エピローグ

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「呆れた。短時間とはいえ固有魔法の【真髄】を他人に奪われてて、もう働いているとはね……」 「……不甲斐ないことだ」  俯くバリアンに、レミィはちょっと微笑んで見せる。  居丈高な雰囲気はまるでない。  逆に、レミィへの敬意すらも感じられる。 「逆よ。すごいダメージだっただろうに、よくもまぁ、すぐに復活するね」 「すべては、あなたのおかげだ。レミィ・プルルス。俺は、情けなくもダム・ディーゼルの口車に乗って、ステラ王女殿下に求婚など――」 「別に、そりゃあいいんじゃない? ステラにも、断る権利はあるでしょってだけよ」 「その通りだ。俺が愚かだった……求婚は取り消した。宮廷としても、ステラ殿下の結婚や見合いは正式に断り続けるつもりだと国王陛下がおふれをだした。少なくとも、彼女がもっと大人になるまでは」 「……そう。根が悪いやつじゃないとは思ってたけど、なかなかオトコマエじゃん、バリアン様?」  レミィの言葉に、バリアンはなぜか耳を赤くした。  ところで、とレミィは首を傾げる。  ひとつ、聞いておきたいことがあった。 「私の姿を見ても、誰も何も言ってこないけど……」 「あぁ、俺が青龍班の統括も兼任することになってな――」  ダム・ディーゼルが班長を務めていた青龍班は、あわや解体かと思われた。  そこで、班長代理を買って出たのがバリアンである。  バリアンは、王族の近辺警護をつかさどる朱雀班の班長である。  そのバリアンが、書類仕事をつかさどる青龍班の兼務をするというのは、驚きをもって迎えられた。 「その――あなたの不在は、『長期休暇の取得』ということにさせていただいた」 「……え?」 「あなたはまだ、宮廷魔導師団に籍がある。俺が勝手にやったことだが、国王陛下とステラ王女殿下の許可も得ていて……」 「待って待って、ちょっと待って。あんたに、なんの得があるの……?」  レミィは驚きで、すこし取り乱してしまう。  だって、そうだろう。  自分は、バリアンとはステラを巡って決闘をしていた仲だ。  たしかに成り行き上、バリアンの命を救ったのかもしれない、けれども自分が去ったならば、バリアンがそれを引き留めるような動きを積極的にするとは限らない。 「それは……昔の、恩返しだ」 「昔?」 「――中庭にはもう行ったのか? 俺は忙しいんだ。二度とダムのような輩がでてこないよう、このシュトラを『戦わぬ強国』とするには、まだまだ課題は山積みだ」  それでは、と。  足早に去るバリアンの背中をぼーっと眺めて、レミィは首を傾げる。  昔の、恩返し?  彼とは、ほとんど接点もないはずだけれど。 ――中庭にはもう行ったのか?  バリアンのその言葉を思い出し、レミィは中庭に目をむける。  薔薇と百合が咲き誇る、【庭園の聖女】のテリトリー。  生垣でできた迷路のむこう、あの静かな一角に、いつもレミィが紅茶を飲んでサボっていたティーテーブルがある。  そこにはきっと、あの()が待ってる。  レミィは一歩一歩を噛みしめるように、中庭へと向かう。  見知った顔がふたり、並んでいた。  たった数ヶ月ぶりなのに懐かしく感じる。 「っ、先輩!」 「やあ、ディル君。サボり?」 「違いますよっ! 俺、マジメな宮廷魔導師なんすから……先輩がいなくなって、あんなこともあって、青龍班は大変だったけど……俺、俺、すごく頑張って……」  久方ぶりの再会に、レミィを信奉するディルは目を潤ませた。そっと背中を叩いてやると、泣き笑いのような表情で、なぜかレミィの手を握って握手をした。  その純朴な様子に、くすくすと笑う美女。 「あら、レミィ。意外と遅かったわね。帰ってきてくれないのかと思った」 「アリシア。どの口が言うのよ。あんな手紙持ってきて」 「あら、アリシアは手紙の中身までしらないわよぉ?」 「とぼけないで。あんたが恋文の中で使う語彙と言い回しがたくさんあった」 「あはは、よく知ってらっしゃいますこと」 「……読み書きを覚えたのがあんたの指南だったのは、一生の汚点だわ」 「言うなぁ♡ でも、レミィのそういうところ好きよ、昔から」 「あの……先輩。早く行ってあげてください……レッスンや公務のないときは、ずっとずっと、あそこで先輩のこと待ってらっしゃるんです」  ディルが、中庭の片隅を指差す。  迷路の向こう。あの、懐かしいティーテーブルのあるあたりを。    * * *  むせ返るような薔薇の香り。  酔いそうなほどの百合の香り。  迷路を抜ける。  銀髪の少女が、ティーテーブルに座っていた。  テーブルのうえには、ティーポット。  そして、カップ&ソーサーが、2組。  少女の前に置いてあるカップには、並々と注がれた紅茶。  ウバのミルクティだろうか、こっくりとした狐の毛並みのような甘やかな色をしている。  そして、もう片方のカップには、紅茶は入っていない。触れた形跡すらもない。  そのカップは、まるで誰かを待っているかのような……。  レミィはそっと、その小さな背中に近づく。  名前を、呼ぶ。  銀髪を揺らして、少女は振り返り……花の咲くような、星が囁くような、極上の笑みを浮かべた。 「……レミィ!」 「ステラ姫。ただいま、戻りました」 「おかえりなさい、レミィ」  じっと見つめ合う。  まるで魂が惹かれ合うような時間。  レミィは、目の前の清楚な少女から届いたとは思えぬほどの濃厚で、情熱的で、とろけるように甘美な恋文を思い出して、かーっと顔が熱くなるのを感じる。  この子が、あんな、情熱的な手紙を書いたなんて! 「……ぅ」 「レミィ、あなたのこと……ずっと待ってたの」  ステラが、レミィの手をとる。  さきほどディルと握手をしたときには感じなかった、胸の高鳴りが。  胸の中に、温かい紅茶が注がれたような、こそばゆい気持ちが。  抑えられない、我慢できない。 「……手、私……その、血で汚れて……」  自分でも滑稽なくらいに、言葉が出ない。  ステラのことが、大切だ。今まで、あえて言葉にしてこなかった気持ちが、レミィの中で急速に明確な形をとりはじめる。 「いいえ、レミィ。あなたの手は優しいわ。何度も、私を守ってくれて、みんなを守ってくれた、大好きな手。世界でいちばん美味しい紅茶を淹れてくれる……大好きな手よ」  ステラは、ティーテーブルの上のポットを優雅に片手で持ち上げて。  レミィを椅子に座らせる。  そして、いつかの雨の日に、レミィがしたのと同じように。  優しく、高らかに、こう言った。 「……温かい紅茶はいかが、レディ?」  だから、レミィはその声にこたえる。 「……いただきますわ、プリンセス」  花のように微笑んで、ステラはレミィのカップを温かい紅茶で満たした。  豊潤な香り。  唇に触れる、甘やかな風味。  そして、レミィは思い出す。  ……誰かが淹れてくれる紅茶が、こんなにも美味しいということを。
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