4杯目 城下町デートと魔道書使い

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「皆さんも紅茶はいかがですー? 青龍班名物、【紅茶の魔女】の元気が出る紅茶ですよー」  魔導書使いミーシャの営む書店の鐘楼。  シュトラ城下町を一望できる鐘楼のてっぺんでのランチを終えたレミィは食後の紅茶を護衛の魔導師たちにも配っていた。  鐘楼に続く階段に並んで身をひそめるようにして軽い昼食を済ませていた魔導士たちは、この場所ならば周囲から秘密裏の護衛であると気づかれる心配もないと踏んだのか、 「おお、ありがとう。実をいうと、かの【紅茶の魔女】のお茶を飲んでみたいと前々から思っていたんだ」  と、笑顔で紅茶を手に取った。 「まぁ、大したものじゃない……っていったら謙遜がすぎるかもですけど、美味しさにかけては折り紙つきですよ。あと、元気になります」  レミィは、ステラに渡したのと同じブリキのカップに紅茶を注いでいく。  ――と同時に、魔導師たちの体つきをちらちらと観察した。 (おお……こうして見ると、鍛えてるなぁ)  素直に感心する。  王族の身辺警護を担当する朱雀班の魔導師たちは、デスクワークが主となる青龍班に所属するレミィの同僚たちに比べると明らかにしっかりと鍛えられた体つきをしている。  日々の鍛錬もしっかりしたものなのだろう。 (それに、それぞれの体格に見合ったトレーニングをしてるみたいだね。筋肉に歪さがない)  戦時中の、とにもかくにも実戦投入できる兵士を作り上げるための一律の練兵とは異なる手法(メソッド)でもって、朱雀班の魔導師たちは戦闘訓練を受けているようだ。  なるほど、朱雀班の班長である【爆焔の魔導師】バリアン――彼もなかなか侮れない。  まぁ、それはさておき。  レミィは鐘楼に敷いた大判のストールのうえで、紅茶をふぅふぅと冷ましているステラの元に戻る。  カップに入った紅茶を吹いて冷ます、というのも王城で「お姫様」としてふるまっているとなかなかできない仕草なのか、ステラはたったそれだけのことなのに――ひどく楽しそうだった。 「お待たせしました、ステラ姫。せっかくの、その、デートですから。よかったら、ちょっと女同士の話をしませんか?」 「え?」 「そのー……なにか、悩みごととかあるんじゃないですか?」  悩みごと。  その言葉に、ステラは目を見開いた。  あるのだろう、悩みごとが。  その小さな胸につかえている、心配ごとが。 「まぁ、優しいのね。レミィ。……でも――」  レミィは見逃さない。  ステラの視線が、ちらりと動いた先にいるのが――階段で身を休めている、護衛たちだということを。 「あー……ご心配なく。もうそろそろ」 「え?」  どたん、とも、こてん、ともつかない。  鈍くて平和な音が、レミィたちの背後から響く。 「ぐぴ、……くかー……すぴぃー……」 「くぅ、すう、ぴぃ」  そんな寝息に、そう、どこからどう聞いても寝息に驚いてステラが振り返る。  よく練り上げられた肉体を持つ若い魔導師たちが……まるで、幼子のように眠っていた。 「まぁ!」 「ご心配なく、すぐ目が覚めますし、目が覚めたらそれはもう元気いっぱいモリモリって感じになってますよ。そういうふうに調合した、紅茶(・・)ですから」 「えぇ!? あなたの紅茶ってそんなこともできるのね、レミィ!」 「内緒ですよ? それに、なんでもってほどでもないです。こういうのは、紅茶を口にしてくれないとできない芸当ですからね」  裏を返せば、口をつけてくれさえすれば――ほぼ、万能。  たとえば、安眠効果のあるカモマイルのお茶の効果を最大限に引き出して護衛の魔導師を熟睡させて――時が来れば目覚めて、頭スッキリ元気モリモリの状態にしてあげるとか。  もう、お安い御用である。  あらゆるお茶と名のつくものの効果を最大限に引き出す――それがレミィの入れる『美味しい紅茶』の正体である。  そういえば、レミィにやたらと懐いている執務補佐官のディル君が授かっている固有魔法は【子守唄】だとか言っていたのを思い出す。  耳にしたものを眠りに落とす歌。耳に届きさえすればすべてを眠らせる魔法――なかなかに、尖ってる。  今日は、王城では宮廷魔導師団の中途採用試験が行われているのだった。 (ディル君が宮廷魔導師になりたいっていうなら、望んだとおりになるといいけど――)  今朝、激励代わりに彼にも紅茶を一杯淹れてあげたのだ。  ――先輩、ありがとうございます!  なんて、大層よろこんでいたっけ。 「……やさしいのね、レミィ」  ステラが、ゆっくりとその唇を開いた。  レミィ、あなたは優しいのね。  レミィ、あなたは強いのね。  レミィ、あなたは――自由なのね。  歌うように、戦争を知らぬ愛しき娘として国王陛下の寵愛を一身に受けるステラは呟く。  その声は、紅茶からあたたかく立ち上る湯気と一緒に天高くに吸い込まれていく。 「ねぇ、レミィ。私、あなたに――そうね。一目ぼれしてしまったの」  独白を、レミィは茶化さなかった。  ただ、黙ってステラの言葉を受け止める。 「あなたが宮廷魔導師団に入ったときには、あなたの存在なんて知りもしなかったわ。ただ、たくさんいる優秀な魔導師たちのひとり。私たち王族に恭しく接してくる、そのくせお腹の中には野心がいっぱい詰まっている強くて怖い人たちのひとり――とも思ってなかったの。……あの日、お庭であなたに会うまでは」 「あの日……」 「覚えてないかしら」  ステラは照れくさそうな笑みを浮かべて、レミィと初めて会った日のことをぽつぽつと語る。  それは、雨の降る日だった。 「お城の庭園を司る魔術師――【庭園の聖女】が着任してから、あのお庭はとっても綺麗になったでしょう。美しく切りそろえられた色とりどりのたくさんのお花! 前庭はそういう感じだけれど、あの生垣で作られた大きな迷路の傍――小さなティーテーブルのあるところ。お城のどこからも見えない小さな一角だけは、まるで遠い異国の風景みたいに、お池や木々が見えるようになっているでしょう?」  レミィがいつもサボっている、あの一角だ。  たしかにあのあたりは、小さな風景庭園のようになっている。  整然とした庭園を整える――つまり、自然を支配することでその威光を示したいというシュトラ国王の要望に従って、【庭園の聖女】であるアリシアは王城の前庭を見事に整え、その庭にはどこもかしこも百合や薔薇や四季の花々がいつでも咲き乱れるている。  しかし、レミィがサボりにつかっている王城の死角となる一角だけは、小規模ながら田園風景を写し取ったような風景庭園になっているのだ。  もちろん、「それっぽい」というだけであって、すべてアリシアの固有魔法によって人工的に整えられている風景ではあるけれど――けれど、レミィは思うのだ。  紅茶を飲むには、風景庭園の景色が似合う――気がすると。 「――初めてあなたにあったとき、私になんて言ったか覚えてますか?」 「え? あー……」  ステラに、初めて会ったとき。  レミィは記憶をたどる。 (お、お……思い出せない!!!)  レミィは冷や汗を流した。  思い出せない。  いま、ステラが情感たっぷりに語っている初対面のシーンを――思い出せない!  大変な気まずさを隠したまま、レミィは黙ってステラの言葉の続きを待つ。  いや、ほんとに、初対面のときからステラ王女はレミィに対してぐいっぐいに馴れ馴れしい、もとい親しげだったような気がするけれど。 「――『大丈夫? 紅茶はいかが、お嬢さん』って、あなたそういったのよ」  「……あ」  そうだ。  レミィの脳裏に、雨に濡れる銀髪が甦る。  あの日、しとどに濡れる髪を絞ろうともせず、雨傘の下で温かい紅茶を啜るレミィをじっと見ていた少女。  決して鮮烈ではない、一瞬の邂逅。 「あの日、私はね――その、少し嫌なことがあって。それでお城を抜け出したの。王冠も置いて、絹のドレスも脱いで、部屋着のままで――ね」 「あ、あ、あれって……」 「あなたは、そんな私を見とがめるでもなく、諭すでもなく、ただ紅茶を勧めてくれたのよ。椅子に座ったままで、恭しく膝を折ることもなくね」  ステラは思い出す。  そうだ。あれは宮廷に出仕してからまだ日も浅い昼下がり。  その日もまんまと執務室を抜け出したはいいものの、ひどい雨が降っていた。  雨傘を片手に、城の軒下に隠れるようにしてお茶を飲んでいたら見慣れない小さな女の子がやってきたのだ。  てっきり、城の使用人か、あるいは城に迷い込んできた街の子だと思い込んでいて―――うっわぁ! (初手でそれはさすがに――よ、よくクビにならなかったな、私……!)  そうか、でも。  あれが――ステラ王女だったのか。  だったら、黙って紅茶を勧めたのには理由がある。  だって、あの子は――。 「なんだか、泣きそうな顔をしてましたから――ね」  レミィの言葉に、ステラはきゅっと唇を噛む。  すみれ色の瞳が潤んでいる。 「あの日は、あなたがいたことに驚いてすぐに逃げてしまったけれど、本当に嬉しかったの。あなたが、レミィが私に温かい紅茶を差し伸べてくれたことが。……あの日の朝、はじめて彼に。バリアンに会ったの」 「……バリアン。【爆焔の魔導師】ですね」 「ええ。バリアン・メラ・ドゥランダル――王家の遠い遠い親戚筋にあたる貴族の家の人。突然ね、そのバリアンが私の婚約者候補だ、ってお父様がおっしゃったのよ。でも、初めて会った男の人と将来結婚するかもなんて、そんなことを言われても――私、よくわからなくて」  よくわからなくて。自分の気持ちが。  どうしたらいいのか、何をしたくないのか、何をしたいのか。 「それで、気づいたら庭に駆け出して行っていたの……昔から、泣きたいときはあそこに行っていたのよ。あの場所はお城の誰からも見えないから」 「そりゃあ、そうです。だってあなたはまだ子供なんですから。ただ……その、ちょっと不用心ですね……」  誘拐や暗殺の可能性もあるだろうに、と思ったけれど。  そうだ、彼女が物心ついたときにはもう、表立った戦争は終わっていたのだ。  平和の娘。  シュトラ国王が、ステラのことをそう呼ぶ理由がそこにある。  だが、裏を返せばそれだけステラはまだ、幼い子どもだということだ。 「あー……その、正式に婚約を申し込まれる予定だって聞きましたよ。【爆焔の魔導師】から」 「知っているのね、レミィ」 「まぁ、耳の速い知り合いがいるもんで」 「父上のお体の調子があまりよくないの。だから、早くに王位を譲れる、若くて力強い婿が欲しいんだって……私も王女だから、理屈は分かる。私の結婚が、父上や民草を安心させることになることもわかってる……でも、自分の心がどうしても納得してくれなかったのよ」  ねぇ、レミィ。  ステラは、レミィの名前を呼ぶ。 「今日の城下視察はね、それが理由だったの。私が、私の心を納得させるための」 「え?」 「私、たくさん見たわ。レミィやみながうまく隠そうとしてくれていたけれど――貧しい人、病の人、親のない子ども、家のない老人。そういう人が、城下にもたくさん住んでいる」  ステラの目は、貧民街の連なる西地区の方をじっと見据えている。  足を踏み入れてはいないが、この鐘楼からずっと見ていたのだろう。  王城の窓からは見えない景色が、この鐘楼からはよく見える。 「あのね、レミィ。優しくて、強くて、誰よりも自由な――誰に対しても分け隔てのないあなたが、大好きよ。私はこの国の王女として、戦火を抜けた民にもっと自由を与えたい。もっと強くて、優しい国にしたい。それに若くて強い王が必要ならば――私がバリアンと結婚することが民を少しでも安心させる未来に近づけるなら――あなたがあの日、私に温かい紅茶を差し出してくれたように。私も彼の婚約申し込みを受けて、民を――」 「いけない!」 「きゃっ!?」  ステラの視界が反転した。  驚いて目をあけると、レミィが――レミィが、ステラに覆いかぶさるように、ステラの小さな体を、押し倒していたのだ。 「え、え、えぇっ!? ちょ、レミィ!? そんな、これってその、略奪ってやつかしら!? ごごご強引な!」 「動かないで、ステラ姫」  顔を真っ赤にしているステラに、レミィは短く告げて――立ち上がる。 「え?」 「仕掛けてきやがったね」  ステラとレミィが横たわっていた場所から少しずれた場所。  すなわち、ふたりが、たった今まで座っていた場所。  その地面に――数本の矢が突き刺さっていた。 「なっ!?」 「だいじょーぶ、心配しないでプリンセス。でも、よかったら……すこし目を瞑っててくださいな」  背中でレミィはそう言って。  ――そして、ゆっくりと、ティーポットを構えた。  その注ぎ口を、矢の飛んできた方向へ。  まるで――石弓でも構えるように。 「さぁて。紅茶を喰らいな――ネズミども(・・・・・)」  瞬間。  ティーポットの注ぎ口から無数の紅茶の水滴(・・・・・)が飛び出した。    * * * 「――お待たせしました、ステラ姫」 「……レミィ、いったい」  そっと目をあけたステラの前には、にっこりと微笑む【紅茶の魔女】が立っていた。  先ほど確かに見たはずの矢も、きれいさっぱり消えている。  先ほどの一瞬の出来事は、一体? 「ほら、そんな顔しないでくださいな。だいじょーぶ、何にも心配しないで」  レミィは、キョトンとしているステラにいっとう優しく微笑みかける。 「ほら、もうすぐそこの階段で眠ってるやつらも起きて、元気いっぱいになりますから。そうしたら、城に帰りましょうか」 「……えぇ、そうね」  ステラが微笑んだのを見て、レミィはそっとその銀髪を撫でてやる。  何者かにその命を狙われている少女を。  その身を望まぬ結婚に捧げる覚悟を固めた少女を。  そして、レミィ・プルルスを慕っている――ずぶ濡れの少女を。  (こういう子を救うために、私は――私たちは、あの戦争に勝ったんだ)  だから、あなたは何も心配しないで――と。  レミィはそっと、ステラの頬に口づける。 「きゃっ!?」 「そ、その……ほっぺたに、パイのかけらが付いてたんで!」 「そ、そうだったのね……いけないわ、私ったら!」 「まあ、その、さっきのお返しです」 「れ、レミィったら!」 「デートっぽいでしょう?」  お互いに、くすくすと笑いあっていると、背後の階段で魔導師たちが目覚めた物音がする。  さあ、帰ろう。  レミィは美味しかったランチを片付ける。 (まあ、帰りに急襲を受ける可能性はないだろ――隠れてるやつ全員、脚の腱を射抜いたから)  弓の刺さり方から割り出した狙撃位置にいた怪しい人影を、遠隔操作した紅茶の水滴で仕留めた。  紅茶をこんな乱暴な使い方をしたのは久しぶりだったが――腕はなまっていないようだった。 (さて、王城内のスパイに望まぬ婚約……これはちょっと、忙しくなりそうだなぁ)  まぁ。  普段サボってるぶん、ちょっとくらいは働いてあげてもいいでしょう。  そんなことを想いながら、レミィはステラの白い手をとって歩き出す。
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