青春の鼓動 ~僕たちの昭和~  第一巻

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第六話  事件 昭和三五年、一番上の姉、清子は二十三歳である。 その頃、時々我が家を訪ねて来て、圭司や弟・龍男を可愛がってくれる若者がいた。 名を〝山森精一〟と言う、二十代後半の、背の高い爽やかな感じの青年であった。 彼は、しばしば圭司達兄弟を連れ出し、近くの山へ行ってはセミやクワガタ等の虫取り、池では石投げでの段飛びを競ったりして楽しませてくれたものだから、二人共すっかりファンになってしまっていた。 そんな日々が何日か続いたある日、彼の会社の草野球チームが試合をするというので、姉・清子と一緒に、兄弟そろって観戦ということになった。 山森は、そのチームの中ではリーダー格だったらしく、監督としてチームを率いていた。 その為、最初の内は試合には出ていなかったが、テキパキと指示したり、選手を鼓舞したりする姿は、既にファンになっていた幼い兄弟には、かなり格好良くまた頼もしく写っていた。 それに更に追い打ちをかける場面がやって来る。 追いつ追われつの接戦で試合が進んでの最終回。 得点は3対4の一点差、二死一・二塁のチャンスである。 そこで「代打山森!」自ら主審に告げての〝真打登場〟である。 もうその頃には、清八父ちゃんに連れられて何度も中日球場に通っているので、この場面がいかに重要なのか、幼いながらも兄弟二人は充分理解していた。 「かっとばせ!山森‼。かっとばせ!山森‼。」 二人とも、ありったけの声を張り上げての大声援だ。 「山さん、頼んだぞ‼」 「山森さん、打ってー‼。」 チームメイトも、応援に来ていた女子社員も大騒ぎ。 清美姉ちゃんは、両手を合わせて祈っている。 皆が固唾を飲んで見守る中、何と山森、逆転の二塁打。走者一掃のサヨナラ勝ちである。 それには幼い兄弟、痺れた! 皆と一緒に狂喜乱舞。憧れに、とどめを刺されてしまった。 『こんなお兄ちゃんが欲しい!』幼い弟二人の、正直な心の声である。 草野球とは言え、サヨナラ勝ちは気持ちいいもので、その後の大宴会は大いに盛り上がった。 圭司と龍也にとっては初めての、大人の集まり〝宴会〟。 そのお陰で、美味しいご馳走をたらふく頂いた兄弟二人。 山森の後輩社員の余興もあって、忘れられない楽しい一日となった。 その後も彼は、度々我が家を訪れ、夕食や一家団欒を共にしたりしたものだった。 そんな二人の結婚は〝時間の問題〟と家族の誰もが思っていた。 そんなある日、事件は起こった。夏の暑い夜だったと記憶している。 いつもの時間になっても帰らない清美を心配して、父・清八は自転車で駅まで迎えに行こう、ということになった。 当時の田舎のことで当然街灯もなく、暗い夜道でけしからぬ輩がけしからぬ事件を起こすことが度々あったので、男親としては当然な行動である。 家を出ようと自転車にまたがった時、行き先の方から自転車のランプの灯りが見えた。 『もしかしたら清美?』そう思ってじーっと目を凝らした。 案に相違して、それは駐在所のおまわりさん、太田巡査であった。 現在であれば、何かの時には〝携帯電話〟であろうが、携帯はおろか固定電話もまれな時代。 緊急連絡は、電報か近所のお金持ちや駐在さんの電話を拝借しての〝呼出電話〟しかない。 その駐在さんが、何かを伝えにやって来る。『ただ事ではない!』清八は直感した。 「松山さん、落ち着いて聞いてください。」太田巡査は切り出した。 「清美さんが、名古屋の市立大学病院に運ばれました。詳しいことはまだ分かりませんが、睡眠薬で服毒自殺を図ったようです。たった今、管轄の警察から連絡がありました。定期券の住所から、この駐在所を割り出して電話して来たようです。」 清八「・・・。」声も出なかった。 『兎に角、先ずは落ち着こう!』それだけを想って、太田巡査と家に入った。 家では、一〇時を遠に過ぎていたこともあって、幼い兄弟は既に夢の中である。 その中で、太田巡査の経過報告が行われていった。 聞いている途中で、多感な姉妹二人はもう嗚咽を洩らしていた。 取るものも取り敢えず、両親は姉の着替えと共に病院へ駆けつけた。 担当医の説明によれば、胃をしっかり洗浄してあるので命に別状はないとのこと。 『まずは一安心!』ではある。 そこには清美の恋人・山森と、その親友・高村靖男(たかむら・やすお)が来ていた。 二人とも名古屋地区の会社の労働組合の若手構成員で、清美もその一員であった。 彼女は名古屋駅近くにある〝日本陶器(ノリタケ)〟組合事務所の事務員で、清八の弟である叔父・久野福造(くの・ふくぞう)が、その組合長を務めていた。 その伝手での、いわゆる〝縁故入社〟である。 三人とも会社は違うが、それぞれの組合で中枢を担う〝若手有望株〟であった。 労働組合を通じての集まりの中で、〝同志〟としての会合を重ねる中で〝恋愛〟に発展していくことは、当時の若者としては自然の流れであった。 実は高村も、清美には好意を持っていたのだが、親友の彼女と言うことで諦めた経緯がある。 ところが〝若手有望株〟であるが故に、職場の人間関係或いは、恋愛関連で諸問題が発生することが多いのも、これまた否めない事実ではあった。 清美の恋人・山森は、前述の通り長身痩躯の爽やか男子で、ご多聞に漏れずもてた。 会社でも、若手有望株として将来を嘱望される逸材であった。 それでも清美が好きで、恋人として二年以上、家族とも一年程付き合い、結婚直前であった。 そんな時に、勤務先の社長から呼び出された。勤務先近くの居酒屋である。 社長は、おもむろに切り出した。「山森、今日は真面目な話だ。心して聞いてくれ。」 いつもは朗らかで冗談が多い社長が、少し堅い表情であることに山森は不安を感じた。 「娘と結婚して欲しい。そして、出来れば婿養子に入って欲しい。」 自分が見込んで育てた若者に一人娘を嫁がせ、会社の未来まで託そうというのだ。 「ちょっと待ってください。」正直、彼は困った。『迷惑!』とさえ思った。 しかし、若い頃から世話になり、自分をここまで育ててくれた恩人の願いでもある。 打算的に考えれば、将来は〝社長〟の最有力候補と言うことである。 彼は迷った。考えに考えた。そして、親友の高村にも相談した。 高村は言った。「お前が悩むのは解る。だが、清美さんのことはどうなんだ?無責任なことは言えないけど、好きなら後悔しないようにって、俺は思うけど・・、最後は自分で決めろ!」 山森が出した結論。それは〝清美との別れ〟であった。 そして、親友の高村にその伝達者としての役割を託したのである。 高村にしてみれば迷惑な話である。 「おみゃあは、たわけか?こんな話、何で俺がせないかんのだ。」 怒って当然の話である。「おみゃあはそんな卑怯者だったか?見損なったぞ!」 山森は、『本来、これは自分で伝えなければならない。』と言うことは重々承知していた。 しかし、これをちゃんと伝えることに全く自信が持てなかった。 会って顔を見れば、間違いなく愛しさが募り、冷静でいられるわけがない。 それほど清美を、愛してはいたのである。 親友の苦しい胸の内と、その想いを察知した高村は、已む無くその役割を了承した。 後日、高村は名古屋市内の喫茶店に清美を呼び出し、この件を話した。 それを聞いた時の清美の衝撃は、計り知れない物があった。 うつむき、ただその小さな肩を震わせて泣きじゃくるばかり。 まるで、一生分の涙と嗚咽がその全身を包み込んでいるような、何とも哀れな佇まいの二十三歳の娘の姿がそこにあった。 慰める言葉もなく、ただそれを見て何故か罪悪感に苛められる〝高村靖男〟もそこにいた。 そんな経緯があって後の〝清美服毒自殺未遂事件〟であった。
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