青春の鼓動 ~僕たちの昭和~  第一巻

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第五話  目分量  その頃の授業で、算数だか国語だか定かではないが〝目分量〟と言う言葉が出て来た。 教科書の中に『約10㎝』とかの表現があって、その説明の為に土屋先生は、〝目分量〟を持ち出して来たものと思われる。 土屋先生曰く、 「いいか、例えばみんなの家に羊羹が一本あって、それを家族で分けて食べるとする。」 「その時わざわざ定規を持ち出して、きっちり測って切り分けたりしないだろう?」 「大体半分に切ってそれをさらに分けてとか、大まかにやるだろう?」 「それを〝目分量〟と言う。」 「ここに書いてある『約10㎝』と言う言い方、その〝目分量〟と同じように、大体10㎝と言うことなんだ。 つまり〝約〟と言う言葉の意味は〝大体〟ってこと。解るかな?」 土屋先生、『結構いい説明できた。』と、若干得意げな〝ドヤ顔〟で悦に入っていた。 その時、一人の児童がこれまた〝ドヤ顔〟で手を挙げてきた。圭司である。 「先生、違います。うちでは羊羹を切る時、物差しを持って来てしっかり測ります。」 「家族7人不公平が無いように、何ミリ迄しっかりやります。」 「目分量なんてしたら、それこそ大喧嘩です。」 事実、松山家では、羊羹なんかはほぼお目に掛かれず、稀に誰かの誕生日とかで買って来ようものなら、それこそ兄弟姉妹全員で目を皿の様にしてその計測状況を監視したものだ。 一事が万事、食べ物に関しては常に生存競争の中にある。そんな家族だった。 ただ「うちも、うちも!」と、共感してくれる友達が一人もいなかったことに、圭司は少なからず衝撃を受けていた。 土屋先生、圭司の気持ちを察したのか、笑ってこう応えた。 「圭司、兄弟多いと大変だよな。先生の家もそうだったよ。まあ、圭司の家みたいな例は珍しいかも知れんけど、例えが悪かったかな?」 「じゃあ、晩飯の大皿のおかずにしよう。羊羹は測れるけど、こっちは測れないだろう?」 「煮物や鍋物、炒め物だと、いちいち測ってやる家は無いから大体の分量で分けるだろう?」「それが、目分量ってことでどうだ?」 圭司、納得。 誰も共感してくれなかったことを、先生が解ってくれたことが圭司には何より嬉しかった。 こういった、印象的な事例での授業内容ややり取りは、大人になっても忘れないものである。
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