8杯目 裏切り者

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8杯目 裏切り者

「どうし……て……この俺が……負けるなど……膝を、つく……、な、ど」  崩れ落ちる炎の巨人――最強と名高い【爆焔の魔導師】バリアン・メラ・ドゥランダルの固有魔法の『真髄』――すなわち魔力の源の手足が音を立てて崩れ落ちる。紅茶の刃で切り裂かれた巨人の肢体から血しぶきのように飛び散るのは、灼熱のマグマだ。 「あつっ! あっづ!」 「はいはい、ディル君。絶対に葉っぱの影から顔だしちゃだめよぉ?」 「わ、わかってます! こんな……レミィ先輩なら大丈夫でしょうけど……俺には無理……!」 「かくいうアリシア的にも、ちょーっと余裕ないかもねぇ。もって頂戴よ、アリシアの山茶花ちゃん」  アリシアは山茶花からわずかに見える、崩れ落ちる巨人と驚愕の表情のまま硬直するバリアン……そして彼らを見据えたまま灼熱の炎とマグマを紅茶の障壁で防いでいるレミィをじっと眺める。防火にすぐれた山茶花をみずからの庭園魔術で強化しつつ――腐れ縁の女の背中を見つめる。  不安げに声を震わせるディル。 「え……この山茶花が燃えたらどうなるんですか……」 「あはは、アリシアたちも丸焦げねぇ♡」 「い、いやだぁあぁ!」  かつての戦場では聞けなかったような新鮮なリアクションに、知らず知らずアリシアは肩を震わせてしまう。 「ふふふ……ほーんとに平和な男の子ね、ディル君は」 「いや、みなさんが肝が据わりすぎというか――」 「ちゅう!」 「豪胆すぎるっていうか――……ちゅう?」 「あら?」  アリシアの白い衣の胸元から、小さな声があがった。  ちゅ、ちゅう、ちゅう。  愛らしい声の主は―― 「トビネズミ!」  仲間同士が所有する微量な生体魔力を引き合って、群れの中であれば自由自在に空間を行き来する小動物である。その名の通り、ネズミの姿をしている。可愛い見た目と裏腹に、短距離の空間転移を行うというトンデモ動物。  アリシアがその固有魔法である【庭園魔術】であずかっている宮廷内の中庭。そこに入り込んでいたのを(レミィにお願いして)捕まえさせたものだ。いまや、すっかりアリシアに懐いて、白い指で撫でられては満足そうにきゅうきゅうと歌っている。――そのトビネズミが、ちゅうちゅうと高らかに鳴いている。 「呼び鳴き……なるほど、そろそろ『来る』わねぇ」 「え、来るって」 「ねぇ、ディルくん――なかなかの有名人に会えるかもしれないわよ?」 「え、有名人……?」 「えぇ。先の大戦の英雄。国王陛下の信頼を勝ち得ていたものの下野した元・将軍――【魔本のミーシャ】」 「え、あの魔導書使い……!? 王都の店に引きこもっているって」 「そうねー。ミーシャにお使いを頼んでいたから」 「お使い! 魔本のミーシャに!? アリシアさん、一体何者なんですか……!」 「ふふふ、ヒ・ミ・ツ……その前に」  アリシアが視線を決闘場内に戻す。  いまにもばらばらの炎の塊として霧散しそうな、炎の巨人。  それを睨みつける、レミィ・プルルス。 「アリシアの睨んでる『ネズミ』さんは出てくるかしら……?」  トビネズミが城内に放たれているのを発見して以来、アリシア――かつての戦役において、シュトラ王国側の防衛戦線の要所を中心に、爆発的に繁殖する植物と毒草を用いた敵地制圧で圧倒的な戦果を残したにも拘らず。所属不明。年齢不明。本名不明――性別不詳のままに表舞台から姿を消した伝説の職業軍人、ジェミニ・アリ=シャパは、城内にはびこる不穏な芽を追いかけ、その根を見極めようとしていた。  毒を盛られ、体調を日に日に崩していっていた国王陛下。  ステラ第一王女に降って湧いた【爆焔の魔導師】バリアンとの政略結婚。  庭園に放たれたトビネズミ、そして――町から買い上げられ、行方知れずの魔導書。  すべてが、繋がっていく。 「どうして……とどめをささない? 【真髄】を破壊すれば、俺の命は……尽きる……貴様も宮廷魔導師だ、それくらいは知っているだろう……」 「……意味がないからね。【爆焔の魔導師】。私はこの紅茶をもって、ステラ王女殿下が望んでいない婚姻を全力で阻止するよ。ただ、それ以上は望まない。――戦場も知らない坊やには、この国を背負うのも、無様に死に絶えるのもまだ早すぎるよ」  淡々としたレミィの声に、バリアンは目を見開く。  その姿を、バリアンはかつて見たことがある。 「お前……!? そうか……その紅茶……その、赤い髪……その強さ……おまえが、あの……!」 「誰と勘違いしているか知らないけれど、私はただの【紅茶の魔女】。紅茶をおいしく淹れることしか能のない、宮廷魔導師団の窓際族同盟だよ」  崩壊する巨人の爆焔に呑まれながら、バリアンは――かつて戦場で膝をつき、名も知らぬ少女に助けられた男は、目を見開く。  レミィの揺れる紅茶色の髪。  その強いまなざし、圧倒的な強さ。  そう、その姿は――かつて、戦場を吹き抜けた、あの一陣の風。  あの、紅茶色の髪の少女の――。 「――ふん。まったく、惰弱にもほどがある」  炎の巨人が今にもくずおれようとする、その間際。  冷たく響く声があった。   「……」 「まったく、【爆焔の魔導師】……貴様は甘い、甘すぎる。そも、貴様の目指すという『強きシュトラ王国』は虚像だ……貴様の強さを、私は認めない」 「な……ダム……様……?」  魔法大国シュトラ宮廷魔導師団、4大班がうちのひとつ。  青龍班、班長―― 「貴様には落胆したぞ、バリアン・メラ・ドゥランダル」  ――【鋼鉄の魔導師】ダム・ディーゼル。  その人の、声だった。
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