青春の鼓動 ~僕たちの昭和~  第一巻

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第七話  姉の嫁入り   先の自殺未遂事件から一年程経過した夏の或る日、何故か松山家に、かの〝高村靖男〟が来訪していた。七月の日曜日の夕方である。 前日の夜、例によって下の男兄弟二人が寝てから、長女清美が両親に切り出した。 「明日、ちょっと会って欲しい人がいるんだけど・・・。」 「なになに?もしかして誰か好いひと?」 こう言う話に真っ先に反応するのは、いつも日菜子・美乃梨の妹二人である。 その当時の我が家の常として、下の男兄弟二人は、こういった話は文字通りの〝蚊帳の外〟。 いやいや、実際にはその時既に二人は〝蚊帳の中〟でスヤスヤお休みである。 年の離れた弟の宿命で、これは高校卒業まで続く。  余談はさておき、両親はまず驚いた。そして、喜んだ。 先の事件以降、清美の落ち込み様は尋常ではなく『何とか立ち直りのきっかけはない物か?』と、家族全員が〝思案投げ首〟していた矢先である。 そんな折にこんな話で皆ビックリ! 清美の立ち直りの速さには、仰天である。 特に、感情の起伏の激しい母は、泣き出さんばかりだ。 まあ、概ねこういった恋の傷を、いつまでも引きずるのは男性の方で、女性は案外『あっけらかん。』としているものではある。 翌日、母は朝からおもてなしの準備。自慢の料理の買い出しや下ごしらえに大忙しだ。 長女はいそいそとそれを手伝い、妹二人は何だか楽しそう。 父は落ち着きなくうろうろして、弟二人だけは、何も知らずに無邪気に遊んでいる。 そんな風景が繰り広げられていた。 そして夕方、彼氏はやって来た。両親は、初対面ではなかった。 母は、一年前の事件で病院に駆け付けた時、事件の張本人・山森の隣にいた、山森に比べれば風采は上がらないが見るからに真面目そうな、あの青年だと一目で判った。 父も、それほどの観察力は無いのだが『ああ、あの時の青年だ。』とは、理解した。 高村は、型通りの挨拶の後、自己紹介に入った。 その話すところによると、彼の父親は先の大戦で戦死。母親の女手一つで、彼を含めた四人の子供達は育てられたとのことである。 ご多聞に漏れぬ貧しさで高校進学はならず、中学卒業後は三菱重工名古屋の養成工として技術を学び、その社員として現在に至る。それが彼の経歴である。 清美との出会いは前述の通りで、組合を通じて知り合い、かの事件以降は彼女のことが気になって、度々顔を見に組合事務所を訪れる内に、付き合いが始まった。との、要旨であった。 高村と清美が両親と向かい合い、両親の後列が妹二人、その更に後ろに弟二人が座っていた。 妹二人は、両親に見えないのをいいことに、もうお互いの肘を突き合って笑いを堪えていた。 それを見て弟二人も、同じ様に肩を震わせて笑いを堪えている。 この光景は、その後もことあるごとに(結婚式等の厳かな場面等で度々見られ、その都度、母親にこっぴどく叱られたものである。 一通りの挨拶が終わり、両親から〝結婚を前提のお付き合い〟の許可も出て食事となった。 両親にしてみれば、三菱重工のような大企業の社員に長女が嫁ぐなんて、夢のような話。 酒の進んだ父は、すっかりご機嫌で、酒の飲めない母もいつになく饒舌になって、久し振りに我が家にも〝心からの笑顔〟が戻った。そんな一日であった。 それからも高村は、余程このあばら家が気に入ったと見えて、度々松山家を訪れていた。 特にお気に入りは、母の手料理と、父の沸かす〝五右衛門風呂〟。母の料理は、何を食べても絶品で、それは解るのだが・・・風呂? と言うのも、当時の一般家庭、特に市街地に住む人達は銭湯に行くのが普通で、家に風呂が有る家庭はごく稀であった。 高村家の住まいも、同じ鳴海町ではあったが、駅近くの繁華街で銭湯も近所にあったので、必然的にそこに通うようになったのである。 そんな訳で、ゆっくり一人で入れる家風呂は、彼にとって憧れでさえあったのだ。 一方松山家は、市街地からは徒歩十五分以上の田園地帯にあり、当時の交通事情から銭湯に通うのが不便な立地条件と、ご承知の通りの経済事情で、毎日銭湯へ行く余裕などあるわけは無く、冬場は週一回日曜の銭湯で我慢、夏場は裏庭で、洗濯用のたらいにお湯を張って汗を流す〝行水(ぎょうずい)〟で済ますのが常であった。 子供が幼い内はそれでも何とかなったのだが、上三人が女の子だった事もあって、長女が思春期を迎える頃には流石にそういう訳にもいかなくなり、父・清八が台所と便所の間の三帖ほどのスペースに家風呂を手造りしたのである。 幸い、材木屋に勤務していたこともあって、建築材料と燃料の木材には事欠かず、器用な清八は知り合いの桶屋と風呂屋に教わりながら、難なく増築してしまった。 その他にも、父の手による塀や縁側(えんがわ)があったことを、圭司はよく覚えている。 色々な意味で、まめな父・清八ではあった。 大人一人がやっと入れる、よくテレビで見るドラム缶風呂を、木製にして屋根を付けたような小さな風呂ではあったが、材木の端材で炊くお湯は、銭湯とは違った柔らかい感触があるらしく『いやあ、温まる!温まる!』といつもご機嫌で風呂上がりのビールを飲み干す高村。 ご満悦の表情で相手をする父・清八。それを見て、幸せそうな笑顔の母・慶子と長女の清美。 何だか、サザエさん一家のホームドラマの様な風景である。 そんなこんなで、あっという間に半年ほどが過ぎ、長女清子の嫁入りの日がやって来た。 当時の慣例として、嫁の実家で化粧や衣装の着替えをして近所の人達が見守る中を迎えのハイヤーに乗り込み、嫁ぎ先の家まで嫁側参列者の行列を作っての嫁入りだ。 本来であれば、嫁入り道具を積んだトラック数台も揃えての一大イベント〝名古屋の嫁入り〟であろうが、お互い貧しい身であることから親戚の叔父・叔母数人、タクシー二・三台程度の行列である。これから色々物入りになるであろう二人を考慮しての諸費用節約の為、まだ幼い弟二人と、その世話係りの姉妹二人は留守番となった。 父方の親戚は父の兄・久野真一。弟で清子の上司・久野福造。瀬戸市在住の弟・久野亨。 妹で看護婦の久野輝子と熊本在住の加藤雅子の5人。 母方は、旧松山木材店の当主、松山釜三郎の嫁、良子。諸事情あって、母方の親戚はいつもこの伯母だけである。 母の実家〝松山木材店〟は名古屋では少しは名の知れた老舗で、当主は代々〝釜三郎〟を名乗っていた。母の兄・三代目釜三郎は、名古屋大空襲で全焼し大損害を負った松山材木店を立て直すべく、東奔西走の頑張りを見せたのだが、奮闘努力の甲斐もなく、倒産の憂き目にあってしまう。そのストレスから、放蕩を繰り返すようになり、終には家族をほったらかしにして、以前から愛人関係にあった芸者と駆け落ちしてしまう始末である。 その所為で兄弟姉妹からは愛想をつかされ、家族離散の羽目に陥ってしまう。 そんな訳で、当時母方の親戚で付き合いのあったのは、この伯母さんとその三人の息子たちのみであった。 さて、いよいよ出発の時刻。 清美との別れの瞬間を前に、妹二人は既に涙目だ。それでも無理やり笑顔を作って 「姉ちゃん、おめでとう!」 「元気でね!」 清子「あんたたち、父ちゃん母ちゃんと圭司・タツベを頼んだよ!」 それを聞いた妹二人は、こらえきれずに大号泣! それを見た末っ子龍男は、訳も解らず「姉ちゃん、行ったらいかん!」と、大ベソをかく。 つられて圭司も、その輪に加わって大泣きであった。 これが、松山家初の大イベント『長女の嫁入り』の風景である。
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