2.上司(元婚約者)と部下(自分)

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 ─── ジェラルドの訪問から数日後。  「あのさぁ、あんた自分のやったことわかってんの!?マジで殺すよ?っていうか、死ね」 「だーかーらぁー。もう、何遍も謝ってんじゃん。ごめんって」 「ごめんで済んだら、誰も貧乏になってないわっ。このボンクラ!」 「それを言うなら自警団はいらね?じゃないん…… うわぁっ、ビーカー投げんなよっ」 「お黙りなさいっ。とにかく、街に行って今すぐ買ってきなさいっ!もちろん自腹よ自腹!びた一文、経費使わないでよね!!」  ─── バンッ。  机に散らばる書類や文房具を弾き飛ばす勢いで、リーチェが両手をテーブルに叩きつけた。  食堂からお茶のお代わりを運んでいたクラーラは、その音を廊下で聞き、慌てて共同研究室へと駆け戻る。  そして、そっと扉を開けた。 「……えっと、どうしたんですか?」 「喧嘩よ喧嘩」  呆れ顔で端的に説明してくれたナタリーは、困ったもんねと言いたげに頬に手を当てた。  ついでに、クラーラの手から今にも滑り落ちそうなお茶一式が乗ったトレーを受け取った。  対してクラーラは、んなもん見ればわかると言いたげな顔をしつつ、冷や汗をかいている。  このチームは良くも悪くも仲が良い。だからこそ、時にはぶつかり合うことがある。  ただ、こういう時はまとめ役であり、年長者のサリダンが間に入って仲裁してくれるのだが、今日に限って彼は商談の為に、街へと出張中だった。 「……どうしましょう」 「そうねぇ、一先ず刃物と割れ物は、リーチェの目に付かない場所に置いておいた方が良いわね。私は鎮静効果のあるキャンドルを焚いてみるから」 「そうですね」  姉後肌のリーチェは面倒見が良く、そうめったなことでは怒らない。  しかし、一度怒りに火が付いたら、それはもうおっかない。そして、なかなか怒りは治まらない。  クラーラは、青筋立てるリーチェの邪魔にならぬようハサミや試験管をそぉっと片付ける。  ビーカーが一つ床に転がっていたが、幸い割れてはいなかった。もちろんこれも拾ってリーチェの手が届かない位置に移動させる。 (後、私にできることは……)  鎮静作用のあるキャンドルをありったけ集めて火を灯すナタリーを横目に、クラーラは自分ができそうなことはないかと必死に頭を働かす。  しかし見習い研究員に逆鱗に触れたドラゴンを宥める術などあるわけない。  あとは、先輩研究員の二人が被害者と加害者で連行されぬよう、身を呈してローガの命を守ることしかできない。  殉職したくは無いが、クラーラの命は神のみぞ知るといったところ。  そんな緊迫とした空気の中、カチャっと静かに扉が開いた。 「───……失礼、何事ですか?」  リーチェの激昂する声を聞きつけたヴァルラムは、そぉーっと廊下側の扉を開けて顔を覗かせた。 「ああ、丁度良かった。ヴァルラム室長、ちょっとお遣いを頼んで良いかしら?」 「構わないです……が」  一先ず頷いたヴァルラムだけれど、状況はまったく把握できていないようだ。 「その前に質問を。私の目には研究員の二人が諍いを起こしているように見えますが……」 「そう、その通り。で、ローガがね、リーチェが大切にしていた最後の木綿の1ロールを使っちゃったのよ。リーチェはお貴族さんから染物の依頼を受けてたんだけど、その納期がギリギリだったりするのよねー」 「……それは、困りましたね」  ヴァルラムはようやく諍いの原因がわかったようで、肩を竦めた。  そして共同研究室に足を踏み入れると、クラーラの隣の椅子を引いて、何食わぬ顔をして座った。 「……隣じゃなくても良いんじゃないんでしょうか」  ボソッと呟きつつも、じろりとを睨み付けてみた。 「どうかしたかい? クラーラさん。席順は特に決まっていないはずだけれど?」  ヴァルラムはわざとらしく目を見開いて、驚いた表情まで作ってみせる。 (くっそ、そんなカッコいい顔で白々しいこと言わなくても)  ぐぐっと呻くクラーラに、ヴァルラムはにこっと笑みを向ける。けれど、すぐにナタリーに視線を戻した。 「状況はわかりました。つまり私は今すぐ木綿生地をロールで買って来れば良いってことで?」 「ええ、話が早くて助かるわ。いつも注文しているお店は隣町にあるの。で、品番は……ああ、クラーラが知ってるから一緒に連れて行ってちょうだい」 「わかりましまた。すぐに向かいます」  ご主人様からお散歩用のリードを見せられたような犬の顔をしたヴァルラムは、軽やかに立ち上がる。 「何をもたもたしているクラーラさん。共に働く研究員の為に、急ぐべきではないか?」  扉を開けて、ヴァルラムはクラーラが立ち上がるのを待つ。  しかしクラーラは渋面を浮かべて椅子から立ち上がらない。  そりゃあ、彼が言っているのはとても正論だ。とっとと隣町に足を向けるべきだ。 (でもさぁ、二人っきりっていうのが……あーもー)  ふくれっ面のクラーラは、傍から見たらとても分かりやすい顔をしている。そして、ヴァルラムは上司然しているが、神の審判を待つ咎人のような顔付きだった。  そんな二人を交互に見つめたナタリーは、ポンっとクラーラの肩を叩く。 「クラーラちゃん、鎮静作用のあるキャンドルはストックゼロなの。この火が消えたら、ローガの命も消えるわよ?」  物騒この上ないナタリーの煽りに、クラーラは不本意ながら立ち上がる。  ただ、せめてもの反抗で、クラーラは無言で立ち上がりこれまた無言で廊下へとで出た。
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