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「……我ながらあの言い方は、ちょっとひど過ぎたかも」
両腕を胸の位置で交差して封書を大事に抱えながら、クラーラはてくてくと廊下を歩く。
その表情は、先ほどのヴァルラムより憂いていた。
これまでヴァルラムに冷たく当たっていたのは、敢えての態度だと気付かせるためにやっていたこと。
そしてここまで酷い態度をとっているのだから、間違いなく愛想をつかされると思っていた。いや、現在進行形で思っている。
でも連日、彼に対して冷たい態度を取って、罪悪感を持たないわけじゃない。
彼と別れて3年が経過して、自分は大人になったつもりでいた。
だからもっと上手に彼の優しや、気遣いをかわせるだろうと思っていた。
なのに実際は、大人気ないことありゃしない。
(でもなぁ、このままヴァルの婚約者で居たいとは思わない)
学生だった頃、クラーラは真っすぐにヴァルラムの好意を受け入れていた。
今だから言えることだが、好きになってもらえるよう努力をしたことなどなかった。ただ自然に会話して、自然な流れてヴァルラムは自分に「好きだよ」と言ってくれた。
ヴァルラムとの交際期間はお友達という間柄を含めても一年だった。だから彼の多くを知っているわけではない。
短い交際期間をどんなに思い返してみても、どうしてそこまで自分に執着するのかわからなかった。
3年の月日が流れた今、父親が死んで自分はただの平民になった。
男爵家は世襲貴族ではない。当主が死んだら、そこで終わりなのだ。
だから、こんな場所で再会しなかったら、ヴァルラムとはすれ違うこともなかっただろうし、もう自分は名前すら呼んではいけない立場なのだ。
まかり間違っても、つっけんどんな態度を取るなんて、絶対にありえ無い。そのことを彼にも気付いてほしい。
そう思っている。そして、気持ちが離れていくように頑張っている。
でも、ただの上司として接することがこれほど難しいことだとは、クラーラは思っていなかった。
(……だって、仕方が無いじゃん。覚えているんだもん)
あの藤棚の下で、どれほど自分が彼に大切にされ、愛おしんでもらえていたのかを。
─── けれど、幸せだった時間が過去になるにつれて、こうも考えてしまう。
研究馬鹿の父親と奔放な母親の間に生まれ、十人並みの顔と頭脳しか持っていない自分のことをヴァルラムが好きになってくれたのは、若気の至りだったとしか思えない、と。
けれど今でもヴァルラムは、自惚れだったらどんなに良かったかと思う程の眼差しを、隠すこと無く自分に向けている。
(あーもー。ヴァルは義務感が強い人だから、きっと恋心と罪悪感がごっちゃになってるんだな)
昔から人の上に立つ者として厳しい教育を受けていた彼は、とても使命感の強い人だった。
下級生にも同級生にも先生にも慕われ、頼まれた事は誠実に一つ一つ完璧にこなしていた。
そのせいで、こんな状況になった自分を、見捨てることができないと躍起になっているのだろう。
もしくは一度決めたことを覆すことに対して、抵抗感を持ってしまっているのかもしれない。
…… よもや学生時代の火遊びをきちんと回収したいなどと、失礼なことは思ってはいないはずだ。多分、おそらく。
(まぁ、ごちゃごちゃ考えたって仕方が無い。要はヴァルに嫌われてしまえば、全部丸く収まるんだ)
これは誰にも言っていない秘密だが、学生時代、真っすぐに未来を語るヴァルラムに、自分は幸せな気持ちでいる反面、どこか気後れしていた。
こんな自分じゃ、彼に釣り合わないと、ずっと後ろめたい気持ちがあった。
そして父が死んで、沢山の人が手の平を返すように居なくなって、その気持ちは確信に変わった。彼の傍にいちゃいけないと強く思った。
自分と同じような辛い思いを彼にして欲しくないという一心で、逃げるように手紙一つで別れを告げたのは、さすがに酷いことだったと少しは反省しているけれど。
クラーラは書類を片手に持つと、自分の唇をなぞる。
噛みつかれたように合わされたヴァルラムの唇の感触は、とてもじゃないけれど忘れることはできない。
あんなにも強く抱きしめられたことなんて無かった。むさぼるようにキスされたことも。
熱を帯びた目で”抱く”……と言った。
瑠璃色の瞳はギラギラとしていた。あれは冗談ではく本気だった。そういうことに疎い自分だってちゃんとわかった。
それだけ強く求められて、怖かった。
もしもあの日───婚約破棄したいと彼を前にして言ったら、同じことをされたのだろうか。
タラレバを考えるのは愚かなことではあるが、直接会って声を聞いて、引き留められたら、きっと決心が揺らいでしまっていただろう。
それはとてつもなく怖いことだ。
光り輝く彼の将来を傷を付けることになっていたのだから。
そう考えればやっぱり自分の取った行動に後悔していない。他に方法は無かったのだから。
再会できたことは、今でも嬉しいのか嬉しくないのかわからない。
ただ、このままずるずると流されてはいけないことだけはわかる。
とことん嫌な奴を演じて、嫌われて憎まれて、鬱陶しい奴と思ってもらえたら、彼はきっと自分を見限って、己の身分に釣り合う素敵な女性を伴侶にするだろう。
その結果、いつか「なんでこんな嫌な奴を好きになったんだろう」と、自分との過去を黒歴史として処分するかもしれない。
確かにあった幸せな時間を、そんなふうに処理されたらきっと胸が痛むと思う。
そこで廊下を歩いていたクラーラの足が、ピタリと止まった。
(ちょっと待て……もし、赴任期間中にヴァルの結婚が決まったら、自分は式に出席しないといけないのか!?部下として!?おめでとうとフラワーシャワーなんぞやらなきゃいけないのか!?)
くそっ。おめでとうは言ってやるけど、絶対に投げられたブーケは受け取らないからっ。
クラーラは意味不明な悪態を吐くと、片手に持っていた封書を胸に抱え直して歩調を早めた。
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