7杯目 決闘

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7杯目 決闘

 背中を見つめる。  アリシア――ジェミニ・アリ=シャパはレミィの背中を、見つめる。  向かうのは決闘場。  ステラ・ミラ・エスタシオ第一王女への求婚への異議を申し立て、決闘を申し込んだレミィの背中。 (……ずいぶん、大きくなったわよね)  協議会から半日後。  シュトラ城内にある決闘場に向かう長い長い廊下に3つの足音が響き渡る。  決闘人は、【紅茶の魔女】レミィ。  決闘の立会人としてその後ろを歩くアリシアは、噛みしめるようにその背中を見つめていた。  レミィと初めて出会ったとき、レミィはまだほんの少女だった。  世間に捨てられ、人間を信じることもできず、ボロボロの布をまとった少女は――ジェミニ・アリ=シャパと名乗っていたアリシアを、睨みつけた。  そう、睨みつけたのだ。 (当時、アリシアってば結構怖い顔してたと思ってたんだけどねぇ……)  職業軍人として、長く続いた戦争を戦い抜いてきたアリシアを、レミィは睨みつけた。  まるでアリシアの背中の向こうに、彼女の家族を、故郷を、未来を奪った世界を見ているかのように。  アリシアは、それを気に入った。  だから、レミィを当時負け知らずの常勝将軍であった旧知の【魔導書使い】ミーシャのもとに送り込んだのだ。  幸いなことに、レミィには魔法の才能があった。  人間を殺すための魔術を、レミィは貪欲に習得していった。  ただし。  彼女の固有魔法は、【紅茶を美味しく淹れる魔法】。  ――戦争のさなかで役立つはずもない魔法だった。  その1人の人間がたった1つだけ授けられる固有魔法。  紅茶を操り美味しく淹れる魔法――あまりにも平和的なそれを携えて、それでも戦場についてきたのだ。 (――あのときには、まるで悪魔にでも憑かれたのかと思っていたけれど)  けれど、レミィは戦場を駆けた。  紅茶を刃にし、紅茶を盾にして――紅茶を自らの武器にして。 「……アリシア? なによ、ジロジロ見てさ」 「ふふ、ごめんごめん。……大きくなったなぁ、ってね」 「なにその保護者視点。ムカつくんだけど」 「だから、ごめんって♡」 「せ、先輩たち、喧嘩しないでくださいよ……」  同じく立会人として名乗り出た新米宮廷魔導師のディルが青い顔をしてたしなめようとする。  むぅっと唇を尖らせるレミィ。  別にこれくらいの軽口の言い合いは、日常茶飯事なのだけれど。  それなのに、ディルを気遣ってか口を閉ざしたレミィを見ると――アリシアは妹を見るような気持ちになってしまう。  ――けれども。  腐れ縁だから、ではない。  妹みたいに思っているから、ではない。 (あなた、一度もアリシアのこと――”変”って言わなかったわね)  本名不明、所属不明――性別不詳。  戦場では男としてふるまっていたジェミニ・アリ=シャパが、戦後に【庭園の聖女】アリシアとしてレミィの前に現れたときも――レミィはひとことも、それを変だとは言わなかった。  それどころか。 (アリシアがこの格好しているとき、ちゃぁんとレミィは「あの女」って呼ぶんだもんね。知ってるわよ)  男の姿も  女の装いも。  ジェミニ・アリ=シャパ――アリシアにとっては、どちらも偽りのない「自分」なのだ。  それを――レミィは意識的にか、無意識にか、受け入れてくれた。  だから。 (だからアリシアは――レミィのこと、応援したくなっちゃうな♡)  アリシアは、白く細い指をレミィの紅茶色の髪に伸ばす。 「な……なによ。アリシア」 「ふふ。レミィ、勝ってね。あなたがいなくなると、やっぱり寂しいわ。私も宮廷魔導師なんか辞めちゃうかも?」 「それはダメ! だったら立会人なんてしないでよ」 「えー? どうしよっかなぁ♡」 「こ、この女……」  じと、とアリシアを睨むレミィ。  その視線すらも愛おしい、とでもいうかのようにアリシアは微笑む。 「ふふふ……この女、ね。――あのね。アリシア、けっこうあなたのそういうところ好きなのよ?」 「……知ってる」  ディルは、2人のあいだに流れる濃密な空気に圧倒されたかのように目を白黒させていた。  たどりついた決闘場。  王城の裏手にある、円形劇場だ。    * * * 「――遅かったな」  たどりついたレミィたちを出迎えたのは、【爆焔の魔導師】バリアン・メラ・ドゥランダルのいらだった声だった。 「いやあ、悪いね。待った? 私はいま来たとこ」 「軽口は慎みたまえ、レミィ・プルルス。――まったく、私の部隊からこのような反逆者が出るとはな」 「やだな。手続きに則っただけでしょ? 反逆者なんて人聞きが悪いっすねぇ、班長?」 「……貴様っ!」 「待ってくれ、【鋼鉄の魔導師】殿。彼女と同じ土俵で怒鳴り合いをすれば、我々の品格が落ちるだろう。陛下の御前だよ」  【爆焔の魔導師】バリアン・メラ・ドゥランダルが決闘の立会人として指名した者。  宮廷魔導師団【青龍班】のリーダー、【鋼鉄の魔導師】ダム。  そして――。 「よい。わしはこの決闘のただの立会人ゆえな」  魔法大国シュトラ、その国王だった。 「こ、ここ、国王陛下!?」 「ディル君♡ そぉんなに焦らなくて大丈夫よぉ」 「ふむ【子守唄の魔導師】か。お前の唄には毎夜助けられているからな。この度のことは不問であるよ。君はまだ若い」 「……だそうだよ。陛下の寛大なお心に感謝するといい」 「へ、陛下……」  バリアンが、氷点下の視線をディルに送る。  それだけで、ディルは飛び上がった。  レミィは、ディルの肩をぽんぽんと叩いてやる。  前例として引いてきた決闘履歴にも、「娘の父である当時の国王が決闘立会人として同席した」とあった。  ここに国王がいることは、何も不思議ではない。 (……うん。ずいぶん体調もよさそうじゃない、こくおー陛下)  じっと観察した顔色は、以前にあったような青白さはない。  血色もよく、年相応の威厳をもった顔つきだ。  レミィが毎晩、解毒と防毒の効能を高めた薬草茶(ハーブティ)を、国王の安眠のために固有魔法の子守唄を歌うディルに持たせていたのだ。  ちゃんと国王も口をつけてくれているようで、誰かに盛られている毒はしっかりと解毒できているようだ。 (……あの程度の薬草で解毒できるってことは、呪いやら毒やらの専門家じゃないってことか。命拾いしたね、へーか)  よかった、と小さくつぶやいて。  レミィはぽんぽんとディルの肩を叩く。 「はいはい、大丈夫よ。ディル君」   「レミィ先輩……いや、ふつうはビビりますよ。陛下っすよ?」 「いやいや、君、毎晩陛下のお部屋にはせ参じてるじゃん」 「仕事とこれとは別っすよ……」 「ふぅん、わかんないけど――」  大丈夫、と。  レミィは正面を睨む。  国王の側近集団である宮廷魔導師団【青龍班】の長、ダム・ディーゼル。  王族の近辺警護を行う戦闘系魔法のエキスパート【朱雀班】の長、バリアン・メラ・ドゥランダル。  そして、魔法大国シュトラの国王その人。  その3人を相手に、一歩も引かずに正面を切る。  レミィの視線を受け止めて、バリアンは彼の二つ名とは裏腹に冷たい声で言い放つ。 「……わかっているとは思うが、レミィ・プルルス。決闘においては、お互いの生死は保証されない」 「当然。戦場だって同じことでしょう」 「貴様が戦場を語るな。まだ二十にもならない小娘が七年前に我らの血によって終わらせた地獄の何を知っている」 「……さぁ。何を知っているんでしょうねー」  へらへらと。  のらり、くらりと受け答えをするレミィに、バリアンは目に見えていらだっている。  甘い、とレミィは思った。  怒り、焦り、いらだち。  戦いにおいて、それらがいかに命取りになるのか……レミィは知っている。  戦場において最後に立っていられるものは、感情を無くしモノとして殺戮を遂行できる者だけだ。  ――あるいは。 (その激情を、うちで燃やし続けられるものだけ――か)  それは、レミィの師匠である【魔導書使い】ミーシャの言葉であった。  酒クズでどうしようもない男だが、彼は――本物だ。 「――さて。【紅茶の魔女】レミィ・プルルス。貴殿の申し立てた決闘を、はじめようではないか」  ばさ、とバリアンがマントを翻し、円形劇場――決闘場に足を踏み入れる。  レミィも続く。  バリアンの手には、ドゥランダル家に伝わる宝刀【フランベルジュ】が握られている。  そして、レミィの手には――。 「おい、【紅茶の魔女】。ふざけているのか!」  不機嫌を隠そうともしないダムの声が響く。  国王の表情からは、その心中を推し量ることはできなかった。さすがは、長き戦乱を終結に導き、戦後の国家と周辺国を収める男である。 「……ずいぶんと、俺のことを馬鹿にしてくれているようだな」  レミィの手にある『それ』を睨みつけて、バリアンは低く唸る。   「いいえ? お呼びの通り、私の魔法は紅茶をおいしく淹れることですから――これが、私の一番の相棒です」  その手には、つるりと丸いティーポットが握られていた。  右手を差し出し、注ぎ口をバリアンに向ける。  まるで――宣戦布告のように。 「さぁ、紅茶はいかが。貴族さま?」  ――その声が、開戦の合図だった。
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