王女と龍の忘れられた名

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「師匠のくせに生意気」 「生意気は娘の方だろう」  師匠は私が話始めるまで何も言わず、ただ静かに隣に座ってくれた。  決心をして口を開いた時、雲に隠されていた太陽(ティダ)が顔を出す。きらきらと目の前に広がる海を照らし、ぎらぎらと私の下半身の鱗を照らす。  目を細めるほどの強い光。私はいつだって太陽が嫌いだった。人だった頃も、人魚になった今も。  太陽を見ただけで思い出したくもないことを無理矢理思い出させられる。 「私の嫌な記憶にはいつだって太陽がいた。阿摩和利(あまわり)様と勝連城で離れた時、賢雄(けんゆう)が越来城から私を逃がしてくれた時、玉城で宇喜也嘉(おぎやか)の手下に捕まった時、首里城で宇喜也嘉に見下されてた時。初めて彼に会った時」  でも、それと同じぐらい、忘れたくない大事な記憶にも太陽が欠かせない。 「私の奥深いところ、大事に仕舞っておきたい記憶にも太陽がいるの。父上様たちと越来城で過ごしてた時、初めて師匠に会った時、阿摩和利様が私を迎えてくれた時、賢雄と婚姻した時。それに彼と……」  私が人として、王の娘として生きていた生前。散々なことばかりだったけど、そんな生前で最後に仕舞っておきたいと思った大事な記憶。  それは、宇喜也嘉に首里城に連れて来られた後の出来事。 「まだ意地を張るのか? ここにはわしと娘だけ。目の前に広がる海にも、白い砂浜にも人間や妖怪、霊の姿は見えない。娘が誰にどんな気持ちを抱いたか、どうしてほしいと願ったか。娘の感情を咎めるようなものはいない。いい加減素直になれ。わしがここまで娘の面倒くさい気持ちにつき合ってやってるのだ。この頑張りを無駄にしてくれるな」 「……そんな意地悪言わないでよ。ちゃんとわかってるから」  師匠が私のために言ってくれてるってわかってる。それでも、何百年も隠して否定し続けた気持ちを言葉にするのはとても勇気がいるの。 「……私、あの世にいらっしゃる父上様や母上様、それに阿摩和利様と賢雄にも怒られてしまう」 「死んだ者は何も言わない。何に怯えることがある。娘を咎めるものはいないのだからのだ」  珍しく師匠が優しい。私が感情的になって色んなことを言ってもうるさい面倒くさいの一点張りなのに、こんなに辛抱強く私につき合ってくれてる。  言わなきゃ。わかってる、私の口から言葉にしないといけない。 「空添(そらぞえ)……」  名前を口にしただけで胸が苦しくなる。誰かに鷲掴みにされてるみたい。座ってるだけのはずなのに息が荒くなる。  でも、逃げられない。どうしようもない。今言わなきゃ、私は永遠に進めない。 「私と婚姻してくれた阿摩和利様のことも賢雄のこともとっても大事に想ってる。今だってそう、二人への気持ちは変わらない。何百年経ったってこの気持ちは絶対に変わらない。人魚になって摩鬼と名乗ったのだって、二人のことを弔いたいと思ったから。忘れたくないから大事だから。でも、でもね……一番大事に想ってるのは二人じゃない。父上様や母上様、家族の誰でもないの」  私を大事に育ててくれた父上様と母上様。いつだって私に優しくしてくれた兄上様方。姉として頼ってくれた妹と弟。政略のために阿摩和利様の元に嫁いだのに優しくしてくださって、私が酷い言葉を浴びせたのに賢雄は私を受け入れて大事にしてくれた。 「初めは死んでしまえとずっと思ってたの、まぐわるたびに気持ちが悪いと思ってた。一緒にいたくない、どうやったら離れられるのか。そんなことばかりを思っていたはずなのに……人魚になってから……うぅん、それよりも前から、人として過ごしている時も……私は空添のことを大事に想ってた」  私が黙っていた間に空の雲は綺麗さっぱりなくなってて、太陽だけが輝いてる。  ただ一つ、ぽつんと頭上から私たちを、この国に存在する全てのものをきらきらと照らす。
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