青春の鼓動 ~僕たちの昭和~  第一巻

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第一章 幼馴染(おさななじみ)   第一話  夏の景色 昭和三十四年、とある夏休みの早朝。 朝日に向かって、仁王立ちのヤコちゃんがいた。 彼の名は栗田保彦。下の名の〝やすひこ〟から『ヤコちゃん』と呼ばれていた。 〝彼〟と言っても、まだ小学六年生。この界隈の小学生のリーダー、いわゆるガキ大将だ。 彼の立つ場所は、彼が住む昔ながらの三軒長屋の、東側道路に沿って流れる小川の前。 畦道を挟んだ田んぼ越しの小高い丘からの日の出を、今まさに迎えようという瞬間だ。 ここは愛知県尾張地方、名古屋市の東側に隣接する当時は愛知郡鳴海町と呼ばれた片田舎。四年後の昭和三十八年には名古屋市に合併され、緑区鳴海町となる。 後々名古屋圏のベッドタウンとなるが、当時はまだ戦後の色合いが濃く、この辺りの住民の多くは第二次大戦の名古屋市内の空襲で焼け出された人達で、それと元々この地で農家を営む人々や、役場の職員、数少ない商家の家族等で町が形成されていた。 その地の風景は、当時の日本の田舎をそのまま描き写した様子で、当然道路に舗装なんてものは無く、雨が降れば水溜まり、普通に農耕用牛馬が行きかい糞を垂れるので、乾燥して風が吹けば牛馬の糞交じりの埃が舞うのは当たり前であった。 田んぼにはタニシやドジョウ、小川にはメダカにシジミにアメンボにフナやハヤ。 山や野原には、野鳥や野兎、野苺、土筆に蓮華草。その段々畑の山に登って西南方向を見渡せば、遥か彼方には伊勢湾を望む。 そして極め付けは、畑のあちこちで見られるある〝肥溜め〟。 ほんの六十年程前の風景である。 さて、話を〝ヤコちゃん〟に戻そう。 その朝日に輝くヤコちゃんの背中を、憧憬の眼差しで見上げる子分たち。 これから自転車に分乗して、『近くの池に〝釣り〟に出掛けよう!』と言うのである。 そのメンバーを紹介しよう。 年齢順に、六年生はヤコちゃん一人。 五年生、加藤光春(みっちゃん)、蜂須賀正彦(マーくん)、安藤美鈴(みすずちゃん)。 四年生、稲垣義男(よっちゃん)、光崎享子(きょうこちゃん)。 三年生は、この物語の主人公・松山圭司(ケイジ)と蒔田陽子(ようこちゃん)。 二年生、加藤健二(ケンちゃん…光春の弟)、安藤彰伸(アキちゃん…美鈴の弟)、それに、松山龍男(タツベ…圭司の弟)。 ほぼこのメンバーで、暗黙の〝年功序列〟の基、常に行動を共にしていた。 一年生は、まだ〝ガキ〟と言うことで、ここには入れてもらえなかったのだ。 実は圭司、釣りはこの日が初めてで、今風に言えば〝釣りデビュー〟の日であった。 前の日、ヤコちゃんや他のみんなと一緒に、近所の竹藪で適当な笹竹を切り出して釣り竿を作り、エサは長屋の裏庭のゴミ捨て場付近の土の中から糸ミミズを掘り出して、缶詰の空き缶に入れて確保していた。 釣り糸と釣り針それに浮き・錘は、ヤコちゃんのお古を使わせてもらっていた。 最初に釣り針に糸ミミズを差し込む、あの〝ヌルッ〟とした感触は、今も忘れられられない。 最初は何とも気持ち悪かったのだが、不思議なもので徐々に慣れて当日は何ともなかった。 えさの付け方の後は、浮きの見方や合わせのタイミング等、一からヤコちゃんの手解きだ。 そんな前日準備を終えて、ワクワクしながら眠れない夜を過ごした、寝不足の朝であった。 出発の時が来て、ヤコちゃんの号令が飛んだ。 「さあてと、行くでよう! みんな遅れんようについて来いよ‼」 当時はまだ、自動車なんかは殆ど走っていなくて、町内に1台有るか無いかと言う時代で、自転車の二人乗りは当たり前であった。 貧しい時代で、今の様に子供一人に自転車1台が当たり前、と言うわけにはいかないのだ。 そんなこんな色々あった結果、圭司は享子の自転車に乗せてもらうことになった。 「ケイちゃん、行くよ!」、 享子ちゃんは、スカートの裾をパンツのゴムに押し込む〝ちょうちんブルマ〟スタイルを作ってから、圭司を呼んだ。 スカートの裾がチェーンに絡まるのを防ぐための姿なのだが、当時の女の子はゴム飛びとか鬼ごっことかで、スカートが邪魔になりそうな時はよくその格好になっていた。 その一方で圭司はと言えば、 「何で俺がきょうこちゃんの自転車?」と口を尖らせて文句。 本当は、ちょっと可愛くて色白の享子と一緒で、嬉しくてしょうがないのだが、それを悟られないための〝ジェスチャー〟である。 そんなことは意に介せず、 「何を言っとるの。さっさと乗った、乗った!」と、享子ちゃん。 このくらいの歳の女子にしてみれば、一歳下の男子なんかは、幼くて全く相手にしていない。 それがまた、圭司には悔しくて堪らないところでもあった。 表面的には〝文句たらたら〟で後部荷台に座った圭司だが、時々享子ちゃんの太腿が、自分の足に触れて『ちょっとドキドキ?』の約2キロ、十五分程の二人旅であった。 そうこうしている内に、目的地の池に到着。 その池は、段々畑の様に上段と下段に分かれていた。釣り場はその下段側の池である。 何故そうなったのかは知らないが、上の池の水が、滝の様に流れ出て下の池を作っており、『双子池』と呼ばれていた。 そこから更に小川が作られ、前述の出発点近くの小川に続くと言った風景である。 さて、いよいよデビュー戦の試合開始。 圭司は、ヤコちゃんの隣に陣取り、みっちゃんとマー君、それによっちゃんは、それぞれの釣り場を確保して、圭司の釣りデビュー戦は始まった。 それ以外のメンバー、みすずちゃん、きょうこちゃん、ようこちゃんと2年生のケンちゃん、アキちゃん、タツベの〝女子供〟は、上の池から流れてくる小さな滝の辺りで水遊びである。 「キャッキャ‼キャッキャ‼」と奇声を上げて大騒ぎ。それはそれで楽しそうだ。 最初に釣り上げたのは、やっぱりヤコちゃん。10㎝程のフナだ。 「さすが!」の声が上がった。こういうところが、皆から憧れられる所以であろう。 その後、それぞれに釣果があり、未だに〝ボウズ〟は圭司だけになっていた。 そろそろ時間もいい頃合いで、皆も飽きてきたところである。 圭司はと言えば、初めての釣りに最初の内は嬉しくてワクワクして挑んだのだが、一向に成果が上がらず、周りが釣り上げる時の歓声を聞いて、焦るばかりだ。 結構、魚がエサに喰い付いて、浮きがピクピクするのだが、全然合わせることが出来なくて、失敗の連続であった。 そこで、ヤコちゃんが動いた。自分の竿に当りが来たところで圭司を呼び寄せたのだ。 ヤコちゃん「圭司、よー見とれよ。ああいう風に浮きが〝ピクッ〟と動くだろ。あれはまだ魚が様子を見て触っとるだけ、まだまだだ。」 続けて「次に〝ピクピクッ〟と来るのが食い始め言うか〝味見中〟と思え。まだだぞ!」 そして「最後に〝グイッ〟と引っ張り込まれる感じで浮きが大きく沈んだ瞬間が喰い付いた時、その一瞬を逃さずに一気に引き上げるんだぞ。ほら、今だ!」 少し腹の赤い魚が水面で飛び跳ねた。 通称〝アカハラ〟、見事なウグイである。  ヤコちゃんの実践講義通りの当りを待っていると、二十分ほどでその通りの展開が訪れた。 『おっ、来たぞ!』 一刻も早く釣り上げたいと焦る気持ちを抑えて、圭司は〝合わせ〟に集中した。 そして遂に、歓喜の時はやって来た。 「ヤッター‼」圭司は我を忘れて叫んでいた。 満を持して引き上げた竿の先には、15~20センチほどの〝アカハラ〟が跳ねていた。 その感触もまた、忘れられないもので、それから暫く圭司は釣りにハマっていた。 こうして無事に釣りデビュー戦は終わり、昼前には皆帰宅の途に着いた。 帰り着いた長屋の横の木陰では、彼らの少し上のお兄ちゃんたちが縁台将棋に興じていた。ヤコちゃんや享子ちゃんのお兄ちゃん達で、皆中学生である。 実は圭司、成長してからもずーっと将棋好きで、社会人になっても昼休みには毎日へぼ将棋に勤しむようになるのだが、それはこの頃、このお兄ちゃんたちに教えられたお陰である。 「お、ヤコ釣れたか?」お兄ちゃんの一人が、将棋盤に目をやりながら声を掛けた。 「5人でアカハラ5匹とフナ7匹。まあまあかな?」 バケツに入った釣果を見せて、自慢気に応えるヤコちゃん。 その後、ヤコちゃんや上級生が、ウグイに塩をふって竹串に刺し、焚火を焚いて塩焼きにして、昼飯替わりに美味そうに食べていた。 その頃の圭司にはまだそれを食べる勇気が無くて、喰らいつく彼らが妙に大人に見えた。 フナは誰も調理方法が分からず、みっちゃんの家の庭池に放し飼いとなった。 中学生になるとクラブ活動に入ることもあって、子供たちの遊びが全く変わってしまう。 学生服を着ると、急に大人の自覚でも生まれるのだろうか? ヤコちゃんとの魚釣りも、この夏休みが最後であった。 遊び疲れた夜は〝蚊帳(かや)〟を吊ってその中の床に入るのが、当時の夏の習慣であった。 この〝蚊帳〟と、陶器製のブタの形の入れ物から放たれる金鳥の蚊取り線香の匂い。それが、当時の虫除けの二大アイテムであった。 〝蚊帳〟とは、蚊などの害虫から身を守る麻布製の網のことで、その頃エアコンなんてあるはずもなく、殆んどの家庭が、猛暑の夏は家中の扉を全開にして風を入れて涼を取り、蚊帳を天井から吊って虫除けしていたのだ。 その蚊帳に、数匹の蛍が飛んで来て淡い光を放つ美しい風景は、今も目に焼き付いている。 そんな風にして、夏休みの一日一日が過ぎていく。 どれも忘れられない、遠い昔の名古屋。 〝夏の景色〟である。
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