2杯目 庭園の聖女と秘密の相談

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「ふぅーん、デートねぇ」  レミィの相談を大変楽しそうに聞いている、金髪をなびかせた白衣の美人。  宮廷魔導師団の【窓際族同盟】の仲間(といっても、二人しかいないけれど)、シュトラ王城の庭園を管理する【庭園の聖女】ことアリシアである。  アリシアとは宮廷魔導師団に入る前からの長い付き合いである。  しかし。そのレミィからしてみればアリシアが、   「宮廷魔導師団の癒し担当」  だとか 「付き合いたい宮廷魔導師ナンバーワン」  だとか 「マジ聖女」  だとか言われているのは非常に納得がいかない。  ものすごく納得がいかない。    いや、たしかにアリシアは美人だ。  だが、しかし。  みなさんちょっと見た目に騙されてますよと、レミィはそう訴えたい。 「すーーーーっごい面白そうじゃない! うふふー、ねえねえ、よかったらアリシアがデートプラン練るの手伝ってあげよっか?」 「結構です!!」  そう、アリシアはそういうやつなのだ!  というか……まぁ、アリシアを前にして鼻の下を伸ばしている男性陣たちは絶対こいつに騙されているぞと思いつつ。 「うふふ、ごめんごめん。それにしてもこのミルクティー、すっごくおいしーね? 新作?」 「そうやって話を逸らして! アリシアのそういうところ、ちょっとよくないと思う」 「うん、アリシアもそう思う♪」 「じゃあ直しなよ⁉」  アリシアのことを姉というか――まあ、そういう風に思っている節もあるレミィはアリシアのカップに紅茶を満たす。  指摘された通り、レミィの新作だ。  ミルクから煮出した紅茶だ。  これは少し前に、「カップに紅茶とミルクのどちらを先に入れるか」という平民出身の宮廷魔導師と貴族出身の宮廷魔導師の壮大かつ不毛なる論争に巻き込まれたレミィがブチ切れて開発した斬新なミルクティーである。  ミルクで煮出した紅茶にたっぷりの砂糖。  茶葉にはシナモンを混ぜ込んだものがいい。  コツは、決してミルクを沸き立たせないこと――まぁ、そんな温度調節は『紅茶を美味しく淹れること』に特化した固有魔法を持つレミィにとってはお手の物なのだけれど。  正直、あまりにもジャンキーな飲み方ゆえ、こうしてアリシアにふるまったり自分でいただいたりするくらいしかしていないが――近々、王侯貴族の皆さまがおいでになる茶会があったら新作としてお出ししてもいいのではないかと思っている。  大変、ロイヤルなお味なので。  それはさておき。  レミィはアリシアに向き直る。 「それはさておき、デートだよデート! しかも、あのお姫様とっ! ああ、どうしてこんなことになっちゃったんだ、私はただ自由に窓際族してたかっただけなのにっ!」 「そういう自由なレミィの姿が好きな子が多いんじゃない、昔も今も」  アリシアは、それはもう穏やかな笑顔で返答してきた。  ぐぬぅ、と唇をとんがらかすレミィ。 「っていうか、爆焔のやつにも目つけられるしさ」 「あのどこまでもモテるバリアン君のこと『爆焔のやつ』っていう人初めてみたわよ……ふーむ、それにしてもそうか、レミィはもしかして気づいてないのかしら?」 「気づいてない?」 「ステラ王女様の『デート』と、バリアン君がレミィに怒鳴り込みに来たの……たぶん繋がってるのよ」 「ど、どういうこと?」 「さぁね? ねぇ、お代わり頂戴。ほんとにおいしーわ、このミルクティー♡」 「ああ、そうやってまたはぐらかす!」  ――といいつつ、しっかりとってもロイヤルなミルクティーの追加を注いであげるレミィである。人がいい。 「そうねぇ、じゃあレミィがお庭仕事手伝ってくれたら教えてあげよっか」 「庭仕事? いやいや、アリシア。あんたの庭園魔術より役に立てる自信なんてないよ……?」 「そーでもないのよ。お願いしたいのはね、害獣退治なの」 「害獣退治?」    * * * 「それがね、庭にあいつらが出てきちゃったのよ――トビネズミ」 「トビネズミ……って、あの短距離の空間転移をする? あのトビネズミ?」 「そうそう。戦時中に兵士たちが撤退に使うっていうので、たくさん飼育されてたでしょ。あのトビネズミ。どういうわけか、庭の花の根っこを齧ってるみたいなのよ」 「あいつら、もう野生種は絶滅したんじゃなかったの?」 「どこかから逃げ出してきたか、それとも……何かの目的で放たれちゃったのかわからないけど、とにかく困ってるのよ」  トビネズミといえば、仲間同士が所有する微量な生体魔力を引き合って、群れの中であれば自由自在に空間を行き来する小動物である。その名の通り、ネズミの姿をしている。  可愛い見た目と裏腹に、短距離の空間転移を行うというトンデモ動物である――いや、トブ動物といったほうがいいか。とにかく、その希少な性質のせいで軍事利用を古くから繰り返されてきた結果、いまや野生種はほとんど残っていないといわれている小動物だ。  トビネズミと人間が接触したままトビネズミが空間転移を行うと、その空間転移能力に便乗できるという性質のためか、先の大戦中には訓練されたトビネズミが実戦投入されていたのだ。  レミィも何匹か所持していたことがあるが、もちもちのお腹が可愛いやつらだ。  だが、それがなぜ王宮の庭園に?  研究所から逃げだしたか、あるいは――何かの意図をもって放たれている? 「とにかく、花の根っこを齧っちゃって困ってるのよね~」 「……でも、アリシア。あんただったら、花の根っこに一時的に毒持たせたりとかワケないでしょ? それで駆逐したらいーじゃないか?」 「ふふふ、レミィ。今あなたが思った『なんで?』が、普段ネコかぶってるレミィに対してアリシアが思ってることなのよ?」  だけど――とアリシアは言葉を続ける。 「トビネズミちゃんたちを毒で殺すのは簡単だけど、あんまりやりたくないのよ? 植物の根っこに毒を含ませたら、害獣以外の……たとえば、畑の土をやわらかくしてくれたり、受粉の手伝いをしてくれてる虫や動物たちにも影響があるわ。それはちょっと……ね?」 「まぁ、それはそうか」 「それに、レミィだったらできるでしょ……トビネズミちゃんたちを、傷つけずに全部つかまえるの」 「それは――」  ふむ、とレミィは考える。  レミィがサボり暮らしをできるのは、レミィ本人が同じ部署の生産性を(紅茶による強化魔法で)大幅に上げていることもあるが――この庭園の存在も大きい。  シュトラ国王が「豊かな文化の象徴」としてたいそう気に入っている宮廷の庭。  この庭の生垣で作られた迷路の中にある、あらゆる場所から死角になっているティーテーブル。  これがあることでレミィの快適窓際ライフが担保されているわけだ。  ――アリシアには、多少の恩があるといえる。 (それに……害獣に困ってるっていうのは本当みたいだな)  ふむ、とレミィは考える。 「わかった。空間転移で何匹かは逃げちゃうと思うけど……それでもよければ、捕まえようか」 「さっすが、レミィ。お人よし♪」 「言いかたっ!」  まぁ。  自分がお人よしなのは、レミィも少しは自覚しているけれど。    * * *  庭園の中心。  黒いメイド服と紅茶色の髪を靡かせて、レミィは立っていた。  夕刻、他の宮廷魔導師たちが1日の終わりのブリーフィングを行っており、王城に仕える召使たちも王族の皆さまや自分たちの夕食の準備で忙しく立ち働いている。  つまり。  今からレミィがすることを目撃される可能性が、一番低くなる時間帯。 「――じゃあ、そこから動かないでね。アリシア」 「おっけー♪」 「よし、それじゃあ――」  手には、大きなティーポット。  ゆっくりと、そのティーポットを傾ける。  とぽ、とぽぽ……――っと、赤い糸が垂れるように地面に落ちていくのは、ティーポットになみなみと淹れられた紅茶である。  美しく整えられた芝生に紅茶をこぼすなんて、庭師が見たら卒倒するに違いない。  しかし。  ミルクティーを傾けながら、レミィを見守る【庭園の聖女】の口元には微笑みがあった。  とぽ、とぽぽぽ……。  滴り落ちていく紅茶は、しかし。  ――芝生の生い茂る地面には吸い込まれては、いかなかった。 「さぁ、かかれ、かかれ」  小さくつぶやくレミィの手にしたティーポットから滴る紅茶は、すでにティーポットの容積をはるかに超えているように思えた。  どこまでも、どこまでも、ティーポットから湧いてくる紅茶。  その紅茶は、地面に落ちることなく、地面のギリギリを這いまわるようにレミィを中心にして放射線状に伸びていく。  もしも、上空からこの様子を見ている者がいれば――蜘蛛の巣のようだ、と称したかもしれない。  紅茶に【強化魔法(エンチャント)】と同等以上の効果を付与し、紅茶を操って害獣駆除の包囲網を張る――それは、回復魔術系統の固有魔法と水魔術系統の固有魔法それぞれの領分である。  本来であれば、その力はひとりの女が持てる能力を超えている。 「さーて、トビネズミちゃんたち……逃がさないよ」  最弱の宮廷魔導師、『美味しい紅茶を淹れられるだけ』の何の役にも立たない固有魔法の持ち主【紅茶の魔女】。  しかし、その実態は。  紅茶であれば、いかなる事象も操れる汎用型固有魔法の所有者――それが、レミィ・プルルスの正体であった。  魔法陣や魔導書の補助を使って発動する基礎魔術とは異なり、個々人の有するスキルとしての固有魔法の原則を超越している。  原則として、才能あるひとりにやっとひとつの固有魔法が与えられるこの世界の理において、紅茶という媒介をこのようにあやつる人間がいることが広く知れ渡れば。  人は、レミィをこう呼ぶだろう。  ――最強の宮廷魔導師、と。 「いよっし、かかった!」  網の目状に庭に広がっていた紅茶が、一気に数か所に集結する。  釣りでもするかのように、レミィの手にする大きなティーポットに引き戻された紅茶。  上部の蓋を跳ね上げて、「こぽんっ!」と小気味のいい音をたてて紅茶の塊がポットに収納される。 「ほら、アリシア! 3匹捕まえた!」  ほらほら、とレミィがポットの中身を見せつける。  ポットの中には、ほどよい温かさの紅茶に浸かって、のほほ~んとした表情になっているトビネズミが3匹。  急に蠢く液体に絡めとられた衝撃と、ほこほこと心地よいポットの中の温度にとろけてしまって瞬間転移を忘れてしまったのだろう。  のほほんとしたトビネズミが「きゅっきゅっ♪」と鳴いている様子は微笑ましい。 「わあ、さっすがだわレミィ! むふ~、やっぱりこの可愛いトビネズミを毒で駆逐とか考えられないわぁ♡」 「よく言うよ。まぁこれで教えてくれる気になった?」  ティーポットを熱心にのぞき込んでいるアリシアを、レミィはせかす。 「え、なんのこと~?」 「とぼけないでよ。ほら、おてんばステラ姫様からデートの誘いがあったことと、あのいけ好かないエリート魔導師様が私に怒鳴り込んできたことに何か関係があるとか、そーゆー」 「ああ」  アリシアはにっこりと微笑む。  夕陽に照らされる金髪が輝いて、その微笑はさながら聖女のようで――。 「それはあれよ、ステラ王女殿下に近々【爆焔の魔導師】が求婚するそうよ……っていう噂」 「……え?」  待って待って。  レミィは思ってもいなかった方向の情報に一瞬硬直する。  だって、【爆焔の魔導師】は十代後半のレミィよりもおそらく少し年上で。  ステラは、まだおそらく十代前半の少女だ。  いや、戦乱期には和平交渉のために老人に嫁がされる少女などが存在した。  けれど、けれど――そういうことを終わらせるために、自分たちは戦ってきたんじゃないのか。 「庭園はね、いろんな密談に使われるから」 「アリシア。それって、いつ知ったの」 「そうね……このあいだのお茶会よ」 「このあいだ、って――アレか!」  国王が人払いを行った、あのお茶会!  たしかにあの場には、護衛の【爆焔の魔導師】だけは残っていたけれど――王族の護衛を担う朱雀班の長であるバリアンが残ることには何の違和感も持っていなかった。  あのお茶会のあとに、ステラは今までにも増してレミィに懐くようになっていた……なぜ自分なのかはわからないけれど、あれはステラからの救難信号だったのだろうか。  こんな窓際宮廷魔導師に。 「そんな、怖い顔しないで。レミィ」 「……そんなに私は怖い顔してたか?」 「それはもう。戦場みたいに」  アリシアは、するりとレミィの頬を撫でる。  その指先はなめらかで――優しかった。 「アリシア、私は何をしたらいい?」 「さあね、アリシアにはわからないわ。でも……レミィがもし、ステラ王女殿下のお話を聞いてあげたいって思うなら、それはきっと正しいことだと思うわ」 「……それは、窓際族として正しいだろうか」 「それは、正しくないわね。目立たず騒がず、できるだけサボって平和に生きるために宮廷魔導師になった私たちとしては――それはもう、全然正しくないかもしれない」 「……」 「でも、あなたならできるんじゃない。レミィ」  あなたの紅茶なら、きっと世界だって救えるわ。  アリシアは冗談めかして肩をすくめる。 「だって、こんなに美味しいんですもの!」 「ふふっ、そうだね……私の紅茶は、とても美味しいだろ」  レミィはトビネズミが入っていない新しいティーポットを手に取ると、紅茶を沸かす。  今度は甘いミルクティーではなくて、夕間暮れに相応しいこっくり輝くジンジャーティー。 「あら、いい香り。アリシアにも分けてくれるかしら」 「お断り。ちょっとひとりで考え事させてくれない?」  レミィの言葉に、アリシアは薄く微笑んで。 「りょーかい。このティーポットは借りるわね。このトビネズミちゃんたち、ちょっと面白いことになりそうだわ」  まだほわほわとポットの中でくつろいでいるのであろうトビネズミを大事に抱えて去っていった。  紺色に染まる夕暮れ空に浮かぶ月が、レミィのティーカップに浮かんでいた。
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