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⑦独占欲は隠さないで
何でこんな事になってしまったのか。
俺は背を低くして、植木の間を進んでいた。
時々顔を上げて周りに人がいないか確認してから移動する。まるで忍者のような動きに、我ながら悲しくなって、しゃがみ込んだままため息をついた。
「ねぇ、草壁君いた?」
「いなーい。帰っちゃった?」
「えー、ショック! 撮りたかったのに!」
聞こえてきた声に胸がヒヤッとして、両手で口を押さえて固まった。
勘弁してくれと思いながら、人の気配が消えるまで目をつぶって耐えた。
発情期が終わって、燿一郎との微妙な空気は続いていた。クラスが違うので顔を合わせる事は少ないが、すれ違う事があっても、向こうは俺のことなど見てはくれないのに、俺はさりげなく目で追ってしまう。
分かっている、軽率な事をしたのは俺だ。
自分で解決できる能力もないくせに、勢いだけで突っ走ってしまった。
結果、燿一郎にも、悠真にも迷惑をかけてしまった。
悠真から話を聞いて、燿一郎が怒るのも当たり前だと気がついた。
俺を襲ったヤツらは、駆けつけた警察に捕まって連行された。悠真が対応してくれて、俺も体調が戻ってから話を聞かれた。
やはり、緑光の生徒が気に入らなくて、カツアゲを目的として度々生徒に絡んでいたらしい。
そちらの件は解決したが、自分の方は全然だった。
俺は自分でも嫌になるくらい臆病でどうしようもない人間だ。心配をかけたことを謝るべきなのに、声をかけることもできない。
まるで最初から何の関係もなかったみたいに、俺達の間には深い溝ができてしまった。
悲しくて寂しくて、辛かった。
それでも学校生活は変わりなくやってくる。
学園では夏休み前のイベント、夏祭りが始まった。
そもそも最初は試験が終わった後、一部の学生達がふざけて始めたもので、それが大きくなったものだ。
舞台が用意されて、歌だったり、ダンスだったり、男も女も自信のあるやつが自由に好きな事を披露する。それを飲み食いして眺めるだけのものだったが、誰かが悪ノリで始めたミス・ミスターコンテストがメインイベントになってしまった。
しかもこのコンテストはただのミスコンではない。悪ノリがもっと悪化してしまった。男女逆転のというところがポイントで、事前に投票でクラスで誰を推薦するか選ばれる。
そして選ばれた者は、女子は男装、男子は女装で登場して、その出来具合をクラス単位で競う事になってしまったのだ。
俺のクラスから選ばれたのは、女子は背が高くて凛々しい顔の子で、男子は細くて背の小さい童顔のやつだった。
自分には関係ないし、くだらないお遊びだと思っていた。最近は燿一郎のことで頭がいっぱいだったので、今日は早く帰ろうなんて考えながら登校した。
クラスに着いてドアを開けると、教室内は重苦しくて、何とも言えない空気に包まれていた。
「どうしたんだ? なんでみんな元気ないんだよ」
席に着いて悠真に声をかけると、ミスの方に参加する男が、食あたりで突然の欠席になってしまったと言われた。
最下位のクラスは夏期休暇中の研究レポートが追加されるというありがたくない罰が待っているらしい。
ちなみに優勝賞品は既に出されているレポート免除というふざけたものだった。
出場者なしなら必然的に最下位だろう。
「そうか…、まぁレポートくらいなら大した問題には……」
「大問題だよ、草壁」
課題が追加になるくらいと考えてポロッと口から出た言葉だったが、気がついたら俺の机がクラスの連中に囲まれていることに気がついた。
「俺達の夏を守れるのはお前しかいない」
「草壁君お願い…、もう草壁君しかいないの」
「えっ…………」
机の周りに伸びた影がどんどんと近づいてきて、ついに俺の腕を掴んだ。
「嘘だろ……下着まで女物って……」
「全部新品だから。ラインが違うのよ。お願い……協力してくれるんでしょう」
涙目の上目遣いで、俺を見上げてくる女子達の頼みを断りきれずに、俺は渡された紙袋を手に取った。
特別な衣装はない。
男と女、それぞれ制服を逆転するだけ。
ムキムキのマッチョなやつが、女子の制服を着るという笑いに特化するクラスもあるが、そういうやつはだいたい明るい性格でもともと人気者だったりする。
だからウケるのだ。
残念ながら、うちのクラスにそういうタイプはいなかった。
ならばと代役として、白羽の矢が立てられたのが、背格好と容姿が違和感が少ないという理由で俺だった。
正直断りたくて仕方がなかった。今までの俺なら、にべもなく断っていたと思う。
しかし、燿一郎との事で、俺は自分の性格を見直そうと思っていた。
他人を受け入れず意見も聞かず、自分一人で判断してきた事を変えようと思っていた。
だから、これは周りの人間と打ち解ける良いチャンスかもしれない。
そう思って頷いた。
そう…思ったのは確かだが………。
レースかあしらわれた紫色のブラジャーと、セットのパンツ、しかもTバッグ。
袋の中から出して、眺めていたら胃痛がしてきて、しばらくうずくまって腹を抱えた。
その間も、草壁君まだ? と支度担当の女子から声がかかり、泣きそうになりながら、よく分からない下着を何とか身につけた。
そこからはあっという間だった。卒業生の寄付の中から用意した、女子の制服である白のワンピースを着せられて、白いハイソックスに付けられた。
軽くメイクをされて、黒髪ストレートのロングヘアのウィッグ付けられたら完成だった。
「嘘……確かに素材はいいけど、男の子だし…と思っていたけど、想像以上かも……」
「違和感が少ないとかそんなレベルじゃない……。完璧! 美しすぎる! 絶対優勝できるよー」
支度を手伝ってくれた女子達は、バシャバシャと遠慮なく写真を撮って盛り上がっていた。
スカートを履いたのなんて生まれて初めてだ。この風が入ってくる感覚が慣れないし、何しろ下はあのパンツだから、アソコが擦れて気持ち悪いし、頼りなくてしょうがない。
ひどすぎる自分しか想像が出来なくて、鏡を見る事は拒否して、早速会場に向かった。
「うわぁ! 誰かと思った。すげぇ…似合いすぎるよ柊」
出場者の列に並んでいたら、クラス委員として走り回っていた悠真が俺の顔を見にきた。
大口を開けて驚いているところを見ると、とりあえずは大笑いはされずにすみそうだ。
「……これ、九鬼がいたら見たかっただろうな。残念ながらアイツは今日は休みらしいね」
「いっ…別に……いい。むしろ…見られたくない。恥ずかしいし……」
燿一郎がいないと聞いてホッとした。
一度呼び出して話がしたかったが、こんな恥ずかしい姿を見られたらふざけているのかと言われそうだ。
とにかく、最下位だけは免れればそれでいい。
舞台に上がれば、クラス名だけ書かれたプラカードを持たされて、それを見やすいように掲げるだけの簡単な演出だった。
打ち合わせ通り全員で舞台に上り、クラス名をアピールした。
個人の紹介などもなかったが、やけに視線を感じた気がした。
そういえば、お笑い担当のやつが隣にいて、わざと変な動きをしたりして会場を沸かせていたのでそのせいだと思った。
ミスターの方は、それはそれで盛り上がって、消えてしまいたい時間はやっと終わりを告げた。
はずだった。
何とうちのクラスが優勝してしまったのだ。
何の芸もなく、俺はただ無心で出ていたのだが、ミスターの方の子はかなりカッコいい仕上がりになってた。
それが勝因だったのかよく分からない。俺も多少は貢献したようだ。
優勝は良かったが、しかし問題はその後だった。
祝い会をやるとか言って盛り上がって、さっさと脱いで帰りたかったのに、女の格好のまま強制参加させられた。
女子に囲まれて触られるし、男もどうなってんのと言いながら勝手にベタベタと触ってくるので、耐えきれなくなった俺は会場を飛び出した。
ダメ押しに誰だか分からないが、スカートを捲られそうになって叫んで逃げたのだ。
もうこんな事耐えられない。
植え込みの中に隠れて、しくしくと泣いていた。俺の着替えは教室にある。頃合いを見て戻るかと考えて、俺は悠真に電話をした。
「悠真、悪い。教室にある着替えを、西棟の一階まで持ってきて欲しいんだけど」
「あー…、ごめん。これから撤去作業で抜けられないんだよね。あっ、他のやつ行かせるから…。中庭にいるんだよね。しばらく待ってて」
「あ、おい……」
サクッと切られてしまった。どうやら忙しいらしく、周りもガヤガヤとうるさかった。しばらく、というのがどくらいか分からないが待つしかない。
静かに息を殺しながら膝を抱えて、誰か来てくれるのを待った。
三十分くらいだろうか、このまま寝そうなるくらい待たされてウトウトとしていたら、じゃりじゃりと中庭の細かい石の床を踏みしめる音がしてきた。
「柊、いるのか?」
聞こえてきた声に、俺の心臓は飛び出そうになった。まさか、他のやつって、まさか…そんな……。
「相沢から連絡があった。調子が悪くて動けないって……、いないのか?」
信じられない。
確か今日は休みだと聞いていた。という事は、わざわざ俺の事で呼び出されて、学校まで来てくれたということだ。
そしてまた、ピンチに現れてくれる男である。
「……なんでお前来たんだよ。休みだったんだろう」
「なんだ、いるじゃないか。サボりだよ。聞いただけでつまんなそうなイベントだったから、姉貴の店手伝ってたんだ。そんで、急にお前が大変だから相沢から早く来いって連絡があって……」
じゃりじゃりと足音が近づいてきたので、俺は燿一郎に待てと、その場から動かないでくれと言った。
「燿一郎……、俺のこと怒ってるだろう。それなのに……来てくれたのか?」
「……ああ、……いや、でも……俺も大人気なかった。お前の気持ちを考えずに怒鳴り散らしたりして……タイミングが分からなくて…声かけれなくて……」
本当なら顔を見て謝りたかった。
燿一郎が来てくれたと思ったら、嬉しくなってしまった。こんな状況でもなかったら飛びついてしまいたくなった。
「違う……。俺が…俺が…全然考えてなかった。心配かけて……ごめん。燿一郎は、いつも…今だって……俺を助けてくれるのに。俺はいつも自分の事ばっかりで……」
「柊…? 泣いてるのか? おい、ちょっと…なんで動いたらダメなんだよ」
「じ…事情があって……、先に俺の教室に行って、机の上から袋を取ってきてくれないか? 服が入っていて……」
「服? 柊…、もしかして…誰かに何かされたのか!? 服がないって! 何も着てないのかよ!」
燿一郎は盛大な勘違いをして、ズンズン近づいて来てしまった。
「だっ…ダメだって!! 今ひどい格好をしていて……こんなの恥ずかしくて…お前に見せられな……」
ザッっと足音が止まったので、恐る恐る見上げると、植え込みの中で隠れている俺の目の前に燿一郎の姿があった。
逆光で顔はよく分からないが呆れているだろうと思った。
「……あ……、俺のクラスの出場者が急に休んじゃって……。代わりに俺が……。あまり見ないでくれ……もう…やだ」
「………なんでだよ。柊……、そういうの嫌いなくせに……」
燿一郎の声は呆れているというか、また怒っているような低い声だった。
せっかく目の前に来てくれた事だし、俺は腹をくくって口を開いた。
「は…初めは、伯父さんの頼みだったけど、俺……もう、ちゃんと燿一郎のこと好きだよ。フリとかじゃない、燿一郎は……俺の運命じゃないかって…思うくらい、気がついたらもう目が離せなくて……。でも、燿一郎に怒られて、やっと気がついたんだ。俺、自分一人で何でもできるって突っ走って……、心配してくれる人の事、考えてなかった。だから…迷惑かけないように、ちゃんとしようって……。もっと周りと打ち解けて、人の事考えられるようにしようって……だから、その…これは……」
必死に何とか伝えようと話していたら、さっき出てきた涙の残りがポロリと頬をつたって落ちていった。
燿一郎はずっと無言で話を聞いてくれていたが、突然ガクンと膝から落ちて俺と同じようにしゃがみこんだ。
しかも頭を抱えて大きなため息をついた。
まさか、俺のことが嫌い過ぎて、怒りでおかしくなったのかと、胸がキリキリと痛くなって思わず手で押さえた。
「はぁ……、違うんだよ」
「……え?」
燿一郎は頭をかきむしるように自分の髪をぐしゃぐしゃにした。
「周りとかそういうのはいいんだ。柊は……俺のことだけ……考えていればいい」
「は?」
「あーもー! だから! 他人の事はどうでもいい! 俺のことを想って心配して頼りにして、嫉妬して……頭の中、俺のことだけ…考えて欲しいんだよ……。あーなんて狭量な男なんだ。言っててカッコ悪すぎる」
怒っていると思われた燿一郎は、真っ赤になって気まずそうな顔になっていた。
そんな事を考えるなんてと、俺の期待はどんどん膨らんで心臓が高鳴っていく。
「今何を考えているか、柊が知ったらドン引きするぞ。その…格好を……学校のヤツらに見られたと思ったら、腹が熱くてたまらない…。全員の記憶を消してやりたい……」
「燿一郎…もしかして…、俺のこと……」
「す…すき…好きだ」
いつも堂々とした燿一郎はどこかへ消えてしまったようだ。目の前に見えている男が同一人物か疑ってしまうほど弱々しく、小さな声で口ごもりながら告白してきた。
「えっ! うっ…嘘!?」
「嘘って…、なんで柊が疑うんだ」
「だって……、あの時、俺があんなに好きだって言っても、一言も…返してくれなかったじゃないか!」
「あっ…当たり前だろう! 発情している時なんて、酔ってるみたいなモンだし、俺が強引に押したから……柊はてっきりフリを続けているのかと……。そんな状態で好きなんて……言いたくなかった。俺はちゃんと、いつもの柊に戻った時に……言いたかった」
最初は勢いよく話し出したが、最後の方はボソボソとまるで言い訳をする子供のような燿一郎が、驚きよりも可愛く思えてしまい胸がきゅっと締まった。
思わず近寄って手を伸ばして、頭を撫でてしまった。
「なに……やってんだよ」
「可愛いなと思って」
それはお前だろうと言いながら燿一郎は俺の腕を引っ張って、抱き寄せて自分の胸の中に入れた。
「…ったく。俺の柊になんて格好を……、美少女って、ヤバすぎるだろ」
「びっ……や…やめろよ」
変なことを言うのはやめてくれと、俺は真っ赤になって、泡でも吹きそうになった。
「俺だって…早く着替えたいんだよ。クラスの女子に追われてるんだ。写真撮りたいって迫られて、これ以上汚点を残したくない」
チッと舌打ちした燿一郎は周りを確認しながら、とりあえず人目のないところへ避難しようと、近くの空き教室まで俺を連れてきた。
そこで隠れて待つように言われてしばらく待つと、着替えの制服が入った袋を持って来てくれた。
待っている間に何とかウィッグだけは外すことができた。
何ヵ所もピンで止めてあり、外すのが一苦労だった。もう二度とこんなことはしたくない。
「……なぁ、着替えの中に、下着が入ってるけど、お前……今何着てんの?」
「………それ聞く?」
バサバサと袋から着替えを出していたら、素朴な疑問なのか、燿一郎が変な事を聞いてきた。
「お……女物の下着だよ。俺の趣味じゃない! 用意されてたの!」
ごくりと唾を飲み込む音がして、部屋の中に変な空気が流れ出した。
それが耐えきれなくて、ここは笑いにするべきなのかと俺は考えだした。
「ブラにTバックだぜ。はっはははっ、ウケるだろ」
部屋の中に俺の渇いた笑いだけが響き渡った。
「……そうだ。コンテストは俺だけ見てないんだった。今、見せてくれよ」
「はっ…? 別に何も…、ただ看板持って立ってただけで……。っっ!! …おまっ…なんで…デカく……」
会話の途中から、すでに主張を始めた燿一郎の下半身を見て、俺は途中で言葉を失った。
「柊、スカートを…………」
その次に続く言葉を聞いて、背中に汗がたらりと流れてきたのを感じた。
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