たけちゃん

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たけちゃん

「それは、私が中学二年生の時の夏でした」  松岡さんは俯きがちに話し始めた。  松岡さんの父はとある田舎の出身だ。毎年、正月と夏休み――お盆から一週間程度、松岡さんは父の実家である田舎へ家族と一緒に帰省していたという。  その町は所謂「陸の孤島」で辺りは山々に囲まれ、隣の町まで行くには山道を車で三十分弱の距離があった。 「畑や田んぼがパッチワークみたいに広がっていて……海はありませんが、川や池があちこちにあってとても自然豊かでした。山で虫取りをしたり、川で水遊びや釣りをしたり……都会育ちだったので普段出来ないことばかりで私にとって田舎で過ごす一夏は特別な物でした」  そんな彼には田舎町に「たけちゃん」という同じ歳の友達がいた。  たけちゃん一家は松岡さんの父親の実家から数メートル離れた先に住むお隣さんで、よく松岡さんの祖父母の世話や畑仕事を手伝っていた。両親だけでなく、たけちゃん自身も世話焼きで、田舎の子ども達にとっては「兄貴」のような存在だったそうだ。 「私のような「よそ者」にも優しくしてくれて、よく山を駆け回ったり秘密基地で駄菓子を食べたりしていました。友達、というより従兄弟のような感じでしたね。祖母も「孫みたいだ」とよく言っていましたし」  「本当の孫は自分なのに」と当時は少しだけむくれてしまった松岡さんだったが、怒りは直ぐに収まってしまう。  過疎化していた陸の孤島。当時村にいた子どもは十人程度で、町に住む老人達にとってはみんなが孫のように大切な存在だった。それに気が付いた頃から松岡さんは帰省したときには思い切り祖父母に甘えるようにした。 「母の出産や、私が熱を出した事が重なって、あの町に訪れたのは三年ぶりでした」  最後に訪れたときに比べるとだいぶ背も伸び体つきも逞しくなった松岡さんは、年の離れた妹と両親と共に祖父母の家へと訪れた。久しぶりの祖父母の家は少し埃っぽくて、しかしながらとても懐かしい感覚がした。  成長した松岡さんと妹の姿を見た祖父母は痛く喜んでいたという。お菓子は例年の倍ほどちゃぶ台に並んだ。  再会の感動が落着いた翌日、いつもと同じように墓参りを済ませ、縁側で今年出来た西瓜を食べる。すると、いつもと同じように松岡さんたちの帰省を祝う為に親戚達が村中から集まってきた。それに混ざって自転車に乗った町の子ども達が釣り道具をひっさげて押し寄せてきた。 「吃驚するくらい大きくなってましたけど、みんなお揃いみたいに日に焼けて、白のタンクトップに半ズボンで思わず笑っちゃいました。私の周りは中学に入って半端にぐれたり中学生デビューか何かで変に気取ってる奴が多かったんですよ。だから、みんなあの頃と変わらないなって思って」  友人達との三年ぶりの再会に歓喜していた松岡さんは直ぐに眉をしかめた。 「たけちゃんがいなかったんです」  あまりの成長に彼の姿がわからなかった訳では無く、その空間にたけちゃんの姿はなかった。子ども達のリーダーで、いつも子ども達の輪の中心にいたたけちゃんの姿がどこにもなかった。  風邪でも引いたか。都合が合わなかったのか。兎にも角にもその場にいない友人を探し松岡さんは身を乗り出した。 「たけちゃんは?」  空気が凍った。  ツクツクホウシの鳴く声だけが、嫌に耳をついた。  聞こえなかったのだろうかと、松岡さんがもう一度口を開こうとした瞬間家の奥から声がした。 「いないよ」  声の主は松岡さんの祖母だった。 「そんな子はいない」  声を聞くと来ていた子ども達はばつが悪そうに俯いて松岡さんを釣りへと誘った。 「初めてあんな祖母の声を聞きました。保健の授業で見たタールの映像を思い出しました」  そしてなにより、祖母が放った言葉の意味がわからなかった。 「あの日、あの場どころか、元々「たけちゃん」なんて子はこの村にいない。そんな口ぶりだったんです。たけちゃんのことを「孫みたい」といっていた祖母の言葉とは思えなくて」  松岡さんは腕を引かれるままに子ども達と釣りへ出かけた。  川に辿り着くまでの間、皆無言だった。  夏とは思えないほどの冷たく暗い道中。やっと辿り着いた池の畔で友人の一人が口を開いた。 「行方不明なんだ」  曰く、二年前の夏。遊び仲間の一人が山で迷子になったらしく、村の大人達総出でその子どもを捜し回ったらしい。夕方になり、夜になり隣町からレスキュー隊もやってきた。  子ども達は皆、家でその子の無事を祈っていたのだが彼だけは違った。 「たけちゃんは、その子を捜しに山に入ったそうなんです」  戻って大人しくしておけという父親の制止を振り切って、たけちゃんは山へと入っていった。  それから三十分もしないうちに、その子は山中にある神社の参道の入口で見つかった。何かに脅えるように震えているその子はこう口にしたという。 「たけちゃん、ひとりでいっちゃった」  その子を保護した後、たけちゃんの捜索が行われたが村の老人達の言葉によって捜索はものの一時間で打ち切られた。 「山神様に気に入られちまったんだ。優しい子だから」  その日から「たけちゃん」はいないことになっていたという。村の誰もたけちゃんの話をしなくなり、学校の名簿からはたけちゃんの名前が消えた。たけちゃんの両親は初めこそ山へとたけちゃんを探しに行ったが程なくして村から出て行った。  松岡さんの聞き覚えがない「神様」によって、たけちゃんの存在は消されてしまったのだ。 「だから「たけちゃん」はもういないんだ」  そんなことを言われても納得など出来るわけがなく、松岡さんは友人達を問いただした。どうしてたけちゃんを探すことを諦めてしまったのか。何故誰も反論しなかったのか。迷子になった子どもは何を見たのか。そして、「山神様」とは、何なのか。  だが何も言っても回答はなく、返ってくるのは同じ言葉。 「さび神社には近づくな」  悔しそうに俯き、子ども達は帰って行った。 「でも、子どもって「やるな」って言われたらやりたくなるし「行くな」って言われた場所には行きたくなるじゃないですか」  たけちゃんが見つかるとは思っていなかったし、見つかったところで生きているはずがないことはわかっていた。けれど、松岡さんは唯々納得がいかなくて一人、山へと向かった。 「苛立ちを落着かせたかった。そして、何か大きな存在に隠されてしまったたけちゃんの存在を諦めたくて、その正当な理由が欲しくて、がむしゃらになって山を登りました」  いくら毎年村に来て、山遊びをしていたとはいえ、松岡さんがいつも遊んでいたのは山のほんの一角。 「しばらく歩いたんですけど、案の定、道に迷ってしまったんです」  木々はどんどん生い茂っていき、辺りは次第に暗くなっていく。森独特の湿気と濃い土の匂いが松岡さんを包んでいった。  心臓が嫌な音を立て始め、冷や汗が背を伝う。山を下りようと振り返ったが果たして自分がどちらから来たのか、そもそも登っていたのか下っていたのかもわからなくなってしまっていた。  友人から聞いた山で迷子になった子のことを思い出しながら松岡さんは山の中を彷徨った。  昼間、太陽によって熱せられていたはずの空気がどんどん冷たくなる。蝉の鳴き声が聞こえなくなり、目を閉じているのか開けているのかもわからなくなったその時、松岡さんは足を止めた。 「急に視界に光のような物が見えたんです」  光は目の前の建物から漏れていた。  造りのしっかりとした和風家屋。木造平屋建ての建物とその周辺には生活感もあり、誰かが「いる」のは明白だった。  こんな山奥に人が住んでいるなんて知らなかった。松岡さんはやっと深く息をした。 「安心して近づいたら、なんだか変な匂いがし始めたんです。変というか、甘い匂い。当時はわかりませんでしたが、今思えばチョコレートのような……普通の茶色いチョコではなくて、ピンクのイチゴチョコのような甘ったるくて少し酸っぱい匂いが漂ってきたんです」  一瞬首をかしげたが、特に気にすることもなく松岡さんは縋るように建物へと向かった。家の戸を叩こうとしたが、縁側に接する部屋の戸が僅かに開いていることに気が付いた。  この家の家主はどんな人物なのだろうか。気になって松岡さんは膝をついて縁側に上がると、戸の隙間から部屋の中を覗いてみた。  八畳ほどの板間。家具も何も置いていないその空間に松岡さんは見知った顔を見て息を呑んだ。 「たけちゃんでした。私の見覚えがあるたけちゃんがそこにいました」  小学生の頃の背丈と風貌で――ちょうど、行方不明になった頃のままだろうと思われる姿形で、白い浴衣を着たたけちゃんが正座をして佇んでいた。よく知る彼は夏の日に焼けた肌をしていたからだろうか。やけに肌が白いたけちゃんの横顔をよく見てみると、黒い瞳は何かを見つめ、薄い唇は小刻みに動いては時折弧を描いていた。 「たけちゃんは何かに語りかけていたんです」  幼い姿である時点でたけちゃんが異常であることは、混乱した松岡さんの頭でもはっきりわかった。そんなたけちゃんが話しをしている「誰か」も大凡自分の想像の範疇から逸脱しているであろう事も、はっきりとわかってしまった。  身体中の臓器という臓器が冷えで縮こまる。けれど何かに取憑かれたように松岡さんはその場から離れることなく、たけちゃんが話しているソレに目を向けた。 「一瞬、クマがいるのかと思いました」  身体中に硬くて艶やかな黒い毛を生やし、二メートルほどありそうな身体を丸く猫背になりながらたけちゃんと向き合っているソレは、松岡さんが知っているどの生き物にも当てはまらない風貌をしていた。頭らしき場所には目が六つあり、口がほぼ縁まで裂けている面のような物が張り付いている。呼吸する度に松の葉のような毛を膨らませるソレは、たけちゃんが口を動かすと「カタタタ……カタタタ……」と乾いた竹がぶつかり合うような音を立ててぐるぐると面を回した。  面が軋みながら回転すればするほどにあの甘い匂いが濃くなる。匂いの元があの生き物であることに気付いた瞬間、松岡さんはバランスを崩して縁側に手をついた。 「あっ」  キイッと床が鳴る。  刹那、視線を感じて松岡さんは部屋の方へと向き直った。  面の下で巨大な口を閉口する生き物。そして、自分が知らない虚ろで蕩けたような目をしたたけちゃんが、こちらを見ていた。  松岡さんは悲鳴を上げることさえ出来ず、跳ぶようにその場から逃げていた。 「必死で山を下って、祖父母の家に帰りました」  山を下る途中、苔生して崩れかけた鳥居を潜り松岡さんは今まで自分がいた場所がどこであったのかを理解した。  松岡さんは足をもつれさせながら祖父母の家に辿り着いた。汗にまみれ、顔面蒼白になった松岡さんを見て祖父母は何かを察したらしい。 「ほら、あの子のことはもう忘れなさい」  祖母は優しい声で囁いて松岡さんを強く抱きしめた。  それ以降、松岡さんはお盆にあの村へ行くことはなくなった。正月に帰った際には家に籠もって祖父や親戚、父と一緒に雀卓を囲むなどして過ごした。 「元々、冬には冷えが酷い地域でしたからね。家から出て――山になんて行く理由はありませんでしたし、そんな勇気もありませんでした」  祖父母が亡くなってからは墓参りも父だけが行くようになり、程なくして家族の誰もあの村へは足を運ばなくなった。 「今もふと思うんです。たけちゃんはまだあの村の、あの山奥で、あの時の姿のまま、あの化け物と一緒にいるのかな、と」  今年還暦を迎える松岡さんは皺が刻まれた顔を歪ませた。
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