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手紙の宛先
波那への配達を終えて帰る頃には、空に晴れ間が戻って来ていた。
便箋を買い足しに行かねばと言ってまひが行ってしまったので、ぶらぶらと散歩しながら駆の家へ向かう。その内に海が見たくなって、海岸へと足を向けた。
海岸には、おれと同じように海を見に来たか、それなりに人気があった。いつもならまひが一緒だから、泳ぎにもでるのだけど。今日はいないから、そんな気分にもなれない。
何となく、海岸へ降りる階段に座り込んで、海を眺めることにする。
人気があっても、あまり声はしなかった。潮騒の方がよく聞こえて、耳をくすぐる。緩やかに穏やかに水面が揺れて、その度に、跳ね返った陽光がおれの目に眩く映る。
まひみたいだな。何となく、そんなことを思う。
「一人とか、珍しいじゃん」
頭上から声が降ってきて振り向けば、買い物帰りらしく袋を携えた駆がいた。「よっ」と片手を上げると、そのまま何も言わずに隣に腰を下ろす。
一連の流れを見届けてから、遅れて「よぉ」と返事した。
手紙は……後でもいいか。駆は何か話でもあるのかも知れない。そう思って暫く待ったが、駆が口を開くことはなかった。たぶん座りたかっただけだなと、自分で得心をつける。
今はそんなにおしゃべりをしたい気分ではなかったから、駆のこの沈黙はありがたかった。
紺碧の海に目を向ける。
日差しが温かいから、きっと今日の海はそこまで冷たくはないだろう。泳いだら、気持ちいいだろうな。
まひがいたら直ぐにでも飛び込むのに。
「手紙出す相手、決まったのか?」
駆を見やれば、買って来たものなのかコロッケを頬張っていた。「やる」とだけ言って、もう一つ包みを渡される。中に同じコロッケが入っていた。
さんきゅーと言いながらかぶりつく。熱や味が口いっぱいに広がって、美味い。
「まだ決まってないけど、元からバックレようかなってちょっと思ってた」
質問の答え。食べながら返す。駆が「へぇ」と呟いてコロッケにかぶりつく。目は海を捉えたままだった。
「家族とか、誘いやすい人に書けばいいんじゃねぇの。最初からやらないってのも、何かお前らしくない気がするけど」
痛いところをつくなぁと思いながら、おれもコロッケを平らげていく。
家族……誘いやすい人、か。どうだろうな。自問して、首を横に振った。
「何か、家の人に渡す気になんなくて」
「うまくいってねぇの?」
「んー、そういうわけではないんだけど……」
仲悪いの、と聞かない辺りが駆らしいなと思いつつ、おれは説明を続ける。
「何だろ、はっきりした理由はないんだけどさ。おれの家、人が多くて。親もだし、親戚もいるし、じいちゃんばあちゃんもいて。仲悪くはないけど、何か居心地悪くてさ」
「大家族みたいな」
「うん、そういう感じ」
親が嫌いだとか、親戚に苦手な人がいるとか、そういうわけではない。仲は悪くないと思っている。一緒に住んでるくらいだし、寝食を共にしているのだし。
「でもやっぱりさ、一緒にいる時間が長いと色々ある」
喧嘩もする、機嫌を窺ったりもする。普段は優しい叔父さんが、機嫌が悪い時は何本も煙草を吸ったりもするし。酒が入るとダル絡みしてくる人もいるし。じいちゃんなんかは、おれと親戚の兄ちゃんをいつも間違えるし。
「一人になりたい時に、一人になれなかったりしてさ」
顔色を窺うのに疲れてしまう時があって。
「だから、まぁ。嫌いじゃないけど、家の人と一緒にいるくらいだったら、まひと一緒にいる方が楽だし楽しいなって」
「家隣同士だっけか」
「うん。いつもまひの部屋にいるよ、おれ。もはや住んでる」
まひの家もまひの家で、仕事が遅くなったりすると晩御飯が二十一時近くなってしまうなんてことがざらにある。だから帰りが遅い日は、まひがおれの家に来て一緒にご飯を食べる。それでおれはまひと一緒にまひの家に行って、一緒にお風呂入ったり、遊んだりして、一緒に寝る。それくらい、おれとまひの家は関係が近い。
血の繋がりはないけど、まひはおれにとって一番に大切な、家族。
「家の人に手紙出すのは、そんなんだから、ないかな。一緒にお祭りとか嫌だし」
「他に出したい相手はいねぇの」
「……どうかな、分かんない」
分かんない、分からない。おれは駆みたいに、無事を知らせたい相手もいないから、誰に出せばいいか分からない。 だからバックレようと思った。書けてない振りをして、白を切り通そうとしている。
「いけないのはもちろん、分かってるけどね」
先生に叱られるだろうなぁと呟くと、駆がおれの背中をポンポン叩いた。慰めてくれている、のだろうか。たぶん、そう。駆は口には出さないけど、気遣いができる奴だから。
駆の手が止まって、また二人で海を……それから空を眺める。雲がだいぶ減った空は、青々と瑞々しく映る。
明日、あの空に浮かぶ太陽が見えなくなるのだと思うと、不思議な気分だった。
一時ではあるけれど、おれたちの街はきっと、夜が来た様になるのだろう。それからどうなるのかおれにはよく分からない。分からない、けど。
「……そういえば、波那くんに会ったよ」
不意にそう言うと、駆は動揺したように「お、おぅ」と呟いた。手紙を取り出して渡す。駆が手紙を読み終えるのを待つ。
頭を掻きながら、「楽しみだ」と。珍しく素直な反応だった。
きっとこれは、一生で一度きりの一瞬になるのだろう。日食に出会う機会はこれからもあるかも知れないけど、今この街で暮らすおれ達が、この場所で誰かと見られる機会は、きっと今回限りだ。
――その瞬間を、共にしたい人に手紙を。
不意に思い出された言葉があった。
おれの悩みなんてたぶんちっぽけだ。海と空を眺めていると、そんな風に思う。
だからたぶん、おれのこのもやもやも、ちっぽけなことのはずなんだ。
だけど、駆や波那と一緒に笑っているまひを見ていたら、何故か落ち着かないのだ。何となくチリチリした。不安なような、怖いような、変な心地で。
まひには言えないなぁと思いながら、ならどこにこの感情をぶつければ良いのか自分でも分からなくて。
「……まひ、一緒に日食見てくれるかなぁ……」
漏れた言葉に、駆は何も言わなかった。言葉の代わりに、また背中をポンポンと叩いた。それからわしゃっとおれの後ろ頭を撫でた。くすぐったい。
「んなこと、心配しなくてもいいだろうに」
お前も難しい奴だね、と。
駆は呆れた様に苦笑する。
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