82人が本棚に入れています
本棚に追加
/80ページ
クラーラの父ギニシス・セランネとその母ティスロッタは、親同士が決めた謂わば政略結婚だった。
没落寸前の伯爵家は、数々の論文を世に出し注目を集めている男爵家の財産を宛てにして、娘を嫁がせたのだ。
両親の結婚生活は、政略結婚ではありながらも最初は順調だった。
母は子供─── クラーラを産み、父は新しい論文がまた学会に取り上げられ、更にセランネ家の財産は潤った。と同時に、ティスロッタの実家も没落の危機を免れた。
しかし、二人目の子供─── チャーチェが生まれた後、少しずつ歯車が狂い始めた。
簡単に言うと、研究馬鹿の父に愛想をつかせた母のティスロッタが不貞行為を働いたのだ。
そして3年以上夫以外の男と情事を楽しみ続けた母は、新しい夫を見つけた。今度は年下の裕福な商人の男だった。
ま、ギニシスは捨てられたのだ。クラーラが10歳の頃に。散々金をむしり取られた挙句、ポイっと。ゴミ箱にゴミを放り込むより雑に。
それからクラーラの生活は大きく変化した。
まず、母親と妹が家を出て行ってから家族が半分になってしまった。いれかわるように、ジェラルドが執事見習いとして屋敷にやって来た。
父は母親に捨てられた傷を埋めるかのように、更に仕事に没頭した。
ジェラルドも父に負けず劣らずの勢いで執事の業務を身に付けた。
そうして、クラーラはジェラルドの真面目さをお手本にして、ほとんど職場から戻らない父親の面影を探すように勉強に励み、アウスゲネード学園に入学したのだ。
その間、母親から手紙は届くことは無かった。
母に拒絶されていることをなんとなく察したクラーラも、あえて連絡することはしなかった。妹であるチャーチェに対しても。
しかし3年前、父であるギニシスが病で死んだ。
当時、15歳だったクラーラはまだ未成年で親の庇護下にいなければならなかった。
けれど母親はクラーラが連絡を取ろうとする前に、「うちではあなたを引き取れない」という内容だけの手紙を送りつけて来た。
母と結婚する際に、父は親族から猛反対を受けそのまま疎遠となってしまったので、クラーラを引き取る者はどこにもいなかった。
しかもセランネ家の財政は思ったより芳しくなかった。幸い借金は無かったけれど、使用人達に退職金を払う為屋敷を手放さざるを得なかった。
そうして何の後ろ盾も無いクラーラが生きていくには、もう修道女になる道しかなかった。
結果として、クラーラはジェラルドが尽力して見つけてくれた、ここマノア植物研究所で職を得ることができた。
修道女になるより、何倍も何百倍も充実した時間を過ごすことができている。
でも姉妹の縁は切れたはずなのに、妹のチャーチェから毎年誕生日パーティーの招待状が届く。その度に気持ちは、どうしたってふさぎ込んでしまう。
なぜなら、妹であるチャーチェは自分のことを憎んでいるから。理由はわからないけれど。
─── ガチャリ。
不意に共同研究室の扉が開いた。しかし物思いにふけっているクラーラは、それに気付かない。
「ねぇ、クラーラ。悪いけど、ちょっと花壇まで行って、大至急ブーゲンビリアの花を摘んできてくれない?それと、食堂に行って乾燥したセージの葉も───」
扉を開けながらつらつらと用事を口にしたリーチェは、途方にくれたクラーラを見て、それから毎年同じデザインの招待状を目にして、口を閉ざした。
「……そっかぁ。もう一年経つんだね」
「はい」
初めてチャーチェからパーティーの招待状を受け取った時、クラーラは何かの間違いだろうと無視をしていた。同封されていた出欠表も放置していた。
しかし、パーティー直前になって信じられないことに妹のチャーチェが研究所に乗り込んできたのだ。
そして金切り声で「どうして来ないのだ」とクラーラに詰め寄った。酷い姉だと泣きわめき、口汚く罵った。
いわれのない罵声に驚き硬直したクラーラを見かねて、たまたま近くにいたリーチェと用務員のカールが間に入ってくれた。
しかしチャーチェは、その二人にすら「姉妹の大事な話に口を挟まないで」と食って掛かった。
そしてヒートアップしたチャーチェは「妹の誕生日パーティーだというのに、休ませることもできない職場なんて最低だ!」と意味不明な持論を展開し、あろうことか所長に直談判すると言い出したのだ。
働き始めてまだ幾ばくも経っていないクラーラにとって、この騒ぎは顔から火が出るくらい恥ずかしいことだった。
それと共に、居場所を失うかもしれないというとてつもない恐怖を覚えた。
だからクラーラは不本意ではあったが、チャーチェの望み通り誕生日パーティーに出席することにした。
結果として最悪だった。
二度と行くかと思うほど屈辱的な時間だった。パートナーとして出席したジェラルドもその被害にあって、クラーラは床に額を押し付けて謝罪した。
でもクラーラは、毎年届く招待状に出席の返信をする。……しなくては、いけないのだ。
「ねぇクラーラ、去年のドレスさぁクローゼットに仕舞ったままなんでしょ?このリーチェ姉さんに貸しな。私が最高の色に染めてあげるから」
蓮っ葉な物言いに詰まった優しさを感じ取ったクラーラは、リーチェの腰にぎゅっと抱き着いた。
「……ありがとうございます」
「ふふっ、お姉ちゃんに任せなさい。会場にいる男全員の視線を釘付けにしてやるから」
にっと勇ましく笑いながらそう言ったリーチェは、クラーラの背を優しく撫でる。
有難すぎる申し出と、溢れんばかりの優しさを受け止めたクラーラは、涙を隠す為にリーチェの胸に額をぐりぐりと押し付けた。
最初のコメントを投稿しよう!