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ヴァルラムの叩き付けるような怒声に、クラーラは頭が真っ白になる。
彼に怒鳴られたことなど、一度も無かった。
目を見開いて体を強張らせるクラーラを、ヴァルラムがどう受け止めたのかわからない。
ただ怒りは治まるどころか、更に激しさを増していった。
「何度言えばわかるんだっ。君は私のただ一人の婚約者だ!」
「……違う……違う」
「はっ、違わない。君が理解できないなら、何度だって言ってやる。私は気が長い。……ああ、それとも、もう他に結婚したい人でも現れたかな?」
「まさかっ」
あまりに見当違いなことを言われ、咄嗟に叫んでしまった。
「そうか……安心した。もし、そんな人がいたら、私はその男を処分しなくてはならなかったからね」
ほっとしたように笑ってはいるが、それはぞっとするほど冷ややかなものだった。
「震えているね。本気でそうすると思った?ま、するけどね」
「……っ」
「でも安心して良いよ、ララ。今すぐ君が私の婚約者だと自覚してくれれば、私は誰も傷付けないし、赴任期間は君を束縛したりもしない。これまで通り大好きな研究に打ち込めるよ」
まるで散歩でも行こうかと提案するような軽い口調だった。
でも、そのミントグリーンの瞳は、今にも食い殺さんばかりに尖っている。
これは、取引ではない。一方的な脅しだということは、ぐちゃぐちゃの思考でいるクラーラでも容易に理解できた。
「……できない。私に婚約者なんてもういない」
───だから、もう手を放して。解放して。
そう言葉を続けようと思った。でも、できなかった。
「ふぅん。君は存外頑固者だったんだね。知らなかった。なら私も手段は選ばないよ」
独り言のように呟いたヴァルラムは、掴んでいたクラーラの手を離した。けれど、逃げ出す間もなく今度は、クラーラを床に組み敷いた。
「赴任期間中は、疎遠になっていた君との時間をゆっくり埋めたかったけれど、仕方ないよね」
何が。
そんなことを聞かなくてもわかった。ギラギラとしたヴァルラムの目が、雄弁に語っていたから。
「人を呼びますよっ、ヒーストン卿」
「呼べは良いさ。私は結婚まで待ちきれなくて婚約者を抱いてしまった愚かな男になるだけだ。そうして既成事実を作って、君と私は即結婚する。─── これも悪くない」
「なっ」
驚愕したクラーラの頬を愛おしそうにヴァルラムは撫でる。
しかし次の瞬間、彼はクラーラの顎をつかむと強引に唇を合わせた。
「……んっ、は……や……んんっ」
クラーラの怯える舌を、ヴァルラムは絡め取る。蹂躙されるようなキスに、クラーラの目から涙が溢れた。
「……ん、や、やだ。やめて……んっ、はぁ」
息も絶え絶えになって懇願すれば、あろうことが組み敷かれた足の間にヴァルラムの膝が割って入って来た。
白衣を乱暴に脱ぎ捨てるのを、きちんと結んでいたタイが無造作に解く様を、クラーラはなす術も無く見つめることしかできない。
「こんな場所で君を抱くなんて思ってもみなかった。でも、ここまで私を煽ったのは君だから」
─── 憎んでも良いよ。恨んでも、いいさ。でも、絶対に放さない。
吐息と共に耳に注ぎ入れられた言葉は、熱く、到底嘘とは思えない本気のそれだった。
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