82人が本棚に入れています
本棚に追加
/80ページ
過去のことだと割り切っているクラーラに対して、ヴァルラムはまったく別の表情を浮かべている。
「会いたかったよ、ララ。ずっと君を探していた。さぁ、おいで」
両手を広げて更に笑みを深くする彼に、まるで3年前に時間が戻してしまったかのような錯覚を覚えてしまう。
ぐらりと視界が揺らいだのは、自分がよろめいたからなのだろう。
顔色を無くしたヴァルラムは、大丈夫かと慌てた様子で、大股に距離を詰めてくる。
クラーラは両手で口を覆ったまま、後ずさる。
「どこに行こうとしているんだい?ララ。ん……もしかして婚約者を前にして、緊張しているのかい?可愛らしいな」
あっという間に向き合う形となったヴァルラムの顔は、逆光で良く見えない。
ただ、この再会を喜んでいるのは手に取るようにわかる。
でも目の前の光景を、クラーラはどうしたって信じられなかった。彼が紡ぐ言葉も。
「私……もう、あなたの婚約者じゃない。破棄したはず……です」
「ああ、君の代理人が一方的な手紙を寄越してきたけれど、たちの悪い嫌がらせだと思ったから破り捨てたよ。もちろん承諾なんてしていない。だから、ララは今も私の婚約者だ」
「なっ」
淡々と告げられた内容があまりに信じられなくて、クラーラは大きく目を見開いた。
「……嘘」
「嘘じゃない。だからこうして会いに来た」
柔らかい口調なのに、ミントグリーンの瞳は冴え冴えとしていた。
間違いなく彼は怒っている。でも、こんな怖い顔のヴァルラムなど過去の一度も見たことがなかった。
静かに、深く怒っているヴァルラムがあまりに恐ろしくて、クラーラは思わず踵を返して廊下に逃げようとした。
けれど、素早い動きで手首を捕まれてしまった。
「ひどいなぁ、ララ。こんなに邪険にされたら、さすがに傷つくよ?」
壁に押し付けられた身体に、ぐいっと近づくたくましい胸板を前にクラーラはなす術もなくぎゅっと目を瞑った。
嗅ぎ慣れていたベルガモットの香りが鼻孔をくすぐる。
「私が怖いかい?……でも怒らせたのは、君だ。そして、もう、逃がさないよ」
在りし日の情景が瞼の裏に蘇ったと同時に、頭上からひやりと冷たい声が振ってきた。
クラーラはここで、彼が自分の記憶とはまったく違う人間になってしまったことに気付いた。
かつての彼に対して怖いと思うことなんて一度もなかったし、穏やかな声で名前を呼んでくれたし――こんな強引な態度は取らなかった。
力任せに掴まれた手首が、ギチギチと悲鳴を上げとても痛い。
せめてと思って、背けた顔はすぐに顎を捕まれ、いとも簡単に視線を合わされる。
「本当につれないね、ララ。僕は君と再会できるのを今か今かと待ちわびていたのに」
「…… ヴェ……いえ、ヒーストン卿」
「は?ヒーストン卿?」
ヴァルラムは信じられないといった感じで目を大きく開いた。
そして、すぐ酷く傷つた顔になり、呻るような声を出す。
「……今、何て言ったんだ?もう一度言ってごらん?ララ」
言えるもんなら言ってみろと言いたげな口調に、クラーラは唇を噛む。
(あ……どうしよう)
冴え冴えとした眼光。僅かに震えている唇。更に強まる手首を掴む力。
温厚で穏やかで、紳士でしかなかった彼が初めて感情のままに口を開いている。
その乱暴な態度に、ヴァルラムが本気で怒っていることを知る。
「……ごめんなさい。私……あなたを怒らせたかったわけじゃないの。でも、もう婚約していたのは過去のこと。それだけは、わかっ」
「ふざけるな!」
ヴァルラムが何を怒っているのか理解できないまま、どうしても譲れない主張を押し通そうとすれば彼の怒声によって遮られてしまった。
最初のコメントを投稿しよう!