10杯目 さよならのローズマリーティー

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10杯目 さよならのローズマリーティー

 地面を叩く雨音。  ひゅう、ひゅう、と隙間風のような音が微かに聞こえる。  【鋼鉄の魔導師】ダム・ディーゼルの、今にも途切れそうな呼吸だった。  操っていた炎鋼の大巨人ごと斬られた喉からは、血と空気が混ざってひゅうひゅう、こぷこぷ、と嫌な音がたっている。ーー戦場の、音だ。 「もう喋れないだろうから、聞くだけききなよ。班長」  レミィは、抑揚のない、感情の読み取れぬ声で敗北者に語る。  紅茶色の髪はすっかり雨に濡れ、ダムを貫く刃を構築するために両手を裂いて流した血はぽとぽとと地面に滴り続けている。  深く、目を閉じる。  人を斬る感触は久しぶりであり、そしてあまりにもなじみ深いものだった。  少女兵として戦場を駆けぬけたあの日々は、レミィにとって忘れたくも忘れ難い原風景だ。 「 国王陛下や私たちが、どうしてステラ姫にあれだけ惹かれると思う? 心奪われると思う? ――なあ、あれが聞こえるかな、班長。ステラ姫が、泣いている」  雨の中。  ダムが倒れたことで鋼の剣でできた檻から解放された父王であるシュトラ国王に縋りつくようにして、ステラは泣いていた。  それは、父や自分たちが助かったことの安堵から流す涙――ではない。  深手を負ったバリアンやミーシャを。【窓際族】として平穏な日々を愛していたにもかかわらず刃を振るわざるを得なかったレミィのことを。――そして王国を裏切りレミィに斬り伏せられたダムの傷をも嘆き悲しむ涙だった。 「あの()はね、私たちのために泣いている。敵も味方も関係なく、ただ流れた血のために、ヒトのために泣いている。あんな涙は私たちには流せない、戦場には流れない。実際、あんたは戦のなかであらゆる成果を追い求めて兵をふるいながら、死んでいく兵たちに目もむけなかった」  あまりにも清らかな涙。  戦争の中にこそ発展がある、発展のためにこそ戦争はある――身勝手にも、そう主張するダムのためにもステラは涙を流していた。 「ステラ姫こそ、平和の申し子なんだ。死んでいった人たちが、生き残った私たちが、戦火の中で焦がれ追い求めてきた平和っていうのは――ステラ姫みたいな子のことなんだ――あんたが刃を向けたあの子こそが、私たちの希望なんだよ」  返事はない。  ひゅう、ひゅう、と隙間風のような呼吸音が返ってくるのみだった。 (……なのに、あの子はダムのためにも涙を流しているんだから。だからこそ、私はステラ姫を……尊いと思う)  立ち尽くすレミィの背後に、足音があった。 「――……レミィ」 「ステラ姫」 「レミィ、助けてくれてありがとう……でも、でも」 「助かったんなら笑ってくださいよ、ステラ姫」 「でも――……レミィが、泣いているから」 「……雨粒ですよ」  ざぁざぁと降る雨は、レミィの流す涙を隠してはくれなかった。  もう二度と、人を斬りたくなんてなかった。  役に立たない平凡な【紅茶の魔女】として、平穏な日々を生きたかった。  この場所でなら、戦火の消えた王都でなら――ステラのそばでなら。  きっと、かつて兵器だった自分も、そういうふうに、生きられると。  そう、思ったのに。  ああ、なんておめでたい考えだったんだろう。  もうここには、いられない。  レミィはそう思った。  だって、私はステラ姫を守れなかった。  命は守ったけれど――この子の目が美しいものだけ見ていてほしいという、自分自身の願いを守れなかった。 「よくやったわね、レミィ」 「あぁ、まったくだよ……いてて」 「……先輩……あの……ありがとうございます、先輩がいなかったら、今頃」  腐れ縁のアリシア、かつての恩人ミーシャ。  そして、レミィを慕う後輩のディル。  みなが、そこにはいた。  レミィに歩み寄ってくる。  けれど――。 「……私は、お暇をいただこうかなと」 「そんな! 何を言う、【紅茶の魔女】。お前は私とステラの……ひいてはこのシュトラ王国の恩人だ。(いとま)など」 「いやあ、恩人とか、そういうの荷が重いんで」 「レミィ!」 「おっとっ! 近寄らないでくださいよステラ王女殿下。お召し物が血で汚れます」  駆け寄ってこようとするステラを制して、レミィはゆっくりと両手を掲げる。  その手に、なんの装飾もないティーカップとソーサーが錬成された。  さきほど地面に打ち捨てた茶筒から、レミィはひとさじだけ茶葉を拾い上げる。  雨に濡れた茶葉はしなしなとしているけれど。  レミィの魔法は、その茶葉をとっておきの1杯に変える。 「……私はここにはいられない」  レミィがまっすぐに見つめる先。  そこにいるのは、ディル・マックィン。  新米宮廷魔導師の――【子守唄の魔導師】。 「……この、匂い」 「頼むよ、ディルくん?」  まっすぐなレミィの瞳に、ディルははっと息を飲む。  周囲に漂う温かい香り。  薬草茶(ハーブティ)の香りは、レミィが傷ついた手で持っているティーカップから漂っているものだ。  ゆっくりとカップを傾けて、レミィはその中身を味わうように口にする。 「……これって」  ディルは知っている。  あたりに漂う、清涼で、甘酸っぱくて、どこか懐かしいハーブの香り。  これは、書類仕事をおもに扱う、シュトラ王国宮廷魔導師団青龍班第1執務室で――仕事が立て込んで、みんなが疲れて眠そうな午後にいつも漂っていた香り。  【紅茶の魔女】レミィが運んでくる――……おどろくほどに目の覚める、眠気覚ましの薬草茶(ハーブティ)。 「――……眠れ、眠れ、いとし子たちよ」  ディル・マックィンは――【子守唄の魔導師】は、歌う。  彼の固有魔法を、誰もが役立たずの魔法だと憐れんだ――けれども、彼にとってかけがえのない子守唄を歌う。  耳にした者が誰でも、安らかな眠りの世界にいざなわれる魔法の歌が、響き渡る。  ひとり、またひとり。  国王が、王女が、魔導師たちが眠っていく。  レモンバームとローズマリーをブレンドした強力な眠気覚ましの強化魔法薬草茶(エンチャント・ハーブティ)を口にしているレミィ以外が、眠りに落ちる。 「……はは、こりゃあ強烈だ、私も眠くなってくる。これは長居は無用だね」  レミィの笑顔が、あまりにも寂しそうで。  ディルは歌をやめようかと迷った。  けれど。  それ以上に――敬愛する先輩が、あまりにも悲しい目をしているから。  ディルは、彼女の意図をくみ取ってあげなくてはいけないと。そう思った。  「固有魔法が役に立つかどうかなんて、使いようだ」と背中を押してくれたレミィの声は、いまもディルの心で温かく光を放っている。  歌が響く。子守唄が。  シュトラ王城から去っていく【紅茶の魔女】の背中を見送る者は、【子守唄の魔導師】ただひとり。  あとに残るのは――優しい紅茶の香りだけだった。
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