2.上司(元婚約者)と部下(自分)

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 カロリーナはここマノア植物研究所の所長の娘であるとともに、副所長を勤めている。  ちなみに彼女は美人の部類に入る。黙っていれば、という前置きが付くけれど。  あと、ウエストの細さならクラーラの方に軍配が上がるが、胸の大きさはチラッと見ただけで完敗だ。  あと補足だが研究室の副所長という肩書きのせいかどうかはわからないが、彼女はいつも身だしなみに気を使っている。  所長ですら毎日白衣を身に付けているというのに、彼女は人より遥かに植物が多いこの場所で、何の意味があるのかわからないが常にヒールの靴を履き、胸を主張するドレスを好んで着ている。  亜麻色の髪も抜かりなく、綺麗な巻き髪仕様で、化粧だってバッチリだ。  しつこいが、ここは人より植物の方が多い辺鄙な研究所である。  常に金欠状態で、人手不足と備品不足がデフォルトでありながら、カロリーナは一切、施設の為に動くことはしない。  ただただ身を着飾り、フラフラフラフラ施設周辺を徘徊するか、街へ出かけるだけである。  役立たずの、ごく潰し。  怖いもの知らずの研究員達は、カロリーナのことをはっきりとそう言う。  彼女の常日頃の態度を見ていると、クラーラとてつい頷きそうになってしまう。  だが、大して役に立っていない自分は、カロリーナとどっこいどっこいの立ち位置にいることは自覚しているので、彼女に対して悪く思うのは気持ちのいいことでは無かった。  そんなふうに謙遜なことを考えるクラーラとは対照的に、カロリーナは不遜な態度を貫く。 「あーあ、埃が立って気持ち悪いわ。どうしてここは育ちが悪い者しか集まらないのかしら。嫌になっちゃう」 「申し訳ありません」  訳アリ人が集うここは、保証人さえしっかりしていれば出自を詮索されることは無い。  だからクラーラも没落した男爵令嬢であることを公言していない。とはいえ、育ちが悪いと言われるのは、亡き父を馬鹿にされたようで面白くはない。  そんなわけで、ムスッとした顔のまま頭をさげたクラーラに、カロリーナは小馬鹿にしたように笑った。  次いで頭を下げたままのクラーラに質問を投げる。 「ところであなた、ヴァルラムさんはどこにいるのかしら?」 「……さぁ」   「”さぁ”って、何?あなた本当に使えない子ね。雑用しかできないんだから」 「申し訳ありません」  もう何度目かわからない謝罪の言葉を紡いだクラーラに、カロリーナは飽きもせず鼻で笑う。  しかし、これ以上嫌味を口にすることなく、くるりとクラーラから背を向けると、温室の方へと消えて行った。  ゆるゆると顔を上げて去っていくカロリーナのドレスの裾が、熱帯魚の尾のように揺れる様を見つめながら、クラーラはぼんやりと考える。  ここ最近、カロリーナはあからさまにヴァルラムと一緒に過ごそうとしている。露骨に色目を使って、胸元をこれでもかと見せつけながら。  彼女がヴァルラムと特別な仲になりたいことは一目瞭然だった。  公爵家の嫡男を場末の研究所の娘ふぜいが口説こうなんて、ちゃんちゃらおかしい。  ……おかしいのだけれど、ヴァルラムの隣にカロリーナが立つことを想像したら馬鹿馬鹿しい話だけれど、胸がズキッと痛んだ。 (……それはちょっと……いや、結構やだな)  ヴァルラムに嫌われたいと思っているのは嘘じゃない。  でもカロリーナがヴァルラムの近くにいることは、どうしようも無いほど、嫌だった。 「───クラーラ」 「んあ?……っ」  突然背後から声を掛けられたけれど、ヒリヒリした痛みで一瞬誰に声をかけられたかわからなかった。  ただ条件反射で振り返ったら、そこにはつい今しがたカロリーナが探していた人がそこにいた。 「……あの」 「呼びに来た」  動揺するクラーラから目を逸らして、ヴァルラムは短く言った。バツが悪そうに手の甲を口元で隠しながら。  上司が道草を食っている部下を連れ戻しにきただけだ。そこに他意は無い。  無いはずだけれど、プラチナブロンドの髪が乱れ、肩で息をしている姿を見たら、平常心を保つのは無理だった。  頬が勝手に熱くなる。  迎えに来てくれたことを嬉しいと感じてしまう自分が、愚かで泣きたくなる。 「行くぞ」  ひどく素っ気ない口調でそう言ったヴァルラムは、クラーラに背を向け歩き出す。まるでクラーラが付いてくるのが当たり前といった感じで。   助手のクラーラは雑用はごまんとある。  ここでさして急ぎでもない用事を口実に、彼に背を向けることは簡単だった。  そして嫌われたいと願っている自分なら、そうするのが正解なのだろう。  けれども飼い主の後を付いていく従順な犬のように、クラーラはてくてくとその背を追った。  赤くなった顔を見られないように、俯きながら。
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