1杯目 紅茶の魔女はサボりたい

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1杯目 紅茶の魔女はサボりたい

 宮廷魔導師とは何か。  戦闘特化の魔力や戦闘力が高いだけの魔導師は、いまだに戦火の残り火がくすぶる各地を駆ける軍人や私設の傭兵になる。  固有魔法以外の総合的な魔術の技術に長けたものは、街で戦争成金相手の私立魔術家でもやれば大金持ちだ。    さて、それでは宮廷魔導師とはなんなのだろうか。  ”魔導師”たちの中のうち、国家第一種総合魔導師試験(コクイチ)を突破した――官僚である。  各自の固有魔法の強力さや、魔導魔術全般への知識や研究の腕、そして先の大戦での武勲等も加味されている。  彼らの仕事は、各分野のエキスパートであるのと同時に官僚でもあるということだ。  ――要するに、エリートである。  ……本来は。    * * *  シュトラ城の第1執務室は、宮廷魔導師たちとその補佐官たちでひしめいていた。  今は、宮廷魔導師が協議会で決定し、朝礼で伝達のなされた決定事項や機密事項を自分の作業チームに伝達するブリーフィングの最中である。  宮廷魔導師でありつつも窓際族代表の【紅茶の魔女】、レミィ・プルルスの所属する『青龍班』の長は、権力争いと仕事に熱心で、レミィの悩みの種だった。  今どき、残業バンザイはない。  戦時中じゃあないんだぞ。  レミィは静かにため息をついた。 「それでは、本日のブリーフィングは終了。各自の作業に入ってくれ。シュトラ城宮廷魔導師、青龍班の諸君。本日も、気合い入れてよろしくお願いいたします!」 「「「よろしくお願いいたします!!」」」  ああ、はいはい。  元気のおよろしいこと。 「……よろしくお願いしまーす」  全員の挨拶からやや遅れて、レミィがぼそ……と挨拶すると、青龍班班長の宮廷魔導師、【鋼鉄の魔術師】ダムがじろりとレミィを睨んだ。 「レミィ・プルルス! 君は今朝の朝礼にも姿を見せなかったな。まぁ、日々の宮廷運営にも国防にも役に立たぬ能力しか持たんお前にできる仕事と言えば――」 「はーい。私は皆様にお茶を淹れまーす」 「……うむ」  説教の気配を察知したレミィは、彼女の固有魔法である『紅茶を美味しく淹れる魔法』によって空中から大きなティーポットを取り出す。  部署にいる全員に、特製の紅茶を淹れてさしあげるのがレミィの主な仕事だ。  もちろん、資料作成や整理などの仕事もしつつ……だが。 (うーん、眠そうな若手が多いなぁ。昨日もダムのおじちゃん、遅くまで全員で残業させてたもんなぁ)  ポットで湯をこぽぽぽと沸かし、腰に下げた愛用のお茶っ葉壺からティースプーンでたっぷり5杯の茶葉をすくう。  レミィは考える。  疲労している補佐官と宮廷魔導師。  低下している作業効率。  根性論を叫ぶ班長。  ‥……残業不可避。 (嫌だ!! 絶対に嫌だ!!! のんべんだらりと気ままな生活をするために王城なんぞに就職したのに)、「残業とかイヤすぎる!!」 「おい、何か言ったか。レミィ・プルルス!」 「あ。すみません、本音が漏れていました」  いけない、いけない。 (でも、残業なんてマジで嫌だ。昨日は仕方なく仕事してやったけど、私はのんびり紅茶を飲みながら本を読んで過ごすのだよ!)  ……というわけで。 (ちょっとくらいなら、バレないよね?)  レミィは、ポットの中の茶葉たちに――【強化魔法(エンチャント)】をかける。  【強化魔法(エンチャント)】は、戦場に置いて兵士たちの体力や攻撃力、そして知力を底上げする固有魔法(・・・・)である……本来は。  ひとりにひとつしか天から与えられない固有魔法を、『紅茶を美味しく淹れる』魔術師であるレミィが使えるはずは、ない……本来は。 「……たのむぞ、私の可愛い紅茶ちゃん」  沸き立ったばかりの湯を、茶葉に一気に注いでいく。  清潔で新鮮な熱いお湯、新鮮な茶葉、そして丁寧な蒸らし。  それが、おいしい紅茶の基本。  茶こしを通して、青龍班全員分のカップに【強化魔法紅茶(エンチャント・ティー)】を注ぎ入れていく。  優雅なティータイムのための紅茶ではなく、あくまで執務の合間に口にする。  そのため、冷めてもえぐみが出ないよう、そしてしっかりと渋みも感じるように調整した茶葉である。  そして。 「……あれ。なんだか、いい香り」 「なんだろう……柑橘かな?」  紅茶というのは、茶葉の味を楽しむだけではない。  薬草……ハーブを煮出した薬草茶(ハーブティー)という手段以外でも、乾燥した柑橘の皮や、ハーブの精油で茶葉自体に香りをつけて特別なブレンドを楽しむこともできるのだ。 「はい、みなさんお待たせしましたー。紅茶ですよー、仕事頑張ってくださいねー」  書類の山を築き上げている執務机の間を、ひらひらと蝶のように舞いながら銀のお盆からカップをひょいひょいと配っていく。  目の下にクマを作っている補佐官たちが、その香りにホッと頬を緩めている。  いいぞ。  怖い顔していたら、書類のミスも増えるし効率も下がるしね。  リラックスしながら緊張状態を保つ――これが、戦場での鉄則だ。  まあ、ここは戦場でもなんでもないわけなんだけれど。 「お茶のおかわりはどんどん言ってくださいねー。疲労回復効果もあるかもですよー」  【強化魔法(エンチャント)】の効果だけではなく、レミィが美味しく美味しく調合して淹れた紅茶は――目には見えないけれど、確実に第1執務室の士気は上がった。  よし!  これで、昨日のような書類地獄にはならなさそうだぞ!  レミィは、ひそかにほくそ笑む。  紅茶を飲んだ者たちが、どんどんと作業効率を上げている。 (よしよしいい感じ……って、【強化魔法(エンチャント)】のことはバレてないよな? こういうの使えるってバレたら、班長は『24時間働ける紅茶を淹れろ!』とかバカみたいなこと言いかねないからな……面倒くさすぎる、絶対黙っておこ)  完璧な作戦である。 「あの……レミィ様」 「ん?」 「あ、あの、補佐官のディルです!」  声をかけられて振り返ると、若い執務補佐官が立っていた。  国家第一種総合魔導師試験(コクイチ)には合格しなかったものの、宮廷魔導師補佐官として王城仕えをしている。 「なんだい、ディル君。とっとと仕事終わらせてティータイムにしよーよ」 「いえ……お礼が言いたくて」  ディルは、ぺこりと頭を下げる。 「昨日、レミィさん俺の仕事を肩代わりしてくださってましたよね……朝、出勤してきたら全部、やりきれなかった書類が片付いてて……レミィさんが遅くに執務室から出ていくのを見たって、アリシア様に教えてもらって。本当に、ありがとうございます」 「んー? 昨日は新しい紅茶の調合を試してただけ。別の誰かがやってくれたんだろ」  アリシア!! あのお花畑女!!  あんにゃろ、余計なことを!!  ……という気持ちをおさえつつ、レミィはひらひらと手を振った。  執務室全体を見渡すと、作業効率は格段にアップしている。【強化魔法紅茶(エンチャント・ティー)】の効果はしっかりと現れているようだ。 「うん……これなら」  そう、これなら。  にぱぁ……っとレミィは笑みを浮かべる。 (これなら、私がちょっとくらいサボっても大丈夫そうだな!)  執務室にいる全員分のカップに追加の紅茶を注ぎまわって、 「冷めても美味しいですよ~、おかわりは窓際の私の執務机のポットからどうぞ~」  と愛想を振りまき。  ……そして、第一執務室から逃走した。  そっと執務室を出る瞬間に、【鋼鉄の魔導士】ダムが、 「くそ、こんなことなら戦場で剣を振るっていた方が数倍楽だ」  と言いつつ、書類にハンコを押しまくっているのが見えた。 (ああ、同感だよ)  レミィは思う。 「……でも、平和なティータイムは何にも代えがたいけどね」    * * * 「はぁ~~、落ち着くわあ」  逃走先は、王城の前庭を彩る庭園である。  色とりどりの薔薇と百合、そして季節の花々が咲き乱れる、王の庭。  魔法大国シュトラの豊かさを象徴する、美しい権力の誇示方法。  背の高い椿の花で作られた巨大迷路の中に、ぽっかりと開けた小さな小さな広場。  華奢な猫足のテーブルセット。  レミィのお気に入りのサボり場所である。  ――それに。  今日は、ひとこと言ってやらなければならん人物がいる。  迷路の影からひょっこりと顔を出した、金髪を靡かせる美女――宮廷魔導師のなかでも役職持ち【庭園の聖女】の異名をとっているアリシア・カトレットである。 「やっほぉ、レミィ。宮仕えも随分慣れたかしら?」 「っ、アリシア! あんた、補佐官の若造になんか余計なこと言っただろ!」 「え~? 覚えがありません~」 「万が一、私に書類仕事がいまより回ってくるようになったらどうしてくれるんだ」 「ふふふ。優秀な人材は使わないともったいないじゃない? 能ある爪は鷹を隠すっていっても――」 「逆だ、逆」 「おっと、そうね。でも、爪を隠しすぎるのもちょっとよくないんじゃない――って、アリシアは思いますよ? 【紅茶の魔女】のレミィさん?」 「……それはお互い様でしょうに。あらゆる植物を操る戦場の悪魔が、まっさか【庭園の聖女】なんて庭師に収まるんだから恐ろしい話だわー」 「綺麗なお花、みんな好きでしょ? それに、戦場ってものが消滅したなら、長いものには巻かれなきゃ。王宮勤めで、定年まで安泰安心の人生設計。宮廷魔導師さいこー!」 「それは否定しないけどね。こうしてのんびり、午前の紅茶としゃれこめるのも悪くない」 「ふふふ。窓際同盟として、これからもよろしくね?」  にこにことテーブルに同席したアリシアに、レミィは紅茶を注いでやる。ついでに、ハンカチに包んだクッキーも差し出した。  こっそりと持ち出してきたクッキーは、厨房係達に頼んで紅茶の茶葉を練りこんで貰ったものだ。ベルガモットの香りの強い茶葉を焼き菓子に練りこむと、お茶請けとして最高である――これはレミィの偉大な発見だ。  朝露の残り香のする庭園の真ん中で、紅茶を飲んで菓子をついばむ。  最高の贅沢に、レミィはほぉっと溜息をつく。  そうそう、これこれ。  宮廷魔導師の窓際族として、こういう暮らしをしていたいわけですよ――と。  ぽやぽやと午前の日差しを浴びていると、「ああ、そうそう」とアリシアがぽんと手をたたく。 「でもこー見えて、今日のアリシアはけっこう忙しいんですよ? お庭をしっかりお手入れしなくちゃ」 「は、そうなのか?」 「え? あなたもでしょ、レミィ。明日は、王侯貴族の皆さまが集まるお庭のお茶会(ガーデンパーティ)じゃないの。会場の広場を整えて、明日には花が満開になるように整えなきゃ」 「あーーーーー!!」 「レミィ。もしかして、忘れてた?」 「……ちょっと、厨房に行ってくる」  レミィは立ち上がった。  王侯貴族の皆さまが集まるお庭のお茶会(ガーデンパーティ)。  つまりは、宮廷魔導師である【紅茶の魔女】のとりしきる茶会である。  レミィの仕事は、世界で一番うまい紅茶を淹れて、菓子や軽食の手配をし、お茶会を最高のものとする――つまり、明日はレミィの本領発揮が求められる日なのだ。 「ま、まぁ、内々のお茶会で外国の来賓もないからね? いつも通りで平気よ、平気!」 「うふふ。お互い頑張りましょーね。アリシアの大事な戦友さん♡ あ、明日は国王ご夫妻も参加されるらしいよ」 「うふぁあああ!?」  マジか。  国王陛下もご臨席。  これは、いつもよりもちゃんとやらないとな――と、レミィは反省をした。  いつものオーソドックスなお茶請けは厨房がすでに手配をしているはずだ。  あとは……何か新作のお菓子か軽食を出さないとな。  ちゃんとメニュー開発(しごと)しているアピールをしなくては。  国王陛下は実に話の分かる人間で、『魔法と文化こそが我が国のゆたかさの基盤である』と言ってるし。  ――そう。お茶会という小さな贅沢ひとつをとっても、この国の強さの象徴なのである。 (……ま、おかげで『紅茶を美味しく淹れられる』って固有魔法持ちの私が国家第一種総合魔導師試験(コクイチ)に合格できたわけだけどさ)  紅茶は好きだ。  飲めば、誰もが心をほっとさせる。  気の置けない仲間や家族たちの弾む会話の真ん中に、ティーポットはある。 「――うっし。役立たずもたまには頑張りますかねっと!」 「また明日ね、レミィ」 「じゃあね、アリシア。……もう余計な告げ口は勘弁してくれよ?」 「おけまるー♪」  へらへらと、二本の指でまるサインを作る金髪の美女に肩をすくめて、宮廷魔導師【紅茶の魔女】はお茶会の準備にむけて軽い足取りで執務室に戻っていった。    * * * 「って、もう今日の分の仕事おわったの!?」 「はい、レミィさんの紅茶を飲んだら、すごく頭がスッキリしたというか……力が湧いてきたというか……」 「何か変なものいれてませんよね、レミィさん!」 「ふぁ!? あはは、まさかそんな……私にできるのは美味しい紅茶を淹れるだけだ……よ?」  同僚たちの軽口に、びくっと反応するレミィ。  第一執務室の宮廷魔導師と補佐官たちは、残業続きでも終わらなかった仕事の山を午前中で全て片付けてしまった自分たちの働きに首を傾げていた。  それはそうだ。  レミィの淹れた紅茶に、【強化魔法(エンチャント)】がかかっているなんて誰が思うだろうか。 (ちょっと……効果薄めればよかったか……?)  と、目を泳がせたとき。  リーダーである宮廷魔導師のダンが低く唸る。 「馬鹿ども。紅茶ごときで作業効率が上がってたまるか」 「あはは、ですよね! いやほんと! 紅茶なんか関係ないです!」 「……明日の分の仕事に、午後からとりかかるからな。レミィ・プルルス。紅茶の用意も頼むぞ、貴様にはそれくらいしかできないのだからな」 「りょーかいでーす」  よかった、バレていない。  レミィはほっと胸をなでおろした。  ここでは、有能であると思われてはいけない。  そうなれば最後、仕事は永遠に増え続ける。  今日の仕事を終わらせたら、明日の仕事……終わらない戦い、倒しても倒しても立ち上がる敵。 (そんなもんは、戦場だけでじゅーぶんよ)  だから、レミィは紅茶を淹れ続ける。  それが、【紅茶の魔女】の生存戦略なのだから。
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