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第五話 テレビ
翌・昭和三五年、圭司は四年生。
この年のトピックスは、松山家に待望のテレビが入ったことだ。
今も忘れない十月二十日の木曜日夕方、電気屋の加藤さんがやって来た。
三年生の時の同級生、加藤和義(かずよし)君のお父さんだ。
彼も阪野寛君や河合医院の息子・博君同様、圭司に米の小口買いに付いて、不思議そうに指摘した、クラスメイトの一人である。
搬入されたのは、ビクター製の14インチテレビ。景品として、お馴染みのビクター犬の置物も付いてきた。配線工事の後、室内アンテナを設置して、待望の〝スイッチオン〟。
今と違って徐々に画像が映り出て来るシステムで、何秒か後に、漸くはっきり見えてきた。
「おう!」「ホエー‼」「そうか、そうか。」あちこちから驚嘆の声が飛んでいた。
何だかんだ説明を受けて、引き渡し終了。漸く松山家にもテレビジョンが来た‼。
八時三十分からNHKの『お父さんの季節。』これが、圭司の最初に見たテレビ番組。
榎本健一(エノケン)、渥美清に黒柳徹子。懐かしい。
貧しくて、友達や近所の家を訪ねて遠慮がちに見ていたテレビ。
当時はそれが当たり前で、お金持ちの家に近所の年寄りや子供が集まって、普通に相撲中継を見たりしていたものだった。
しかも、お茶菓子付きである。千代の山・栃錦・若乃花、その技に憧れた子供たちが、それを真似て相撲を取っていた。
前述の相撲大会でのうっちゃりも、そのテレビで見てファンだった、栃錦の影響である。
圭司・龍男の兄弟、相撲以外は見せて貰えないこともあって、泣いて帰ったこともあった。
そんな時は「男のくせに、そんなことでメソメソするな!」と、父ちゃんのゲンコツである。
父・清八も情けない思いでの鉄拳制裁だった筈だ。
テレビが入ったお陰で、極端に減ったことがある。
それは、中日球場でのプロ野球観戦だ。
外野席で入場料は安いとは言っても、そこは『ちりも積もれば何とやら?』で、
愛知県では全試合中日戦の中継が有るので、その点では経済的にも大助かりである。
テレビは入場料無し。しかも、ネット裏の特等席である。
父ちゃんは、必ずナイター中継にかじりつきで、テレビの放送時間が切れるとすぐラジオ。
その所為で母ちゃんまでもが、中日ファンになってしまった。
スイッチを入れても中々画像が映らない、あの待ち遠しい感覚。
チャンネルを〝カチャ、カチャ〟回す、あの感触。
そして、歌舞伎の舞台の幔幕を思わせる様に、テレビの画面を仰々しく覆うカーテン。
どれもこれも、家族全員の宝物であった。
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