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ミス・ア・シングは似合わない
正しい力を、正しく使う。簡単なようでいて、それがどれだけ難しいことなのか分からない人は多い。片手で持てるような小さな拳銃が放つほんの小さな弾丸ですら、人の命を容易く奪っていく。この世に生を受けて、父母の愛に包まれた幸福の日々。恋人と手を繋ぎ指を絡め、情熱のままに過ごした日々。我が子を慈愛のままに優しく抱き上げ、頬擦りをした日々。それら全てを指の動きだけで一瞬にして物言わぬ骸に変えることが出来てしまうのだ。
更に言ってしまえば、技術の進歩というものは素晴らしくも恐ろしいもので、決定的な瞬間を直接見ることなく、ミサイルの発射スイッチさえ押してしまえば遠くの目標を粉々にしてしまうことも可能になった。ゲーム機のコントローラで動く無人の戦闘機が、街を燃やし尽くすことも出来る。如何に一方的に相手を殺し尽くし、それでいて自分たちは手を汚さずにするか。それが今の闘争であり、やろうと思えば実感なく人を殺すことができる時代なのだ。
だがそれも、相手がいるからこそ成り立つものだ。相手がいなくなってしまえば、遠くまで狙いを定めることが出来る狙撃銃も、どんな銃撃すらも耐え切ることのできる戦車も、大空を統べる戦闘機やヘリコプターも、街一つを焦土にできるミサイルも、ただのコレクションになってしまう。
表面上では、隣国同士の小競り合いを除けば数十年前にあったような世界大戦レベルの闘争は殆ど無くなってしまった。その為、遥か彼方……例えば遠い宇宙から我々を滅ぼしにやってきた宇宙人でも来なければ、殆ど全ての兵器は実戦で使われずにその役目を終えるのだろう。
まさか、宇宙人ではなく巨大な隕石によって地球が滅びる事になるなど思ってもいなかった。間もなく訪れる完全な終末へのカウントダウンを感じながら、深く深く息を吐く。
こんなところにいて、何もできないとは。ここには我が国を守る為に必要なものは存在している。空からやってくる仮想敵国の戦闘機を確実に撃墜できるものから、一つの小国程度なら破壊し尽くせるほどのミサイルが整備され、大統領の命令ひとつですぐに飛ばせるようになっている。
だが、それでも我が国の大統領をはじめとする世界の全ては沈黙を続けていた。まるで全てを諦めたようなものであり、それは世界中で同時に自殺をするようなものだ。何故行動に移さないのか。生き残る確率は天文学的に低いものだろう。それでも、やらない限りはゼロだ。最高権力者の指示なしの身勝手な行動など、軍隊においては最もしてはならないと理解しているからこそ、歯痒さが加速度的に強くなっていく。
「各員、対応を急げ!」
「来るぞ来るぞ来るぞ来るぞ!」
「何が出来るっていうんだ! どうせみんな死ぬんだ!」
周囲から部下達の叫び声が聞こえてくる。普段ならば彼らに弱音を吐くことなど許さない。基本的には言葉を使って、状況によっては鉄拳を使って『指導』をしなければ、きちんとした指揮系統を作ることはできない。指示をする者が気品と覚悟を持って物事に当たり、指示に従うものに信頼を与える。そうしなければ、後ろから撃たれるだけだと退任した上司から教わったものだ。
頭の中でエアロスミスの『I Don't Want to Miss a Thing』が流れている。まさか映画のようなことになるとは思ってもいなかった。銀幕の向こうではヒーロー達が地球を救ってみせたが、現実ではここまでうまくいかない。自虐的になりそうな気持ちをグッと押さえ、自分を鼓舞するように、ネクタイをきつく締める。左胸の勲章がやけに重く感じるが、気のせいだと思うことにしてマイクに向かって声を放つ。
「状況を」
口にしたのは短い言葉。こういう時は、わざとらしく威厳を出した方が効果的なのだ。周囲の空気が張り詰めていくのを感じる。
「残り28分44秒で外気圏5000キロメートルに到達。そのままおよそマッハ55……秒速18.7キロメートルで地表へとぶつかるコースです」
「その場合の猶予の時間は?」
「5000キロメートル上空から地表まで267秒です」
世界が終わるまで、残り30分を切っているというのか。悩ませてくれる時間など、既にに存在していなかった。
「各員、全ての地対空ミサイルのセーフティを解除。弾道ミサイルもだ」
「……は?」
自分がこんなことを言うなど、誰も思っていなかったのだろう。一番近くにいた部下が素っ頓狂な声を上げると、徐々に周囲がざわめいていく。問答する暇はない。小さく咳払いをしながら部下を見直すと、一瞬の間に背筋を伸ばし、続く言葉を待ちわびているようであった。
「聞こえなかったのかね、解除するのだ」
「了解」
復唱は短かったが、それでいて覚悟に満ちた声だった。我ながら良い部下を持った。彼らの戸惑いは一瞬のうちに消え失せていた。次にやるべきことを理解して、真っ直ぐに行動に移していく彼らを誇りに思う。
椅子から立ち上がり、周りを見回すと、部下たちも同タイミングで立ち上がる。こうして自分に直立不動で視線を向けている部下たちの顔を最後の最後まで頭の中に刻み続けよう。大きく息を吸い、最後の半刻を共にする戦士たちに向かって声を放つ。
「これは私の独断だ。合衆国の軍人として、一番やってはならないことをする。それでも、この星に生きるものとして、何もせずに、そのまま死ぬことなどできない。可能性が低くても、例え無駄な事だとしても、足掻いて足掻いて足掻いて、悔いを残さず死ぬべきだ」
戦士たちは一糸乱れぬ動作の敬礼を以て、自分の言葉に対する返答をする。先程まで廊下で騒いでいた者たちも、いつの間にか同じように敬礼をしていた。ならばここからは、この場にいる者は一つの共同体だ。世界を救うためなど、崇高なものではない。ただ生きるために足掻く。ただそれだけのことだ。人間が人間として、最後の瞬間までに出来ることをしなければならないのだ。
「目標はクソッタレのデカい石だ。射程に入り次第、撃って撃って撃ちまくれ」
これは演説ではない。歓声は必要ない。各々が持ち場に戻り、最善を尽くしていく。迎え撃つ準備は迅速に進み、レーダーが迫り来る隕石を捉えるまではそうは時間はかからなかった。
「第一波、発射準備完了しました! やるだけやってやりましょうぜ!」
興奮気味の声がスピーカーから聞こえてきた。クリスマスにはまだまだ早いが、一発が100万ドルを超える景気の良い打ち上げ花火の連続発射だ。全部、全部持っていけ。
「撃て!」
エアロスミスが主題歌を担当した映画のようになるとは思ってはいないが、こんなところで世界を終わらせるわけはいかない。全てを滅ぼす直径75キロメートルの怪物に向かって、勝負を挑む号令を上げた。
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