3.流れ星に願うのは

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【一つ聞きたいことがあるんだが、良いかな?】  そう前置きされた意味をクラーラは、笑ってしまうほど真剣に考えてしまう。  実のところ、全く気にしていない素振りを貫いていたが、本当はかなり気になっていた。ヴァルラムが今、何を考えどう思っているのか。  そして、もう一度婚約のことを真剣に考えて欲しいと言われたら、初日のように強く突っぱねる自信は無い。  さりとて、雰囲気に呑まれ彼の要求を受け入れることもできるわけがない。  夜行性のナラがここでひょっこり顔を出してくれれば、話題を逸らすことも可能だが、耳を澄ましたって足音一つしない。 (ああ......ここから立ち去りたい)  無意識に身体がこわばる。いつでも立ち上がれる体勢を取ろうとしている自分に気づくが、それを止められない。  そんな中、引き留めるかのように、ヴァルラムが静かに口を開いた。 「私は、室長としてちゃんとやれているだろうか?」 「──── は?」  予想外過ぎる質問にクラーラは間抜けな声を出してしまった。  そして勘違いしたことに気付いた途端、恥ずかし過ぎて、みるみるうちに頬が熱くなる。  遅れて自分が確かに落胆したことまで自覚してしまった。これでは、まるで自分が婚約話を蒸し返されることに期待していたみたいだ。  そんな自分が信じられなくて、混乱を極めてしまう。 「…… やはり、私は室長に向いていない……か」  アタフタするクラーラを完璧に勘違いしているヴァルラムは、宵闇でもわかるくらい落胆していた。 「ううんっ。そんなことないっ。ヴァルラムは、とっても良い室長だよっ」 「そうか?」  うっかりタメ口で言ってしまったことを忘れ、クラーラは大きく何度も頷く。  忖度抜きでヴァルラムは、もったいないくらいにとても素晴らしい室長だ。これは間違いない。 「ナタリーさん達は、その……ちょっと変わった人だからこれまでの室長とは良くぶつかっていたの。それに着任した室長はみんなやる気の無い人たちばっかりだったから」 「たとえば?」  柔らかく促されて、クラーラは頬をポリポリとかきながら、歴代の室長の悪事をバラす。 「えっと……、備品発注の申請書を出しても承認されるの一月待ちだったし、定刻に出勤するのなんて稀だったし、出勤したらしたで室長部屋のソファで大いびきかいていたり───」 「君の言葉を遮って悪いが、とんでもない人も居るんだな」  呆れた顔をするヴァルラムは、はっきりと「そんな奴らと一緒にするな」と無言で訴えてくる。  確かにそうだ。  生まれながらに厳しい教育を受けて来たヴァルラムと同じ土俵に立たせるには、あまりに不釣り合いだった。 「……とんでもない人だったけれど、でも、室長には違いなかったから」  「そうだな」 「でも、室長が来てくれて、これまでの人がとんでもない人達だったってことがわかった。ありがとうございます」 「ははっ、それは良かった」  ヴァルラムは笑い声を止めると、真剣な表情で口を開いた。 「私は、ここに来て良かったと思っている」 「......っ」 「君のような部下を持てることを、誇りに思う。もちろん他の研究員達もだ。だから私は、君達に恥じない室長になろうと強く思っている。今日は話してくれてありがとう」  差し出された手を、クラーラはまじまじと見てしまう。でも気づけば握っていた。  そして、半ば不安そうな表情をするヴァルラムを和ませるために、わざと明るい声を出す。 「私、これからも誇れる部下でいられるように頑張りますね」 「ああ。だが、今でも十分頑張っている。だから無理はしないでくれ」 「……ぜ、善処します」  即答できず、かつ確約できない文言をつぶやいた後、繋いだ手が一瞬だけピクリと動いた。次いでさっきよりも強く握りしめられた。  ヴァルラムの手は、今はもういない父親みたいに節ばっていて優しかった。  でも、父親じゃない。サリダンやローガの手とも全然、違う。  心の一番敏感な部分に触れる、大人の男のそれだった。 (ベルガモットの香り……ヴァルの匂いがする)  上司と部下として清潔な触れ合いしかしていないというのに、ドキドキの胸の鼓動が痛いほどうるさい。  しんとした夜の中で、互いの呼吸の音だけがやけに大きく響いた。
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