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第八話 父の転職 ~戦友との再会~
この頃、父・清八は江口木材店を辞め、嘗ての戦友で同年齢の坂口重利(しげとし)が創業した電機メーカー〝スター電機〟に転職していた。
当時の街角でよく見かけた、子供の背丈ほどの白い箱の上のドーム状の硝子の中で、オレンジ色の液体が噴水を見せていた、ジュースの自動販売機。
確か、10円でコップ一杯だったと記憶している、あの懐かしい機械のメーカーだ。
材木屋の清八が、全くの畑違いの電機メーカーへの転職。
その経緯をざっと確認しよう。、
その頃務めていた江口木材は、嘗ての老舗〝松山材木店〟で清八の下で働いていた江口昭雄が起こした小さな店で、昔の恩義を感じた江口が清八を呼び寄せて雇っていたのである。ところが、その経営が芳しくなくなり、人員整理を余儀なくされていたのだ。
それでも江口は、恩義ある清八にはそれを言い出せず、努めて明るく振舞って平常を装っていたのだった。清八は清八で、薄々そんな状況は感じていた。
痩せても枯れても、嘗ては老舗材木屋の番頭である。店の状況は何となく判る。
そんな悶々とした日々を過ごしていたある日、偶然、坂口重利との再会があった。
江口木材店の最寄り駅、名鉄・金山橋(かなやまばし)駅近辺を歩いていた清八の傍らに、黒塗りのクラウンが寄って来た。
そして、後部座席の窓が空き、「清(せい)さん、清さん。」
どこか聞き覚えのある声であった。清八は周りを見渡した。
「・・・?」清八は要領を得なかった。『こんな高級車の持ち主に知り合いはいない。』
「やっぱり清さんだ。俺だよ、俺! 坂口だよ!」
「おう! 坂口のシゲちゃんか!」清八は、十数年ぶりに会う、戦友の姿を漸く認識した。
「何だ、このクルマは。おみゃあ、何か悪いことしとらんだろうな!」
久し振りの再会。運転手を待たせて、二人は近くの喫茶店に入った。
そこでの話で、坂口が昭和22年に会社を立ち上げ、現在の成功を得たこと。
清八は、婿入りした老舗の材木屋が、空襲で焼け落ちた上、跡取り息子の放蕩で倒産し、今に至っていること等、近況を報告し合った。
その話の中で、偶然にも坂口の住まいが松山家と同じ鳴海町にあることが判明したので、前述の高級車に便乗して坂口の家に寄り、更に懇親することになった。
そして、到着。驚いたことに、鳴海町の中でもほんの近く、松山家から歩いて10分程で行ける距離に坂口の自宅はあった。但し、その周辺環境は大違いで、松山家辺りの長屋住まいの集落とは別世界の、お屋敷ばかりの高級住宅街である。
到着すると、坂口夫人のお出迎えである。
「松山さん、主人からよくお話は伺っていますよ。戦地では本当にお世話になったようで。」
坂口とは同じ部隊で、生死を共にした戦友である。階級は清八の方が上だったが、同い年と言うこともあって馬が合ったのか、いつも二人はつるんで行動していた。
清八は、伍長と言われる階級までいったようである。
戦時中の陸軍の階級に付いて少し触れると、伍長と言うのは下から数えて5番目の階級だ。
民間人の入隊者は、まず最下級の二等兵から始まり、一等兵・上等兵・兵長・伍長・軍曹・曹長と上がっていって上等兵までを兵卒、兵長から曹長までを下士官と呼ぶ。
一般人は大概そこ迄で、その上の将校以上(少・中・大尉、少・中・大佐、少・中・大将)は、ほぼ職業軍人によって占められていたと言うのが実態らしい。
第二次大戦の日本陸軍上海上陸作戦に従軍し、揚子江を見た時、その広さに驚いて清八が「シゲちゃん、こんな、向こう岸が見えない川なんか見たことあるか?」
と、その時隣にいた坂口に話しかけた刹那、ピュッと今まで聞いたことの無い鋭い音が、耳元を通り過ぎるのを感じた。
その後、バリ!バリ・バリバリと辺り一面に銃声が響き渡った。
後に言うところの〝第二次上海事変〟の銃撃戦が始まったのだった。
暫くして、坂口がヒョッと横を見ると、清八の顔の右半分が真っ赤に染まっていた。
「清(せい)さん、やられとるぞ!」坂口は、驚いて叫んだ。
どうやら、先述のピュッという音は、弾丸が清八の右側頭部をかすった音だったようだ。
出血の割に怪我は大したことは無かったようだが、後年清八は、この側頭部の楕円形に禿げた傷跡を見せては、自慢げに子供たちに戦争体験を語ったものだった。
その他にも、ちょっと塹壕を移った為に被弾して戦死した友とか、その逆で助かった人とかいて、人生の運・不運と言うのは、人智の図り知れぬところにあると言うことを、身を以て感じた時期であったらしい。
そんな風に、命懸けで戦火を潜り抜けて来た戦友二人。
清八の困窮を知った坂口が、黙って見過ごす訳は無かった。
「清さん、何にも云うな! 黙って俺のところへ来い!」
清八は、涙が出るほど嬉しかった。
「シゲちゃん、ありがとう! 今の会社の社長や女房とも相談して、また来るよ。」
こうして、清八は江口木材店からスター電機への転職を決断した。
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