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瓦礫
このまま何事もなく月や星達が東の空に沈めば、西から太陽が上って朝が来る。明日も明後日もその次の日も、同じ日が繰り返される。そんな当たり前のことを疑うなど、一度もなかった。
1999年のノストラダムスの大予言や、2012年のマヤ文明の滅亡の予言のように、何もかもデタラメであって欲しかった。予言の日に何も起こることはなく、友人と『つまらない』と愚痴ることが出来ることが、どれだけ間抜けで幸せなことなのか、昔の俺たちは知らなかった。
あと僅かで、世界は滅びる。それは紛れもない真実なのだ。あと数時間も経たないうちに、直径45キロメートルほどの巨大な隕石が日本列島とハワイのちょうど間あたりに直撃する。
嘘だ嘘だと今までずっと思っていた。数ヶ月前に希望の船が粉々になったニュースを見てから、世界は徐々にではあるが確実におかしくなっていった。絶望した人は宇宙船の後を追うように自らの命を絶ち、諦めた人は何事も無かったかのように日々を過ごしていた。中には自分のように受け入れることが出来なかった人間もいるだろう。泣いて、叫んで、狼狽えて。のたうち回ったとしても、事態は好転することなどない。それでも、逃れることの出来ない滅びの運命など、到底受け入れることが出来なかっただけなのだ。
今が最後の日であることすら受け入れることが出来ずに、自宅を飛び出した。何も考えずに走り回っているうちに、いつの間にかこの場所に辿り着いていた。
辺りはすっかり夜が落ちていて、いつも通りの星空が広がっている。蒸し暑い風と草の匂いが、薄っぺらい夏を想起させて、胃の奥から酸っぱいものが込み上げてくる。夏の夜を彩る鳥や蛙と虫達の少しちぐはぐなオーケストラが、今はどうしようもなく不快だった。
何故ここに来たのか、分からなかった。もう10年ほど前の話だ。少年時代の一時期、幼なじみのリョウに連れられて河川敷の隅であるこの場に何度かやって来たのだ。リョウ達は笑いながらこの場のことを『秘密基地』だと笑っていた。主の居なくなったホームレスの住処を改造したというそれは、各々が持ち寄った資材などにより原型を留めないほどに姿を変えられていた。ほんの数回、リョウの付き添いでしか足を運んだことはなかったが、秘密基地のボロボロのドアを開けた瞬間に日常と非日常が切り替わるような気がして、なんだかとてもワクワクしたことを思い出した。
だがそれも、昔の話だ。形あるものはいつか崩れ去る。秘密基地は確かにここにあった筈だ。この街で産まれてからずっと、ここで暮らしてきた。そんな俺が場所を見間違えることはない。かつて秘密基地があった場所を何度見ても、朽ち果てた瓦礫が草で埋め尽くされてしまっていた。
「ははっ」
乾いた笑いが喉の奥から出てくる。ほんの僅かな思い出すらも、消えてなくなっていく。そして未来さえも、明日さえも不条理に消し飛んでいく。こんなに悲しいことはあるのだろうか。辛いことはあるのだろうか。こんな思いをするのならば、なぜ俺は産まれてきたのだろう。なぜこうやって生きてきたのだろう。
なぜ。
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ。
「ははははは……!」
疑問符で押し潰された頭の奥底で、何か決定的なものが粉々に砕け散るような音がした。迫り来る理不尽の象徴から少しでも目を背けたくて、目の前の瓦礫を力の限り殴り付ける。右手の中指と薬指が爆ぜたような痛みですら、どうにかなってしまった頭の中が冷える気配はない。痛みなど一瞬で感じなくなった両手で草を引き抜き、瓦礫を蹴り飛ばしていると、奥の奥から見覚えのあるものが見えた。当時流行っていた特撮ヒーローが描かれた、所々が凹んだ小さなアルミ製の缶だ。秘密基地に残されたものだと頭の片隅では認識していたが、今の自分にはそれを受け入れることが出来なかった。手を伸ばして缶を掴むと、腕を振りかぶり足元に叩きつけた。
乾いた音と共に缶はひしゃげて中身をぶちまけて、月と星の光がそれを映し出す。何か書かれた紙が何枚か放り出され、草の露に触れて濡れていく。
何気なくそれを手に取り、目を通す。どうせ子供の下らない落書きだろう。すぐに破り捨てるつもりでいたがわどこか見覚えのある文字が微かに残されていた理性を強引に繋ぎとめた。
それは、リョウの文字だった。拙い鳥の絵とともに、一言だけメッセージが記されていた。
『みんな、何年経ってもずっと仲間だよ』
その願いは、叶うことは無かったのだ。ここに俺が来るようになってからすぐに、リョウはこの河川敷で溺れて死んでしまったからだ。日常と非日常は繋がっていなかった。現実は現実のままだったのだ。そして現実は連続して繋がっていき、今が形作られていく。その結果が、もう間もなくやってくる終末なのだ。全てを滅ぼす巨大な岩石が全てを粉々にして、この星を吹き飛ばしてしまうだろう。三途の川はきっと大渋滞だ。リョウに会うのは、相当後になるだろう。だから――
「一足早く、会いに行くよ」
自分の意思の外でみっともなく死ぬのならば、自分の意思で歩いていこう。川の中央に向かって、ゆっくりと歩き出す。
リョウ、リョウ。キミは絶対怒るだろうけど、どうか許してほしい。話したいことが、沢山あるんだ。だから、少しぐらい早く来たって、いいだろう?
『彼女』の長い亜麻色の髪を思い出しながら、足首を水面に突っ込む。やけに温かな川の水が、俺の事を受け入れているような気がした。
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