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賑やかな昼食を終えたあと、先輩研究員と室長は実験棟へと移動する。しかし、クラーラは総務棟へ立ち寄った。
「お疲れ様でーす。研究等の書簡を受け取りに来ました」
総務課の扉を開けてひょこっと顔を出せば、入口扉から一番近い席に座る壮年の男性が片手を上げる。
「お、来たね。これまとめておいたよ。今日の分ね」
「はーい、ダガールさん。いつもありがとうございます!」
「ははっ。こんなことでお礼だなんて大袈裟だよ。じゃあ、ちょっと量が多いけど気を付けて運ぶんだよ」
「はい!では、失礼しましたー」
両腕で抱えないといけないほど大きな木箱を持ったクラーラは、総務部の扉を背中で閉めて、廊下を歩き出す。
一歩歩くごとに木箱に入った中身がカサカサと音を立てる。
クラーラは午後一番になると総務課へ寄り、研究員宛ての書簡を受け取るのが日課だった。
総務棟を出て渡り廊下を歩けば、山羊のメコが駆け寄って来た。木箱の中身が気になるようだ。
「もうっ、これは駄目!おやつじゃないよ」
少しきつめにクラーラが言えば、メコは不満そうに「メェ」と鳴く。
しかし、山羊にしては聞き分けが良いメコは、それ以上手紙を食べたいと訴えることはしないで、実験棟までクラーラの後ろをトコトコと付いてくるだけだった。
それから実験棟に入ったクラーラは廊下を進み、少々行儀悪いが研究室の扉を足で開けてテーブルに木箱を置く。
「……ふぅ」
かつてはワインケースだったそれは、中の仕切りを外してはいるが結構な重量である。そして中身は溢れんばかりの書簡、書簡、書簡。
マノア植物研究所にある唯一の研究チームには毎日たくさんの書簡が届く。その中身は、ほとんどが依頼書又は発注書である。
ご存知の通り、この研究所は広大な面積を有しているが、資金面はとても厳しい。薬草などを取り扱う研究所であれば国からの多額の援助も望めるし、また、未来の新薬を期待して出資者を募ることもできる。
しかし、香料と染物と樹皮の再利用の研究がメインのここは如何せんインパクトは弱い。国も娯楽用品の研究という認識を持っているため、援助はスズメの涙だったりもする。
そのため、研究所を維持するためには、何かしらの収入を得なければならない。何としても。
だってここは、掃き溜め研究所。
本来なら研究員は施設の資金面など気にしなくて良いはずなのだが、ここは訳有ものが集う場所だから。
唯一の行き場を失わないため、また薄給の穴埋めのために、研究員達は個々に裕福な連中から依頼を受け、現金収入を得ていたりする。
従って、毎日届く書簡は未来の現金となるもの。
だからクラーラは山のような書簡にうんざりすることなく、”ありがとう”の気持ちでせっせと仕分けをする。
壁時計の針はさほど動いてはいないが、テーブルには4つの書簡の塔ができている。
対して木箱の中の中身はあと少し。
あとは各自のメールボックスにこれらを突っ込めば、午後一番の仕事は完了となる。
(終わったら、お茶でも飲もうかな)
今日の研究室は酷く静かだ。
他の研究員は各自の研究室で、それぞれ研究に勤しんでいるはずだから、雑用を伺うついでに、午前中に使ったカップを回収しつつ新しいお茶を届けよう。
なにせ頭の中は樹皮と香木と草花のことで埋め尽くされている人達だ。空いたカップを洗うという発想など持っていない。
けれども、一通の封筒を手に取った途端、げんなりした表情を浮かべてしまった。
「ああ……そっか……もう一年経つんだ」
時間の流れは早いなぁ。こういうのって『コーインヤノゴトシ』って言うんだっけ?
サリダンが時折口にする異国の言葉を思い出してみる。明らかに現実逃避だ。
だが思考は逃亡しても、手に持っている封筒は消えてはくれない。
上品なライトブルーの封筒に綴られている差出人の名はチャーチェ・グリッド─── 幼い頃に離婚した母親に引き取られた実の妹だった。
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