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平常心を取りもどしたジェラルドは、クラーラの手を取ると手慣れた仕草で実験材料が色よく育っている花壇の前のベンチにエスコートする。
そして着席した途端、口調を改めてこう切り出した。
「差し支えなければ、近況報告など聞かせていただけますか?」
瞬間、クラーラはピキッと固まった。
(......どうしよう。ヴァルがここの室長になったことを知ったら、ジェラルドはきっと心配するに違いない)
あの日─── 婚約破棄を告げる手紙をヴァルラムに届けたのは、他でもないジェラルドだ。
ヴァルラムは必死に隠していたけれど、彼の両親が自分との婚約を渋々了承したのは知っている。
父の葬儀の時に、代理人がお悔やみの言葉を告げながらも身分差をしっかり口に出していたことも。
「ええっと……あのね、何度も絵が描ける壁紙を研究してるんだけど、談話室限定で今使ってるんだ」
「さようですか。それは素晴らしいですね」
「う、うん。といっても、今は4色しかクレヨンができていないから、まだまだ使い勝手は悪いけど……。でも、みんな喜んで使ってくれてるんだ」
「そうですか。お嬢様の頑張りが認められて、わたくしも嬉しゅうございます」
ジェラルドが、顔をほころばせる。まるで自分のことのように誇らしく笑う彼に、クラーラもつられてにこっと笑う。
「へへっ、ありがとう!ジェラルドに誉められるとめっちゃ嬉しい」
「恐れ多い言葉をありがとうございます。で、他には?」
「……あーあー……えっと……用務員の温室の花壇の配置を少し変えたの」
「さようですか。他には?」
「……んーそんなところかな?」
「本当でございますか?」
「あ……ははは」
ジェラルドとは長い付き合いで、クラーラは隠し事が下手だった。
目を泳がせながら不器用な笑い声を上げるクラーラに、ジェラルドが一歩近づいた。次いで流れるように跪く。
「お嬢様、隠し事などなさらずに、どうかこのジェラルドに何があったか教えてください」
世界で一番信頼しているジェラルドから縋るような眼差しを受けてしまえば、クラーラはもう白状するしかなかった。
***
「─── そうですか、そんなことがあったのですか。なるほど。では始末しましょう」
「ちょっと待って!!」
物騒過ぎるジェラルドの発言に、クラーラは思わず彼の両肩を掴んだ。
自分はヴァルラム・ヒーストンがこの研究所の室長になったと言っただけだ。
再会してすぐに強引にキスされたとか、床に押し倒されたとか、貞操の危機によって婚約破棄を撤回してしまったことなど、一言も口にしていない。
なのにジェラルドは、豪快に犯行予告をしたのだ。そして彼は有言実行する男だ。
これは何としても、止めなければならない。
「あのねジェラルド、一旦落ち着いてっ。そして私の話を聞いてっ。室長の赴任期間はたった2年だから! そうすれば、彼は王都に戻るからっ。たった2年我慢すれば、良いだけ。それに二人っきりっていうわけじゃないよ。先輩研究員達がいるから大丈夫、心配しないで!」
ジェラルドの上着をぎゅっと握って、クラーラは必死に説得する。
しかし返って来た言葉は、予想外のものだった。
「わたくしはリーチェ様方を素晴らしい研究員だと尊敬してはおりますが、人としては一欠けらも信頼しておりません」
「辛辣!」
ぎょっとして声を上げたけれど、ジェラルドの表情は動かない。いや更に冷静になって口を開く。
「お嬢様、あの男が何の目的で現れたのかはわかりません。しかし、こう言っては失礼ですがこの研究所で働くなど解せないこと、この上ありません。はっきり言って、お嬢様に対して良からぬことをするのではないかと、心配しております」
「……うん。心配してくれるのは、嬉しい。でも、大丈夫だよ?」
「根拠の無い大丈夫ほど不安なことはありません」
被せるようにそう言われて、クラーラは返す言葉が見つからなかった。
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