3.流れ星に願うのは

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 ─── それから一月後。  青インクをこってりと塗ったような空に、ムクムクと大きく育った入道雲が鎮座している。  研究所に居着いた動物たちは青々と茂った雑草を食むより、日陰で涼むことを選んでいる。  そんな夏の暑さも厳しいとある日、クラーラは両手に籠をぶら下げて、研究所の敷地の隅っこにある林を歩いていた。 「見るからにヤバそうなキノコって言っても……」  本日は染物愛が凄まじいリーチェから、見た目がグロいキノコを適当に取ってこいという厳命を受けてしまった。  サンゴ染め熱がひと段落したリーチェは、見た目と染めた際の色のギャップを楽しむのがマイブームのようで、彼女の個別研究室からは「あはんっ」という色っぽい声が絶え間なく聞こえて来る。  卑猥と言っても過言ではないその声は、聞く者をムズムズさせてしまう何かはあるが、4度目の夏を迎えるクラーラは、心の中でエールを送るくらいの耐性は付いている。  だがしかし、ご注文を受けたキノコはなかなか見つからない。  そもそもキノコの旬は秋である。もちろん夏でも生息しているが、数からすれば格段に少ない。  そんなわけでクラーラは、かれこれ3時間近く林をウロウロと彷徨っていたりする。 「──── あれ?クラーラ、なにしてるんだ?」 「へ?あ……」  地面にしゃがんでキノコを物色していたら背後から声を掛けられ、クラーラは深く考えずに振り返った。 「……!!」  中腰かつ中途半端に身体を捻った状態のままクラーラはピタッと固まってしまう。  サリダンとヴァルラムが二人仲良く訝しそうにこちらを見つめていたからだ。しかも今日のヴァルラムは、タイもベストも身に着けていない。シャツの上に白衣を羽織っただけの姿だった。  見慣れない彼が新鮮すぎて、思わず尻もちをついてしまう。 「驚かせてしまったようだね、すまない。立てるか?」 「……ひゃい」  差し出された手を取るか取らないかちょっと悩んで、結局クラーラは自力で立ち上がった。  落胆した空気が伝わってきたが、それに気付かないフリをして白衣の皺を直すことに専念する─── という体を貫く。  彼に触れたくないわけじゃない。触れて欲しくないわけでも、ない。ただ、気まずいのだ。  なにせ一ヶ月前、思わぬ邂逅からの流れでヴァルラムと親密な空気になってしまったからだ。  あの時、自分は間違いなく嬉しかった。ひやひやしたわけじゃなくてイライラしたわけでもない。彼を異性と意識して、ドキドキしたのに気付いてしまっているから。  だが、ヴァルラムはクラーラの心中に気付いていないのか気を取り直すと、ふわっと笑い普通に話しかけてきた。 「ところで、何をしているのかな?クラーラさん。こんな林の中で、しかもこの猛暑の中。何か探し物か?」 「あ、リーチェさんにキノコを取ってこいって頼まれて……」 「なるほど。今日も頑張っているんだな」  室長然としたヴァルラムは、ひょいと籠の中を覗く。  赤や紫。緑色のえげつない色をしたキノコを見て「珍しいな」と真顔で言う。 「これ全部毒キノコだから食うなよ。クラーラ」 「食べませんよっ」  横から口を出したサリダンに、クラーラは思わずムキになって言い返してしまった。 (……ああ、偉大なるサリダン先輩に向かってなんてことを……) 「ごめんなさい」  立ち上がってから、もう一度サリダンに向けて同じ言葉を呟いたクラーラは、そのままソソソソ……と近くの木に身体を隠した。 (ううう…… めちゃくちゃ気まずい)  ここは日陰なのに額から汗が流れる。でもそれは夏の気温のせいじゃない。ヴァルラムに見られているからだ。 「あの……ところで、お、お、お二人は何をしてるんですか?」 「サリダン殿がちょうど手が空いたから、少し林の中を案内してもらっていたんだ。樹皮は門外漢だから、その説明もしてもらっていたんだ」 「なるほど……です」  顔だけ木の陰から出して、こくこくと頷くクラーラに、ヴァルラムは目を細めて笑う。  駄目だ。この視線は真夏の日差しよりも身体に悪い。 「では、その……頑張ってください。私はこれで」 「ああ。君も無理し過ぎないようにな。水分をこまめに取って、移動の際にはなるべく日影を選ぶように」 「……ぜ、善処します」  気遣う言葉に、ありきたりな返事をしたクラーラは、更に林の中へと足を踏み入れた。
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