王女と龍の忘れられた名

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「そう……なの。私だってわかってる。あの時あの子を殺さなかったら、誰か他の人に殺されてた。空添自身かもしれないし、空添の妻かもしれない、空添の子供かもしれない。それか空添の臣下か金丸。首里城にいる人みんながあの子を殺す理由を持ってたの。他の誰かに殺されるなら私が殺す。そう思って殺したけど……もっともっと他に選択肢はなかったのかなって……あの子を生かしてあげる選択があったんじゃないかって……」  阿摩和利様と賢雄。二人の夫との間に子供はいなかった。私の立場から子供を作るのはあまりよくないと思っていた。子供が苦しむのが目に見えてた。殺されるんじゃないかって、怯える日々を送らせるぐらいなら存在しない方がいい。そう思ってた。だから、子供がいないことをなんとも思わなかった。  でも、一度子供を産んだら、愛しいと思ってしまったら、もう子供を産む前の考えは持てなかった。 「私……あの子がどんな人になるか見たかった。あなたの父はこの国を統べる立派な王様なのよって言ってあげたかった。この美しい国で育ってほしかった。王になんてならなくていいから、百姓でもいい、貧乏でもいい、ただ生きていてくれれば……それだけで良かったの」  初めて、あの子への気持ちを口にした。  あの子がお腹にいると知って嬉しかった。酷い吐き気に悩まされたけど空添との子供のためと思えば何ともなかった。極わずかな人しか私の妊娠を知らず、公にもできないから一人きりであの子を産んだ。心細かった、怖かった。  それでもあの子と会えると思ったら頑張れた。  あの子に抱いたたくさんの素敵な感情。それはとても大事にしたい思い出。心の奥底に仕舞っておきたい宝物のような記憶たち。 『……今、どこにいますか?』  あの言葉は家族に向けた言葉。それは嘘じゃない、私の愛しい大事な家族への言葉。  でも、師匠に言った家族じゃない。  空添、そして空添との子供。  二人が今どこにいるかはきっとわからないけど、二人が一緒にいてくれたら、二人で私を見ていてくれたら。そう願うことはできる。 「摩鬼って名前はね、阿摩和利様と賢雄を弔うために付けた名前って言ったの覚えてる?」 「もちろん」  阿摩和利様から摩、そして賢雄の呼び名である鬼大城(うにうふぐしく)から鬼の文字をもらい、私は今でもあなた方二人の妻です。その願いを込めて、私自身で名付けた。 「もう、二人のことは弔えたと思うの。師匠はどう思う?」 「さぁ? わしには人間のことはわからないが、娘がそう思うならばそうなのだろう。娘はもうとっくに自由なのだ。自分のしたいようにすればいい」  私も空添も敗者。勝者たる王たちに追いやられた者。  歴史とは常に勝者の目線で紡がれる物語。敗者たちはいつだって記憶の彼方に追いやられて忘れ去られる。  私は百度踏揚の名で知られているけど、本当の名は真乙。尚宣威王の名で知られていても本当の名は空添。私たち二人の本当の名を知る者はもう存在しない。  記憶の彼方に追いやられて、忘れられた名。 「私、今日から真空(まそら)って名乗ろうと思うの。きっとみんな許してくれないだろうけど、私はそう名乗りたい」  真乙、百度踏揚、そして摩鬼。全部私、三つとも私の大事な名。  捨てるんじゃない。私の奥深いところに大事に仕舞いこんで、一緒に過ごしていきたい。四つ目の新しい名と一緒に。三人の大事な夫とあの子と共に過ごしたい。 「では、わしもいつまでも娘と呼ぶわけにもいかないようだ。これからもこの国の行く末を共に傍観してやろうではないか、真空」 「なんか……師匠に名を呼ばれるのむず痒いね」 「わしが呼ばねば誰がその新しい名を呼ぶのだ?」 「それもそうだね。ありがとう師匠」  私の本当の名は真乙、神名は百度踏揚。人魚になってからは摩鬼でいたけど、今日からは真空。  これからも私は家族と三人の夫、そしてあの子のことを大事にする。この国のことだって大事に傍観してやる。何度も呪い恨めしく思ったこの美しくて大好きな国から離れてやるもんか。 「師匠、私人魚になって本当に良かった!」
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