
「内容一緒に考えてたからね」
「何て書いてた?」
好奇心からそう聞くと、まひは曖昧に微笑んで目を反らした。
「うーん……何だろ、元気にしてるかとか、野球まだやってるかーとか。そんな感じのことかな」
「ふわっとしてるなぁ」
まひがたははと笑った。
「一応、秘密にしといてって言われちゃって。だから僕の口からは説明できないや」
「……ふーん」
駆とまひの間でそう取り決めてあることを初めて聞いた。何となくもやっとしたけど、それ以上は食い下がらないでおく。
窓の外に目をやる。雨粒が吹き付ける窓は、滲んでいてあまり外が見えない。どんよりとした雲がまだ空を覆っていることは何となく見てとれた。
暫く止みそうにないね。まひが呟いた。
「じいちゃんとばあちゃん、来てくれるって言ってた」
まひの声が続く。図書館に行った翌日、おれとまひでまひのじいちゃん宅に手紙を届けた。もう、返事が来ていたらしい。
「返事早かったね。いつ来たの?」
「今朝届いたよ」
そう言うまひの顔はふにゃっとして嬉しそうだった。柔らかなまひのほっぺ。何となく引っ張ったら怒られた。
「かーくんの手紙もさ。ほんとはお返事貰えたらいいんだけどね。今回は今日の明日だし、連絡先だけ書いておいたみたい」
「連絡あれば御の字って感じだよなぁ」
バスの背もたれに身を委ねながら、件の友達の反応を想像してみる。急な遠出になるから、きっと来るのは難しい。 手紙も直ぐには返せないし……せめて電話でのやりとりが関の山だろう。
「それでもいいってことなんだから、やっぱり駆にとっても大事な友達なんだろうね」
「そうかも。かーくん、素直には言わないこと多いから分かんないけどね」
二人してくすりと笑った。
やがてバスが目当ての停留所について、二人傘をさしながら降りる。
駆の地図の通りに進んでいくと、その内に広い河川敷に出た。奥に高架橋と大きな鉄塔が聳えたっている。空が広い。
晴れていたら、さぞや空が綺麗なんだろうな。容易に想像がつく。
「ひま、ひま。あれ見て」
まひの指差す先に、野球ボールが一つ転がっていた。土まみれでボロボロで、よく使い込まれているのが一目で分かる。落とし物だろうか。
「晴れてたら、キャッチボールでもしてみたかったね」
まひがそう言いながら、軽くボールを放って寄越す。左手で受けると、そのまま右手に移して投げ返す。傘が落ちない様に気をつけながら、結局二人キャッチボールを始めてしまった。ボールがあると逆らえない。
「おい、お前ら」
不意に声がして、まひから投げられたボールを取り損ねてしまった。振り替えれば、転がっていったボールは誰かの足元に止まっていた。
明るい髪色に、つり目が印象的な少年。
少年はボールを拾うと、おれに向けて軽く投げて見せる。「ありがとう」と言いながら、ボールを受け取った。
「お前ら、野球好きなのか?」
駆け寄ってきた少年は、おれたちより少し背が高かった。年上、だろうか。
質問に頷いて答えながら、少年野球チームに入ってるのだと続ける。
そう言うと、少年は嬉しそうに口元を緩めた。「俺も野球好きなんだ」と答えるその笑顔からは、何となくおれたちと年の近いのを感じさせるものがある。
「この辺やってる奴が全然いないから、いつも一人で練習してんだよな」
少年はそう言いながら、おれの手からボールを持っていく。どうやら彼のボールらしかった様で、「探してたんだよ」と。
勝手に使って申し訳ないなと思ったので、まひと一緒に謝った。
少年が苦笑する。
「気にしなくていいよ、そんなの。でも、もし時間あるならちょっと俺ともキャッチボールしてかないか?」
「いいね。ただ、僕たち実は今、人を探してて」
さっきまで遊んでおいてなんだけど、本来の目的を忘れてはいないまひだ。
「人探し?」と少年が聞き返して来たので、渡りに船とばかりに尋ねて見ることにする。
「この辺りに住んでる、波那くんって子を探してて」
「俺?」
少年が首を傾げる。おれとまひも首を傾げる。
「俺に何か用?」
「……君が波那くん? なの?」
「そうだよ。来夏波那」
思わず、まひと顔を見合わせた。この子が、駆の。二人してまじまじと見つめると、波那は照れくさそうにはにかんだ。
「そんで、俺に用ってのは」
「あぁ、そうだ。手紙を届けに来ました」
手紙、と波那が呟く。雨がまだ止んでいないので、ここで出すのは少し気が引けた。波那に雨宿りできる場所がないか尋ねると、奥の高架下まで案内された。
持ってきていたタオルで身体を拭いてから、駆の手紙を取り出す。袋にいれておいたから濡れていない。
まひが波那に渡すと、波那は裏面に書かれた名前を見つけて息を飲んだ。まひと、それからおれに目配せをする。笑顔で返した。
「おれとまひは、駆が今いる学校の同級生で、同じ野球チームの仲間なんだよ。今日は駆からのお使いで来たんだ」
「明日、日食があるのは知ってるよね。僕らの街は夜にお祭りするんだ。だから、その招待も兼ねてね」
ふんふんと頷きながら聞いていた波那だったが、恐る恐るといった調子で、封筒の封を開けた。駆からの手紙を取り出し、目で追っていく。
おれはその中身を知らないから、駆が何を伝えようとしているかは分からない。
でも、波那の表情を見ていたら、喜んでいるらしいことはしっかりと伝わって来た。何が書かれているのか気にならないではないけど、聞くのは野暮だなと思える。
横目でまひを見やれば、まひも嬉しそうに口元を緩めている。
気にしないふりをして、前を向いた。
「……紙と鉛筆、持ってないか?」
手紙を読み終えたらしい波那が、真っ先にそう呟く。まひを見やれば、鞄をごそごそと探り、中から便箋と筆箱と封筒を取り出した。流石は郵便局の子……と言っていいのだろうか、何で持ってるんだ。
まひから手紙と鉛筆を受け取った波那だったが、書きかけては手を止めて考えての繰り返しで、中々進まない。見かねたまひが、隣に座りながら呟く。
「伝えたい思いを書けばいいよ」
どんなことでもいいんだ、と。まひが続ける。
「今自分の思ってること、相手に言いたいこと、変に飾ろうとしなくていいよ。順番があべこべでもいい。ただ波那くんの思いがしっかり込めてあれば。きっとかーくんには分かるよ、伝わるよ」
何か伝えたいことはない? まひが聞くと、波那がポツポツと話し始める。野球はまだ続けていること、駆が野球をやめないでいてくれて嬉しいこと。それから、明日必ず、行くと。
まひとおれは顔を見合わせて、思わず笑顔になった。最高の返事だ。
まひが傍で言葉を補いながら、波那の手紙を書き上げていく。おれはそれを横目で眺めながら――というよりは、まひをずっと眺めながら。時折まひの髪に触れてみたり、肩に顎を乗せたりしていた。
手持無沙汰で、妙に長い待ち時間。
雨の音を聞きながらこちらを向かないまひの横顔を眺めていると、少しばかりぐるぐると、頭の中を巡る感情があった。
まひは、すごいな。おれには手紙を書く手伝いなんてできないや。言葉をどう使ったらいいかなんて、おれには分からない。
まひは、優しいな。おれだったら投げ出してしまう気がする。最後まで一緒に寄り添ってあげられるから、相手も嬉しいだろうな。
まひは、まひが――。
少しばかりぐるぐるする心を抑えながら、波那が手紙を書き上げるのを待った。
やがて完成した手紙は、まひとおれが受け取った。駆に渡すことを約束して、少しだけキャッチボールをした。
以前の駆のことや波那のことや。ボールを投げながら一言ずつやり取りする。波那からは、今の駆の様子を聞かれることが多かった。まひと一緒に、出来る限り答えていく。
駆はどこのポジションがやっているか。それはピッチャー。
駆の身長は伸びたか。分からないけど、140は超えている。それを聞いて波那は、「まだ俺の方が高そうだな」と鼻を鳴らした。
おれやまひのこともいくつか答え、やがて波那と別れた。また明日会えるかも知れないと思えば、何となく気は楽だった。
帰りのバス停でバスを待つ間は、二人きりだった。
何となくまひの手を取ると、まひは不思議そうな顔をしたが、拒みはしなかった。まひの指先から熱を感じる。
おれが抱いた、ぐるぐるやもやもやや。うまく言葉にできないから、何も言わずまひの手を擦る。
二人の間に流れる無言が、今は心なしか心地よく思える。
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