2.上司(元婚約者)と部下(自分)

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 そんなこんなで、ヴァルラムがマノア植物研究所の室長に就任してから、一ヶ月が経過した。  鉱石学しか専攻していないはずのヴァルラムだが、思っていたよりも順調に室長として過ごしている。  そんな中、古参の研究員達はこれまでと変わらず、勝手気ままに各々の研究に打ち込み論文を書いている。  それに加えて研究の末に生み出された香水や染物、また壁紙などの樹皮製品を、これまた勝手に商談に持ち込み商品化していた。  その間、ヴァルラムは研究員達の研究が円滑進むよう迅速に書類を捌き、必要経費を捻出するために総務課とやりあったり、所長に直談判したり、アレコレと尽力している。  まかり間違ってもロクに仕事をしないくせに「ホウ・レン・ソウを徹底しろ」とか、「前向きに検討するが、今は無理」などと言った使えない上司発言は一切しない。  一歩......いや、3歩引いた距離を保ちつつ、与えられた仕事は完璧にこなしてくれている。  その姿は、助手という立場から厳し目に見ても、元婚約者という欲目を抜いても、大変できた上司であった。  ただし、”表面上は”という前置きが付くけれど。  和やかにこのマノア植物研究所の一員として迎えられように見えるヴァルラムだが、たった一人だけ歓迎していない者がいる─── 助手のクラーラだ。  一体どうやってこれほどまでに不機嫌になれるのかと研究員達が首を傾げるほど、クラーラは上司となったヴァルラムの前だけは子供じみた態度を取っている。  大変器用に、でも完璧に、ぶすくれた顔と笑顔を使い分けていた。  しかしヴァルラムは、そうされる自覚はある。がっつりある。  だからクラーラが助手という立場では、どうよ?と思う態度でも咎めたりしない。  それどころか、にこやかに紳士的に上司としての節度を保ちながらも、しっかり好意を向けている。  そう、ヴァルラムは肝が据わっていた。恐ろしいまでにガッツがあった。 「クラーラさん、悪いがこれを総務課に届けてくれないか?本日中に、王都へ送って欲しいと伝えてくれると助かる」 「はい」  クラーラはこくりと頷き差し出された幾つかの封書を受け取った。が、すぐに受け取った封筒にポンと菓子を乗せられる 「良かったら食べてくれ。忙しかったから、昼食を食べてないんだろ?君の好きなオレンジピールが入ったパウンドケーキだ」 「いりません」  素っ気なく答えたクラーラは、やや乱暴に執務机に菓子を置いた。  表情筋を殺した儀礼的な対応は、既にデフォルトになりつつある。  一応、業務の上で仕方なく返事をする時はある。  だが、それ以外は「結構です」「お断りします」「要りません」の3つの言葉しか使わない。  一度、素っ気なさすぎるクラーラの態度を見かねたローガが、仲を取りなそうとしたが、それは火に油を注ぐ結果となった。更に意固地になった。  今はもう他の研究員が頭を抱えるくらい、クラーラは大人げ無くヴァルラムだけ突き放した態度を取っている。 「…… そうか。無理強いをして悪かった」  あからさまに消沈したヴァルラムに対し、クラーラは無言で頭を下げ室長室を後にした。
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