エピローグ

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エピローグ

 王都シュトラからほど遠くにある、僻地の村。  その片隅にある村で唯一の食堂兼宿屋兼喫茶店『純白のライオン亭』は、ほのぼのとした活気に沸いていた。 「ほほぉ~、長年生きて来たがこんなに上手い茶は初めてじゃ!」 「芳醇な香りに、砂糖を入れずとも甘いような気のする豊かな風味……これが、ふれぇばぁてぃー」 「なんだか生き返るような気がするのぅ」 「村の若者連中も、なんだか『純白のライオン亭』の紅茶を飲むと元気ビンビンになるっちゅっとったが」 「がはは、ビンビンってのはいいな、ビンビンってのは!」 「いや、畑仕事にせいがでるっちゅう話よ!」  わはははは、と朗らかな笑い声が響く。  王城のしとやかなお茶会では聞くことのできない、素朴で生き生きとした茶飲み話である。 「やー、あんたレミィちゃんっていうたかね。若いのにこーんな田舎にようきてくだすった! こんなに旨い紅茶はぁ、わしら飲んだこたぁない! いやあ、生き延びるもんじゃのぅ」 「そりゃーよかったです。あ、これどうですか? お茶請けに、宮廷魔導師団が今年出した新作の農作物です。キューカンバーっていうらしいんですが、ピクルスにしましたよ」 「ほぉ~、レミィちゃんは料理も上手いのぉ。ほれ、昨日つくってた、あれじゃよ、あれ!」 「アレとかアレじゃ、わかりゃあせんよぉ」 「あぁ、おじいちゃん。豚肉の紅茶煮込みのこと?」 「それじゃよ! 野生の猪豚肉じゃというのに、まったく臭みもなくて、脂がとろとろぉっとしておって……わしはあんなに旨い豚肉を食べたのは生まれてはじめてじゃった」 「大袈裟だなぁ」 「ほほほほ、大袈裟なもんか、レミィちゃんはすごいのう」 「はいはい。さあ、お茶のおかわりはいかがかな?」  子供のように「はーい」と元気に手を挙げる老人たち。  レミィ・プルルスは、高々と結い上げた紅茶色の髪を揺らして、テーブルの間を縫っていく。  平和そのものの光景だった。  だれもレミィのことを知らぬ村は、宮廷魔導師としてサボりまくっていた日々のような「のんびり」は叶わないものの居心地は悪くなかった。  こうして、細々と働くのも悪くない。  ――からん、ころん。  ドアに括りつけた、乾いたカウベルの音が響く。  入り口に立っているのは、この村のものではない。  旅人である。  絶世の佳人。  そう表現するのがふさわしい、金の髪をなびかせた美男子が立っていた。 「やぁ、レミィ。随分探したんだよ」 「……アリシ……じゃなかった。ジェミニ……よく見つけたわね」  佳人は【庭園の聖女】アリシア――の、またの姿。  性別不詳、本名不明。  伝説の職業軍人、絶世の美男子ジェミニ・アリ=シャパだった。 「いやぁ、苦労したよ。こんな遠くの、魔導書の1冊もないような村にいるなんてね、おかげでミーシャが『僕の魔本たちの情報網が使えない……』ってしょぼくれてしまって大変だった」  肩をすくめるアリシア……いや、ジェミニにレミィはカウンターの席をすすめた。  魔性という言葉が似合うほどの美男子の登場に、『純白のライオン亭』で井戸端会議をしていた村のおかみさん連中が「ほーぅ」と甘い溜息をつく。 「もう人海戦術さ。それでやっと、この村の喫茶店の紅茶があまりにも美味しい……正確には、最近美味しくなったって評判を聞きつけた」 「すごい執念」 「何言ってるのさ、腐れ縁だろ。レミィとジェミニは」 「……そう、ね」  それで、とジェミニが口を開く。  同時に、レミィは紅茶のカップをかたんとジェミニの前に置いた。 「帰らないよ。帰れない……ステラ姫の前で、謀反人とはいえ人を殺した。私は――どの顔下げて毎朝あの子に会ったらいいかわかんないよ」  そう。  きっと、あの王女様は今までと変わらず、毎朝庭園にやってきては、レミィに紅茶をねだるに決まっているのだ。そういう、少女なのだ。 「ああ、そのことだけど。ダム・ディーゼルは死んでないよ」 「えっ!?」 「いやぁ、あの場にミーシャがいてよかった。あいつの持ってた治癒と蘇生の魔導書を使ったんだ。まぁ、頁のほとんどはミーシャが自分の傷の治療に使っていたんだけれど、ギリギリなんとかなったのさ。あのクラスの魔導書を扱える人間はミーシャの他にいないからね……運がよかった」 「死んで……なかった」 「あぁ。とはいえ傷は深いからね。寝たきりに近いが、今は投獄されて裁きを待っている」  ほぅ、とレミィは胸を撫でおろす。  そうか、彼は生きているのか。  もちろん、レミィは宮廷魔導師だ。  王族に刃を向けたダムを斬り捨てたからといって、罪に問われることなんてない。  けれども、心情としては、彼をステラの目の前で殺してしまったという思いはレミィ自身を傷つけていた。 「まぁ、それはよかった……でも、だからといって簡単に戻るわけには」 「ははは、手ごわいね。予想通りだ」  ジェミニは、ポケットから数枚のコインと一緒に一通の封筒を取り出した。  厚手の美しい紙。真っ赤な蝋の封印には、シュトラ王家の紋章。 「手紙……?」 「あぁ。このジェミニの役目はこの手紙をレミィに届けること。お茶をいただいたらお暇するよ。お代はこれで足りるかい?」 「えぇ。十分すぎるほど。お釣りはいらないよね?」 「ははは、そっちから言われるとはね。あぁ、取っておいてくれ」  願わくば、王都シュトラへの旅費に足しておくれ――ジェミニはそう言い残して、本当にすぐに帰っていった。トビネズミの空間転移を使ったのか、風のように消えていた。  まったく、我が腐れ縁ながら読めないやつ。  店じまいをして、村の外れにある小さな民泊にかえる。  封筒を、少しためらって開く。  中には数枚の便箋。  美しい筆致。  差出人は――予想通り、シュトラ王家第一王女ステラ・ミラ・エスタシオだった。  手紙に目を、走らせていく。 「わ……わわわわ~~~~っ!?」  レミィは、顔を真っ赤にしてベッドに撃沈した。  もう数行読んで、撃沈。  それを何度も繰り返して、やっとのことで手紙を読み終えたレミィは、呟く。 「あ……あの、おてんば姫は……!」  熱烈で、濃厚で、そして甘美。  手紙は――まるで、燃え上がる恋文のようだった。
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