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─── リーチェにドレスを託してから、数日後の良く晴れた夏の午後。
クラーラは白衣を脱いだワンピース姿で、訪問客を待っていた。
「ーーお久しぶりです。お嬢様。今年は暑さが厳しいですが、夏バテなどしてませんか?」
クラーラの姿を視界に収めた途端、駆け寄って来たジェラルドの服装は、きっちり襟の詰まったフロックコート姿だった。
彼は執事を辞めた後、事業家として活躍しているため、身だしなみはいつも完璧だ。
「私は大丈夫。リーチェさんが試作品の麻のワンピースを譲ってもらえたから、毎日快適に過ごしてるよ。それより、ジェラルドの方が心配。ねえ、こんな場所なんだから上着脱いだら?」
「いえ、大丈夫です」
くすりと笑ったジェラルドは、少しぎこちない。
クラーラはそれが暑さを我慢しているせいだと勝手に結論付けて、ジェラルドの手を引っ張り日陰のベンチに移動する。
ここは花壇や温室の水やりの為にある用水路の近くだから、館内にいるより涼しい。
ただ、先客はいる。山羊のメコと鹿のナラが。
「ところで、お嬢様の元にチャーチェ殿からの招待状は届きましたか?」
「……うん。届いたよ」
迷惑そうな鳴き声を上げるメコとナラに賄賂のドライフルーツを与えつつ、クラーラは低い声で頷く。
それから、そぉっと伺うようにジェラルドを上目遣いに見た。
「……ねえ、ジェラルド。毎年お願いして申し訳ないんだけど……今年も」
「申し訳ございません、お嬢様」
クラーラの言葉を遮って、ジェラルドは頭を下げた。
それだけで、今年のパーティーに彼は参加できないことを知る。
「そっか。うん、そっか」
「申し訳ございません。遠方での商談が重なってしまい……なんとか空けるようにしたのですが、どうしても……」
「ああ、良いの良いのっ。そんな顔をしないで、ジェラルド」
彼はもうセランネ邸の執事ではない。
そんな、いつまでも頼ってはいけない人に、寄りかかってばかりではいけない。
まして不満に思うなんて言語道断だ。
そう思っているのにジェラルドは、大罪を犯したかのように更に頭を深く下げる。
「大丈夫だよ。ねぇ頭を上げて。あのね、サリダンさんかローガさんにお願いしてみるから」
「……ですが」
「本当に大丈夫。私だってもう18歳だよ?成人した大人だもん。王都に行く道順はちゃんとわかっているし、王都のパーティー会場の場所だって迷わず行けるよ」
えっへんとわざと胸を張ってみたら、ジェラルドの眉が八の字になる。
「わたくしは、お嬢様を何もできない子供だなんて思ってはおりません。むしろお嬢様が魅力的な女性であるから心配しているのです」
「あらやだー」
頬に手を当てて、わざとおちゃらけてそう言えば、ジェラルドは何とも言えない悲しい顔つきになった。
(……いやここは笑うか、呆れるかのどっちかじゃん)
クラーラはしょんぼりとしながら、ナラの背を撫でる。
ナラはちょっと嫌そうに鼻を鳴らしたけれど、大人しく撫でられてくれている。賄賂のドライフルーツを多めにあげた甲斐があった。
「あのね、ジェラルド」
「……なんでしょう、お嬢様」
ナラから手を離して、クラーラはわざと伸びをしてみる。この空気を変える為に。
「ジェラルドが私のことをいっぱい心配してくれるのは嬉しい。でも今、心配することは、パートナーを引き受けてくれるかもしれないサリダンとローガから、パーティーに出席する代わりに高価なお酒を強請られることじゃないのかな?」
敢えて神妙な口調で問うて正解だった。
ジェラルドは訝しそうな顔を一瞬だけしたが、すぐに参ったと言いたげに豪快に吹き出した。
「お二人とも酒豪ですからね、リクエストいただいたお酒はケースでご用意しないといけないですね」
「あはっ。きっとそうだね。でも、サリダンもローガも銘柄にこだわらないし、質より量を取るタイプだから。その時は私も協力させてね」
「いえ。これも伝手がございますので、ある程度の銘柄ならご用意できます」
生真面目に言い切るジェラルドは、「お二人に手紙を書いておきます」とも付け加える。
その口調は今回が初めてという感じでは無かった。どうやらジェラルドは、自分の知らないところで文通をする間柄のようだった。
「ねえ、ジェラルド。手紙って───」
「それではお嬢様、参加できない代わりにドレスだけでも、わたくしがご用意したく思います」
いつからサリダンとローガの二人と文通しているのか聞こうと思ったけれど、ジェラルドはそれを遮るようにクラーラに提案した。
思わぬ申し出にクラーラはぎょっとする。慌てて両手を前に降って、ついでに座ったまま後退までしてしまう。
「いやいやいや、大丈夫!去年のドレスがあるから!それで十分だよ!」
「……ですが」
少しの沈黙の後、ジェラルドは顔をしかめた。
昨年のパーティーで、チャーチェから地味過ぎると馬鹿にされたことを思い出しているのだろう。
それとも、せっかくの厚意を受け取らないクラーラに、苛立っているのかもしれない。
でもクラーラは、これ以上ジェラルドから何かをもらうつもりはなかった。だからといって、ジェラルドの好意を無下にしたくもない。
「あのね、聞いてジェラルド。実はね、リーチェさんが去年のドレスを染め直ししてくれるって、張り切ってるの」
「そうなのですか?」
驚いたように目を丸くするジェラルドに、クラーラは大きく頷く。
「うん!最高の色だって。何色かは染まるまで秘密って言われちゃったんだけど」
「さようですか。リーチェ殿が自ら染めていただけるとなれば、きっと、素晴らしい色なのでしょう」
「うん、うん!間違いなく素晴らしい色だと思うよ。会場にいる全男性を虜にさせるって言ってたから」
「……またなんてことを仰るんですか……あの方は……」
片手で顔を覆ったジェラルドに、クラーラは彼の肩をポンポン叩きながら「まあまあ」と宥め続けた。
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