青春の鼓動 ~僕たちの昭和~  第一巻

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第三話  伊勢湾台風 昭和三四年、圭司は小学4年生。 その年の九月二六日午後六時過ぎ、後に伊勢湾台風と呼称される台風一五号は、紀伊半島の潮岬に上陸した。 その数時間前、圭司は、近所の田んぼの稲穂が、その台風の影響の強風に吹かれて波のようにうねる様子を、ワクワクしながら眺めていた。 何故か彼は、台風の強風が大好きで、いつもこの季節はこうであった。 周りでは、来るべき台風に備えて、雨戸の外側から洗い張り用の板を押さえ付けて、それを家本体に打ちつけ補強したりする大人たちが、右往左往していた。 そんなお祭り騒ぎの様な風景も、圭司の気分を更に高揚させていた。 「圭ちゃん、早う家に入りゃー。今度のは、デカいらしいでよー。」 近所のおじさんに促されて、もう少し風に当たっていたいところではあったが、渋々圭司は帰って行った。 帰り着くと、雨戸も全て閉まっていて、夕餉の支度もそろそろ終わるころになっていた。 父・清八も、その日は仕事を早めに切り上げて六畳間のお膳を前に、中日新聞を読みながら、好きな煙草を燻らせていた。今は全く見られなくなった、両切り煙草『しんせい』である。 愛煙家の父には、その匂いが染み付いていて、いつも玄関に入っただけでその存在が分かるほどであった。尤も、家が狭過ぎることもあるのだろうが。小さい頃の圭司は、何故かその匂いが好きで、常に父の傍を離れなかったのである。 夕飯も終わり、当時の台風時の常として停電用の蝋燭を何本か用意して、眠りに付こうとしていた。八時か八時半頃であろう。今と違って夜は早い。テレビが普及してからは十時なんてのは宵の口と言うことになるが、その頃の子供は八時頃就寝が普通、十時は真夜中で、年末の紅白の時くらいしか起きていることはなかった。そんな感じの時間帯である。 風の音が変わって来た。雨の叩き付ける音も、尋常ではないように思えた。そして、停電。 父はすぐに蝋燭に火を点け、家族を一部屋に集めた。 「この風はいつもの台風とは違うぞ。みんな、寝間着でなくて、いつでも外に出られる格好にして、布団もしまって一箇所に集まれ。」 真っ暗な中、蝋燭の火を頼りに体を寄せ合って、家族は一つになった。 『ブオー、ブオオー、ブオオー。』唸るような暴風の音。 『ピシッ!ピシッ!ピシッ!ピシッ!』叩き付ける強烈な雨の音。 それに怯えて、姉達は震え、弟は泣き出していた。 そうこうしている内に、皆が集まった六畳の部屋の雨漏りがひどくなり、そこを退出。 止む無く全員その奥の、もう一つの六畳間に移動することになった。 ところが強風で、雨漏りしている部屋の雨戸が、ガタ、ガタ、ガタ、ガタと妙な音を立てて、今にも吹き飛ばされそうな感じになってきた。 それを見た父・清八は『この雨戸がなくなったら、風が部屋に吹き込んで、屋根諸共に家が無くなる。』と思ったのだろう、雨に濡れるのも構わず、その戸を内側から抑えにかかった。台風に備えて早めに帰った清八が、前述の通りの方法で、雨戸補強済みなので、並の台風ならそんな必要はないのだが、今回の雨風は桁違いのようだ。 狭い家なので、戸は二枚。父はそれを、両手をいっぱいに広げて一人で抑えようとしていた。この雨戸を吹き飛ばすほどの強風が来たら、一人の力では抑えきれるわけは無いと解ってはいたが、『家族を守る!』の一念が、清八の無謀な行動の原動力となっていた。 トランジスタラジオも無い時代なので、停電になれば情報は皆無の真っ暗闇である。 未だ嘗て経験のない巨大台風に襲われ、暗闇に蝋燭の灯りだけが頼りなのだが、その灯も文字通りの〝風前の灯火〟で、不安だけが家族を押し包んでいた。 そんな中、圭司は父の必死の姿に感動を覚え、幼心にも〝男〟としての自覚が芽生えていた。 周りを見れば、母は弟をかばい、姉達は固まって震えている。 突然立ち上がり、圭司が叫んだ。「父ちゃん、俺もやるでよう!」 言うが早いか清八の隣に駆け寄り、片方の戸を抑えに入った。 「お、おう!」 父もそう応えるしかない。 清八は清八で、健気な我が息子に、違う意味での感動を味わっていた。 それを見た母・慶子。娘三人に指示を飛ばす。「清美、一緒にいりゃあ(来なさい)! あんた達二人は龍男の面倒見とりゃあ(見てなさい)!」 母と長女は、父と息子の応援に入り、四人でずぶ濡れになって、雨戸を抑える作業に就いた。 次女・日菜子と三女・美乃梨は交替で末っ子の面倒を見て、その合間に雨戸抑えの合力。 こうして家族一丸、最低気圧895hPa・瞬間最大風速75m/sを記録し、五千人以上の死者・行方不明者を出した、未曽有の巨大台風に立ち向かっていったのである。 一時間程で嵐は去り、雨漏りのあった屋根の隙間からのきれいな星空を家族全員で眺めていた。もう三十分、いや十分程度台風が滞在すれば、恐らく松山家の屋根は吹き飛び、この物語の主人公である圭司が、その後存在し得たかも怪しい状況であった。 松山家の棲家のある鳴海は、いわゆる〝山の手〟で、水による被害は殆んどなかったのだが、海に近い天白川河口付近では、満潮と台風の上陸が重なって高潮を呼び込む結果となり、甚大な被害を被ったのである。 後日高校生になった圭司は、同級生で被害に遭った、その地域の友人に当時の話を聞いた。 小学校の校庭に、蓆を被った犠牲者の遺体が累々と並べられ、その異臭が漂う中、遺体を探す家族の姿、そして肉親を見つけた時の、何とも言えない叫び声と嘆きの言葉。 生涯、忘れられない光景であると。
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