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⑤畏れを知らずに
燿一郎が学園に来てから三ヶ月が経とうとしていた。
もうすぐ夏休みを迎えるとあって、学園内は浮かれた空気に包まれていた。
エスカレーター式の学園は、ほとんどの生徒がそのまま系列の大学に上がるので、受験の殺伐とした空気とは無縁だ。
外国でヨットだクルーザーなんて話を誰もが競うそうに話していて、そんな空気が苦手で俺は教室から抜け出した。
「はぁ……」
最上階の非常口を出て、手すりにもたれながら外の景色を眺めた。
学園は高台に建っているので、眺めだけはいい。
ここは非常用に使われる階段で、偶然鍵が壊れているのを発見してから俺の休憩場所になっている。
旧校舎に抜ける造りになっていて、使われていないので人は滅多に来ない。
今家の中の空気は最悪だ。
父が家に帰って来なくなり、三週間目に突入していた。
以前から家の空気はひどいものだったが、これで決定的になった。
さっさと離婚してしまえばいいのにと思うが、母にとって草壁の名でなくなるのは、自分を無くすのと同じくらいのものなのだろう。父もまた、母の実家との仕事上の繋がりがあり、追い出すことはできない。
歪な家族の中で優秀な息子を演じるのもあと少しだ。
荷が下りるとか解放されるという気持ちはない。きっと全部無くして何でもない人間になったとしても、草壁である事は変わりない。
事あるごとに俺の後ろに張り付いて、苦い思いだけ口の中に広がっていくだろう。
もうすぐ次の発情期が来る。
この頃になると、母は決まって機嫌が最高に悪くなる。
ゴミを見るような目で見られるのに、今の状態でこれ以上悪くなるなんて最悪だ。
どこかホテルにでも避難しようかと思っていたら、非常口のドアがガタンと音を立てて開いた。
「よう」
小さなドアからのっそりと出てきたのは、燿一郎だった。
「なんだ…二組も自習か」
「ああ、何でも問題起こした生徒がいるとかで緊急会議だってさ」
この非常階段はすでに燿一郎に知られていた。とにかくコイツは鼻がよすぎて俺の場所がすぐに分かってしまうのだ。
「言っておくが俺じゃないぞ」
俺の目線に気がついたのか、燿一郎は無罪だと手を振って見せた。
暴れん坊だと聞いていたが、少なくとも俺とつるむようになってから、燿一郎が暴れたような形跡はない。
ずいぶん大人しいと拍子抜けしたくらいだ。
まさか、本当に俺で発散しているからなんて思いたくなかった。
「柊、もうすぐ発情期だな」
俺の横に並んで来た燿一郎が、くんくんと首の匂いを嗅いできた。犬かよと思いながら振り払うと、今日は冷たいなと言って、デカい図体で子犬みたいな目で見てきた。
「計算してたのか?」
「いんや、匂いで分かる。まぁ、俺くらいだろうけど」
そう言いながら燿一郎は、ゴソゴソとポケットをまさぐって、黒い紐のようなものを取り出して、それを俺の手の上に乗せた。
「なんだ…これ」
「首輪だ。発情期はマジで抑えがきかなくてヤバい。前回は自分の腕でしのいだけど、今回はお前のこと噛まないでいられる自信がない。普段は付けなくてもいいが、発情期だけは付けてくれ」
顔の前に持ち上げてみると、薄い皮を伸ばして作られたチョーカーのようなものだった。付けている人を見たことはあるが、実際に手に取ったのは初めてだった。薄いがよく伸びて強度もありそうだ。こういった物はかなり高そうだと思った。
「ていうか……、俺の発情期に付き合うつもりか? 俺は薬でほとんど抑えられるし……」
「あれを飲むのはやめろ。調べたらかなり強くて後遺症で訴訟にもなっているやつじゃないか……。どうせ、お前の母親が押し付けてきたんだろう」
確かに強い薬は体に合わなくて、頭痛と吐き気に悩まされる。しかし、あれがないと完璧に抑えることができないのだ。
「発情期の間はウチに来い。俺が相手をしてやるから。どうせ、一週間くらい休んだって、伯父さんに頼めば上手くやってくれるだろう」
「…………燿一郎、なんでそこまで……」
燿一郎は俺の手から首輪を取って、勝手に付けてきた。
首元でカチリと音がして、なぜか体がビクッと揺れた。
「言っただろう。俺の女だって。こういう時、頼りにならなくてどうするんだよ」
言いながら燿一郎は俺のうなじに歯を当ててきた。ガシガシと噛まれているような感覚がするが、どうやら首輪を噛んでいるらしい。強度を確かめているのかもしれないが、まるで本当に噛まれているように錯覚しそうだった。
「あーやべ。噛んでたらマジで興奮してきた」
「お前なぁ……頼りになるどころか……」
「ほら…、もうこんなんだし」
硬くなった下半身を押し付けられてため息を吐いた。
「いいだろ、お目付役さん」
都合のいい時にその言葉を使うのでイラっとくる。しかし、今日みたいなモヤモヤした日は、何も考えられないくらい、めちゃくちゃにして欲しいという気持ちが出てきてしまった。
「……一回だけだ」
「柊……マジで最高」
ここでヤったことは初めてじゃない。さすがに授業の時間にはなかった。お互い自習であるが、前戯にかける時間はないので、すぐに後ろをほぐされた。
すでに発情期の前兆がきていて、俺の後ろは少し指を入れられただけでとろとろになった。
「うっ……やべっ……ナカ…ヤバすぎだろう。もう例のやつがきてるぜ」
すでにガチガチになっているモノを、燿一郎は容赦なくズブズブと挿入していった。
全部入ったらわけの分からないことを言い出した。
「…な……なんだ…よ。例の…やつ……って」
「発情期のナカってヤバいんだよ。回転するようにうねってきて搾り取られるみたいに、生き物でもいるんじゃないかって…」
「ばっ…気持ち悪いこと言うなよ」
「しょうがないだろう…、いつもイイけどさ、あれはヤバい。マジでぶっ飛ぶから。それか…もう…ちょっと…きてる」
ヤバいヤバいと言いながら、燿一郎は夢中で腰を振ってきた。
激しく打ち込まれて、一気に高められた俺は、前を掴まれた刺激だけで達してしまいそうになった。
「はっ……くっ……燿一郎…俺……」
「ああ…俺も……もう出そう」
ただ突っ込んで出すだけの性急すぎる行為。
それがモヤついた今の頭をちょうどいいくらいに空っぽにしてくれる。
燿一郎の動きがめちゃくちゃに激しくなり、俺は大きな声をあげないように口に指を入れて耐えた。
「くっ…イク」
燿一郎はよほど気持ちが良かったのか、腰を揺らしながら射精していた。腸壁をコレでもかと熱い飛沫が襲ってくる。
その波に押されるように、俺も白濁を放った。
その後はただお互いの荒い息遣いしか聞こえない。
この瞬間がなにより満たされて、好きだった。
「悪かったね、また急に呼び出して」
翌日、伯父からの呼び出しがあって、俺は理事長室に顔を出した。
今日も完璧にスーツを着こなした伯父は、ビシッとしたスーツとは対照的に疲れたような顔をしていた。
「何か、生徒が問題を起こしたとか…」
「ああ…、生徒がではなくて、学園の近辺でうちの生徒を狙った暴力事件が起きているんだ。警察との連携とか、保護者への対応もあって色々とね……」
頭に手を当てた伯父の顔色はいつもより悪く見えて、俺は心配になってきた。
「何か俺にも手伝えることがあれば……」
「いや、これは危険だからね、柊には頼めない。今日来てもらったのは美佐子さんのことだ。六郎が帰ってこないらしいね。ずいぶんと精神的に参っていたから家を離れるように勧めたんだ」
「母に……ですか?」
「ああ、今回どうやらアイツは本気らしい。もともと、二人の仲を引き裂くように決められた結婚だったからな……。あぁ、君にこんな事を話すべきではないな……」
「いえ、教えてください」
子供に話す事ではないと思ったのだろう、俺の真剣な目を受けて伯父は一度目を伏せた後、分かったと言って頷いた。
「美佐子さんはもともと幼い頃から私の許嫁でね。大学を卒業後に結婚する予定だった。だが突然、美濃家の縁談の話が来たんだ。うちの両親は逃したくないと私との結婚を決めてしまった」
美濃家といえば、国に一番影響力があると呼ばれる古くからある名門の上位家だ。そんなところから声がかかれば大慌てだろう。
「美佐子さんのご両親とは、代わりに弟の六郎と結婚させるという事で納得してもらい話が進められた。本人達の意向は無視、まぁそういう時代だった。私達も恋愛と言うよりはまだ兄と妹のような清い関係であったから、何とか気持ちを抑えることができた。だが、六郎は恋人だったオメガの女性とすでに番の関係の状態だった。それを両親が無理矢理引き剥がした。相手は何の力もない普通の家庭の女性で、二人の関係には元から大反対だったから、上手く鞘に収まったと両親は笑っていたよ」
今は多少柔軟な考え方に変わってきたと聞いているが、それでもアルファであったり、優秀な血にこだわりを持っている家系だ。
昔はもっとひどいもだったのは想像に難くない。
それでも無理矢理に番を解消させるとはひど過ぎると思った。
「三人、とにかく三人子供を作れ。そうすれば自由にしていいから。それが両親が言った条件だった。だから六郎はその通りに……」
「それじゃ……母があまりにも……!!」
「そうだ。だから私はなるべく美佐子さんの力になりたいんだ」
犠牲、という言葉が頭に思い浮かんだ。
母があんなにも優秀なアルファにこだわるのは、少しでも草壁の家の存在として認めてもらいたかったから、それは思った以上に深かった。
「長男の稜くんだが、子供が生まれるらしい」
「えっ……兄が……」
「ちょうどいい機会だから、向こうも期限を決めずに来てくれと言ってくれていてね。行く事を勧めた。私が気がかりなのは柊のことも同じだ。美佐子さんは君を受け入れることができなくて辛く当たっていただろう。それに、一人で暮らすのは……」
「大丈夫です。俺のことは…心配しないでください」
上手く笑えただろうか。俺の貼り付けた笑顔に伯父は痛々しそうな顔をしたが、分かったと言ってくれた。
「通いの家政婦はいるだろうが、一人暮らしじゃ何かと不安だろう。よければうちに来ないか?」
「いえ、大丈夫です。その方が気が楽なので……。ご心配ありがとうございます」
何かあったらすぐ連絡するようにと言われて、伯父との話は終わった。
初めて聞く話にショックが隠せないというのが本音だった。
父のことは無関心になって、ずっと考えないようにしていたが、理解するには難しいが父にも事情があった。
だが、父にとって俺はなんだったのだろう。
自由になるための三枚の免罪符。その一つでしかなかったのなら悲し過ぎると思った。
「悪い、今日委員会なんだ。気をつけて帰れよ」
「おう、じゃあな」
今週からクラス委員になった悠真は、授業が終わるとすぐに資料を抱えて、忙しそうに教室を出て行った。
面倒な仕事だと誰もやりたがらなかったクラス委員だが、悠真は喜んで手を上げた。小学生の頃から、まとめ役として目立つことが多かった。そういうのが好きなんだと本人も言っていて、それは高校生になっても変わらない。
いつも学校帰りにくだらない話をして帰るのは、俺にとって気の抜ける時間だったが、友人の頑張りは素直に応援したい。
いつも通り鞄を持って一人で教室を出た。
廊下に出ると、燿一郎のクラスはまだ授業中だった。
同じ学年でもクラスで時間割が異なり、曜日によって終了時間も違う。
燿一郎とは家も学園を挟んで逆方向なので、時間が合っても一緒に帰ることはなかった。
違和感は学園を出てすぐに気がついた。
姿は見えないが、生徒を物色するようなネットリとした視線を感じたからだ。
すぐに伯父が言っていた件が頭に思い浮かんだ。恐らくターゲットは一人でいる大人しそうな生徒。
俺はわざと、一人でいるところをアピールするように、しばらく校門の前で立ってから、背中を丸めて下を向いて歩き出した。
歩きながら悠真にメールを打っておいた。生徒を狙う集団がいるなら、現行犯を一網打尽にした方が手っ取り早い。
囮になって伯父の力になれるなら、好都合だと思った。
商店街を抜けたところに、工事がストップしてからそのままになっている資材置き場がある。
周りも雑居ビルや空き地になっているので、人目につきにくくてちょうど良さそうな場所だ。俺はわざとそこに向かって歩いた。
後ろから付いてくる数名の足音。上手く引っかかってくれた。
「ううっ…」
資材置き場に着く前に、俺の足は止まった。
キテしまった。
こんな時に……。
いつも薬によって管理していたので、周期は規則的で、今週末に来る予定だった。
いつも朝起きるとその前段階があって、すぐに本格的なものになる。
なぜ、という思いが頭を駆け巡った。
考えられるのは燿一郎との関係だ。
番の関係ではないが、定期的に行為に及ぶような相手ができてしまった。
抱かれることに慣れた体。
その変化が俺の周期を乱した。それしか考えられない。
足が重くなって前に進めない。
抗うことができない。
前段階の震えがきてしまった。
「おい、お前。緑光の生徒だろう。お前のところの生徒に怪我をさせられたからさぁ。慰謝料集めてんの。お前も大人しく……」
俺の足が止まったからか、追いかけてきた男達が前に回り込んで来て行く手を塞いだ。
「お前…!? この前の!!」
熱くなり始めた頭にぼんやりと記憶が浮かんで来て、いつだったか燿一郎に絡んで殴られた不良の男だと分かった。
なるほど、やられた恨みを返しているのか知らないが、こいつらの仕業だったのかと頭の端では理解した。
しかし、そろそろ限界がきていた。
内部に溜まりに溜まった熱が一気に解放された。ブワッと体から飛び散るように周りに広がったのが分かった。
「うわっ…!! なっ…なんだ!?」
俺のフェロモンをモロにくらった男達が尻もちをついて地面に転がった。
男達は全部で五人。誰のフェロモンも感じないので全員ベータだと思われる。
発情期の開始のフェロモンは一番濃くて強烈なので、ベータも反応してしまうのだろう。
全員股間を押さえていた。
「……こいつ、オメガだぜ」
「ちょうどいいじゃねーか。俺達が遊んでやるよ」
そこはちょうど人気の少ない雑居ビルの前だった。襟首と腕を掴まれて、俺はビルの中へ連れて行かれた。
悠真に連絡した資材置き場まではまだ少しある。教師を連れてきてくれたとしてここが分かるだろうか。
一階にある閉店した元スナックのドアを壊した男達は、中に俺を投げる様に押し込んで、俺は埃っぽい床に転がった。
「おい…密室やべぇぞ……匂いが……」
「何だこれ…頭が痛くなる、チンコがヤベェ破裂する」
床に転がった俺は、男達に囲まれた。密室で俺のフェロモンをもろに受けているヤツらは、興奮し過ぎて全員目が飛んでいてた。涎を垂らしながら、荒い息を吐いていて、もうヤルことしか頭にないのだろう。急いでカチャカチャとベルトを外す音やズボンのチャックを下ろす音が聞こえてきた。
「…ち……ろ、…よ……う…………ろ…」
俺は朦朧とする意識の中で、俺は名前を呼んでいた。
熱に支配された頭に浮かんで来たのは、燿一郎の顔だった。
喉の奥まで熱くなってまともな声が出せない。
それでも俺は、うわごとのように燿一郎の名前を呼び続けた。
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