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最終話 獣は愛しきすべてに別れを告げる
白く塗られたラボの内装は、まるで巨大な新生児室のようだった。
カプセルを出た俺はタオルで身体を拭くと、やはりすぐ隣のカプセルから出たばかりの波に「おはよう波、気分は?」と尋ねた。
「お蔭様で、とてもすっきりしてる」
「そうか、俺もだよ。生まれ変わったみたいだ」
俺は波を抱きよせると、肌の感触を確かめた。人間とも機械とも違う、しかし柔らかく温かい感触が、俺の胸を新たな感動で満たした。
「二人とも、目が覚めたようだね。――ちょっとこっちに来たまえ」
鬼島医師に促されて俺と波がフロアの奥に移動すると、壁の一部が開いて奥のスペースが目の前に広がった。
「――これは?」
俺たちの前に置かれていたのは、青いボディーに赤いラインが入った二人乗りの飛行車両だった。
「この飛行車両『流星号』は、君たちのために始祖の設計図に基づいて造ったものだ。重力制御ユニットを搭載し、太陽エネルギーと核融合エンジンで地上と空を移動できる」
「こいつで新天地を見つけろってことですね」
「そうだ。この運転席は生命維持ポッドにもなっていて、君たちの身体にエネルギーを供給し続ける。その気になれば新天地が見つかるまで十年でも百年でも運転が可能だ」
「何としても見つけてみせますよ。次の世代を生み育てるためにも」
俺が言いきると、鬼島医師は笑顔の中に少しだけ戸惑ったような表情を浮かべた。
「正直、新しい種である君たちが何年生きるのか、私にも始祖たちにもわからない。一年しか生きられないかもしれないし、千年生きるかもしれない。いずれにせよ、それはこの星が決めることだ」
「たとえ一年だろうと、波と一緒にいられたのなら悔いはありません。……先生、俺にはこいつに乗る前にひとつ、やり残していることがあるんです」
「なんだね?」
「哉の……妹の結婚式に出たいんです。俺と哉には両親がいません。あいつの結婚式に家族として参加できたら、もう思い残すことはありません」
「――もちろん、いいとも。千年のうちの一日くらい、どうってことはないからね」
鬼島医師は冗談めかして言うと、端末の画面を操作して格納庫の扉を閉めた。
「……波、君も出席してくれないか」
「私なんかが出ていいの?大切な式の空気を悪くしないかしら」
「君は妹にとって未来の義姉だ。大丈夫、出席する資格がある」
「わかった、出席させてもらうわ」
「それが済んだらこいつで旅に出よう。千年……いや、生まれ変わっても続く俺と君の永遠の旅に」
終章
その小さな教会は、人間と機人が互いに融通し合って利用する共通の避暑地にあった。
伽賀の知人である神父に促されて誓いの言葉を交わしあった守と哉は、招待客の方を向いて一礼した。
「みなさん、この式が終わった後、私を支えてくれた兄がパートナーの方と新しい旅に出ます。私と守さんだけでなく、新たに人生のスタートを切る兄と波さんに祝福をお願いします」
俺は波と一緒に席を立つと、決して多いとは言えない招待客に向かって深くお辞儀をした。招待客の中には重吉、華怜をはじめとするジムの仲間たち、車椅子に乗ったニコの姿もあった。
「北原さん……いえ、お義兄さん、僕はファイターとしてはまだ駆け出しですが、必ずあなたがたどり着いた場所に登り詰めてみせます。どこかで見ていて下さい」
守がそう言って拳を握りしめると、招待客たちの間から期せずして拍手が起こった。
式が終わると俺たちは教会の外で新郎新婦を見送る人たちの列に加わった。やがて姿を現した哉がブーケを投げると、宙に舞った花束は回転しながら波の手の中に納まった。
――あいつめ、狙って投げたな。
敷地の外に用意されたオープンカーに二人が乗り込む直前、哉は波に近づくと「波さん、兄さんをよろしくね」と耳打ちした。
「ありがとう……哉さん」
オープンカーを見送りながら涙する波の肩を俺がそっと抱いた、その時だった。
強い陽射しを反射させ、見覚えのある飛行車両が俺たちの元に降下して来るのが見えた。
「――ふう、なんとか着地だけはうまくいったようだな」
飛行車両のキャノピーから現れたのは、鬼島医師だった。
「――先生!」
「やあ、結婚式は終わったようだね。もう一組のカップルの門出を華々しく飾ろうとこいつを運んできたんだが、どうも私の脳波では思ったように操縦できないな」
鬼島医師は照れ隠しのように言うと、俺と波に乗れと言うように車体の方を見た。
「先生、俺たちのために色々と尽力して下さったこと、決して忘れません」
俺は波を助手席に乗せると、まるで誂えたように身体にフィットするシートに収まった。
「――行きます」
俺がイグニッションパネルに手を触れると、重力制御装置によって車両は空中高く浮かび上がった。眼下に見える懐かしい人たちの姿がぐんぐん遠ざかり、やがて飛行車両は驚くような速度で俺たちを運び始めた。
――ジムの先輩たち、戦ってきた機人ファイターたち……あの拳での語らいを、俺は決して忘れない。
窓の外の風景は緑の樹木が生い茂る山並みの景色を経て、やがて海の上へと変化していった。俺と波は『流星号』のシートに身体を預け、車両が俺たちの思考を元に適切な土地へと導くのを静かに待ち続けた。
――俺も波もかつては別の『種』であったこと、そして身体の違いを超えた心の触れ合いがあったことを次の世代――いつか俺たちの間に生まれるであろう新しい『種』の最初の一人に伝えてゆかねばならない。
俺が傍らの波に顔を向けると、今までで一番穏やかな表情の波が俺を見返した。
――行こう波、この星が命ずるままに。
俺は愛しい人の頬を撫でると、何が待つか想像もできない水平線の向こうに目をやった。
〈了〉
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