4杯目 城下町デートと魔道書使い

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4杯目 城下町デートと魔道書使い

 レミィの古い知り合いである魔導書使いのミーシャ。  彼の営む古書店は、シュトラの王都、その東地区の端。  やや治安の悪い西地区に面した大通りの切れる場所にある。  鐘楼をそなえた高い塔に、絵本から貴重な魔導書まで満載にした王都一の本屋である。 「こんなにたくさん、食べきれるかしら……っ!」 「だいじょーぶだいじょーぶ、こういう市場で食べるものってどういうわけか食べ過ぎなくらいに食べちゃうもんです」  ステラの顔くらいに大きなバゲットのサンドイッチからはたっぷりの具がはみ出している。  挟まっているのは、戦役が終わり交易で入ってくるようになったブラックペッパーをふんだんに振りかけた切り落としハムや、粗く茹で卵をつぶして酸っぱいドレッシングであえたフィリングだ。  昼食用に買った食べ物はそれだけではない。  たっぷりの干した果物とナッツを詰め込んだ香ばしいミンスパイ。  じゅわっと油であげられた、ジューシーなフライドチキン。  こんがりキツネ色に焼き上げられた真四角のミートパイ。  季節のフルーツを漬け込んで蜂蜜を入れた甘いベリー酒。  籐のバスケットに詰め込まれているのは、すべてマーケットで仕入れた。  普段、シュトラ第一王女のステラが口にするサンドイッチはすべてひと口大の大きさに綺麗に切り分けられたものだ。  大ぶりなサンドイッチは、その見た目だけでもステラの胸をワクワクと躍らせるのに十分だった。   「ミーシャ、邪魔するよ!」  護衛のためについてきている宮廷魔導師たちが、さりげなくついてきていることを確認しつつ店に入る。  店を埋め尽くすような本の山、山、山。  その向こうには、ひとつに編んだ長い白髪を垂らした優男が水煙草をふかしていた。  片眼鏡(モノクル)をかけた中年の男は、ゆっくりとした動作で顔を上げる。  そしてレミィたちにちらりと視線を投げると、「おやおや」と目を丸くした。 「レミィじゃないか! 久しぶりだねぇ」 「元気そうじゃない、ミーシャ」 「おかげさまでね、平和ってのはいいものさ。あの戦乱を生き延びた甲斐があるねぇ。君も宮廷魔導師団に入ったって聞いたよ。アリシアも一緒だって?」 「えぇ。私は【紅茶の魔女】、あの女は【庭園の聖女】なんて呼ばれてるよ」 「それは出世だね」 「まさか! どーにかこーにか窓際にかじりついて、給料も暇もたんまり貰ってのらりくらり生きてくって話よ」 「はっはっは、あのレミィが窓際族かい? 面白い冗談だなぁ!」  あっはっは、と腹を抱えて笑うミーシャ。  次第に、ひとり、またひとりと王族であるステラの警護のためについてきている魔導師たちが入店してきた。少し剣呑な様子の彼らに気づいたのか、ミーシャは片眼鏡(モノクル)を光らせて声を落とした。 「ちなみに、レミィ。そちらの素敵なお嬢さんは?」 「ちょっと訳アリで、マーケットの案内をしてる。それでせっかくだから眺めのいい場所でランチでもって思ってねぇ」 「ああ、ウチの鐘楼を使いたいのかい。それなら大歓迎さ。そちらの階段からどうぞ」 「ども。ああ、あのお客さんたちも通してやってくれない?」 「へぇ、尾行かと思ったけど――」 「似たようなものだけど、ね」 「まあ、レミィのお願いならしかたないさ。まかせておくれ」  では、ごゆっくり。  本に囲まれたまま、にこやかに手を振るミーシャ。 「それはどーも。これ、お礼ね」 「おっと!」  レミィがやや乱暴に差し出したのは――甘いベリー酒の瓶である。 「ははは、僕の好物なんてよく覚えてたね」 「さぁ? たまたまじゃないかしら、買ったはいいものの昼間から飲むのもね」 「ありがたく頂くよ、足元に気をつけて」  ステラは、不思議な雰囲気の優男と【紅茶の魔女】を不思議そうに見比べる。 「レミィは色んなお知り合いがいるのね……?」 「ま、ちょっとした知り合いですよ。あのミーシャって男は、ステラ姫も知ってるはずですよ?」  ステラの手を引いて階段を上がりながら、レミィは軽く肩をすくめる。  そして、少しためらいがちに口にした。 「戦役で暗躍した【魔本のミカエル】って軍人、知りません?」 「あっ!」  ステラが目を丸くする。  【魔本のミカエル】とは先の大戦の際に、魔法大国シュトラの中隊長として活躍した英雄だ。  先の大戦の終結から約7年。  幼いころに終戦を迎えたステラからすれば、遠い昔のおとぎ話のように思っていたけれど。  伝説的な英雄が、あんなに若いなんて。  ぽかんとしているステラに、レミィは肩を揺らす。 「退役した【魔本のミカエル】が書店を開いたってのはけっこう有名な話ですけど……たしかにお城では聞かないですね?」 「レミィ、あなたって一体……」  ステラは、小さくつぶやく。  その伝説的な英雄と気安く話をしているレミィは、一体なんなのだろう。  ステラよりも年上とはいえ、まだ少女といえなくもない年齢に見えるのに。 「さ、こちらへどうぞ。プリンセス」  暗い階段を登りきり、光があふれる。  目を細めたステラは差し出されたレミィの手をとる。  そうして、広がった光景に――ステラ・ミラ・エスタシオ王女は息を飲んだ。    * * * 「すごい、こんなに――町が、こんなに近くに」  魔導書使いのミーシャが営む書店の鐘楼。  そこには手すりなどはなく、ただ四本の柱と、それに支えられた屋根があるだけだった。  一歩踏み出せば落ちてしまいそう。ステラは小さく息を飲む。  小さな鐘が吊り下げられているそこからは、王都の町を一望することができた。  比較的治安のいい東地区も、雑然として混沌とした西地区も。  目を凝らせば、そこに行きかう人々の顔を見ることもできる。 「どーですか。王城の窓から見るよりも、ずっとずっと近いでしょう」 「すごい、民がこんなにたくさん……」  シュトラ王城からも、王都を見渡すことはできる。  しかし、王城の前に広がる美しい庭園や王城を守る城壁ごしに――遠くに見える街並み。  ステラにとっての王都は、たとえばお人形遊び用のミニチュアの建物のようなものでしかなかった。  実際に街を歩いても、どこか異世界を歩いているようなフワフワした心持だった。   ……それこそ、差し出された赤い林檎を疑いもなく手に取ってしまうほどに。 「いい眺めでしょう? 風もゆるっと吹いていて、空も晴れている。こんなに平和で、紅茶日和の日もないですよ」  レミィは自分のまいていた大ぶりのストールを床に敷いて、サンドイッチやパイなどを籐のバスケットから出して次々に並べていく。  その手には、いつのまにか見慣れたティーポットがあった。  カップは王城で使っているような華奢なソーサーつきのものではなくて、ブリキでできた持ち運びに長けたものだった。 「さぁ、プリンセス。紅茶はいかが?」  レミィは薄く微笑んで、あたたかな湯気を立てるティーカップをステラに差し出す。  ステラは一瞬きょとんとして、カップを受け取った。  高所を吹く、爽やかな風が髪を揺らすのが心地いい。  武骨なブリキ製のカップに口をつけると、いつもの紅茶も、新鮮な味わいに感じ――― 「あらっ?」 「……どうしました?」 「この紅茶、すごくすごく甘いわ! 砂糖もいれていないのに」 「おや、そうですか」  ふぅん、とレミィは唸りながらサンドイッチを吟味している。 「気に入ってくれたならよかったですよ」  ペッパーたっぷりのハムが挟まったサンドイッチを片手に、舌なめずりをしながらレミィは答えた。  ステラは青空と街並みをいっぺんに視界にとらえる贅沢さを、しばし甘い紅茶とともに堪能した。  レミィは、サンドイッチにかぶりつきつつ事態を整理する。 (この紅茶は、毒に反応して甘味を感じるように調整した漢方薬(ハーバル・メディシン)……毒を喰らってなければ、おそらく渋くて飲めたもんじゃない)  渋すぎる紅茶を舌先で確かめつつ、ステラの顔色を確かめる。  大丈夫、元気そうだ。  事前に飲ませていた解毒茶(アンチドート)が効いているようだ。  一安心しつつも、周囲を警戒する。  やはりあの老婆の林檎には何らかの毒が入っていたようだ。  とすると、二の矢三の矢があると考えていた方がいい。 (幸い、この場所ならば警戒もしやすい――か)  持つべきものは知り合いだ、と突然の訪問を快く受け入れてくれた、かつての戦友――ミーシャに心の中で感謝する。  ふと。  レミィの袖をつんつんと引っ張るものがいた――ステラである。 「ん? なんです、ステラ姫……って、わぱぱぱ!?」 「うふふ。レミィ、ほっぺたにパンくずがついていてよ?」  ちゅ、と軽い音。  唇の端に、やわらかい感触。  レミィは硬直する。 「ななななんてことするんですか!!」 「ふふ、絵物語で読んだのよ。デートのとき、恋人はこういうことをするんでしょ?」  やってみたかったの、とステラ。  いやいやいやいや!  レミィは自分の頬がぽっぽと赤くなっているのを自覚しつつ叫ぶ。 「恋人じゃないですしっ!?」 「でも、今日はデートでしょ?」  忘れたとは言わせないわ、とステラ。  ……ああ、もう。  レミィは、ふーっと大きく深呼吸。  このお姫様には、かなわないな。 (そうだ。今日は……あの話(・・・)もこのじゃじゃ馬姫に聞かなきゃいけないんだった)  ステラが、一段とレミィに対して積極的になった理由。  【庭園の聖女】アリシア曰く――彼女に、名門貴族出身のエリート宮廷魔導師【爆焔の魔導師】バリアンとの縁談が持ち上がっているという話の真偽。 (――けど)  並べたサンドイッチやパイを楽しそうに吟味して、レミィをまねてサンドイッチにかぷりとかぶりついているステラをじっと眺める。  この瞬間を、心から楽しんでいるように見える。 (それは、もう少ししたらでいいわね。そういう話は、やっぱり――)  食後のお茶を飲みながらが、相応しい。  鐘楼へ続く階段付近で待機している護衛たちも昼食をとっている様子を確認して、レミィもふたつめのサンドイッチに手を伸ばした。  晴れ渡った空には、白い雲がたなびいている。  町のざわめきが耳に心地よい。  ――ああ、なんて。  なんて気持ちがよい昼下がりだろう。
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