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わたしは二人目の友達
「みちこちゃんが二人目なんだよ。友達になってくれてありがとね。それじゃあ、また月曜日に!」
※※※
病気がちの女の子──「望月ひとみ」が六年の入院生活を経て登校してきた。小学校入学前から命にかかわるような大病を患っていて、ようやく完治したのだとクラスの男子が吹聴していたが、お調子者の戯言だとみんな相手にしていなかった。しかし青白い顔は確かに大病を患っていた人の顔つきで、命にかかわる病気だったというのは事実なのかもしれない。クラスのみんなの健康的な小麦色の肌と正反対の真っ白な顔はなんだか不安になるぐらいだ。
自他共に好奇心旺盛だと知られている細谷みちこは、その話が真実かどうか聞きたい衝動に駆られていたが、その好奇心は『病院生活なんてつまらなかっただろうから話したくないはず』という理由で抑えられていた。みちこも高熱が出て治療のために一週間入院した経験がある。それはそれはつまらなく、みちこは二度と入院してやるものかと誓ったほどだ。友達と遊べなければ、周りの大人の意味不明な専門用語にろくに喋れもしない老人たち。みちこの周りにはそんな人ばかりだった。子供にとって同年代の子が一人もいない環境は退屈なのだ。
きっと友達は一人もいなかっただろう──みちこ自身の経験からそう考えるのは自然のことだった。ならばわたしが友達になってやろうじゃないか。隣の席なのに一言も会話しないのは気まずいし、せっかくなら仲良くなっておきたい。先生からも「望月さんのことよろしくね」と先日から言われ続けてきたし、声をかけない理由はなかった。
転校生は担任の先生に連れられて教室に入ってくるのが通例になっている。今日は転校生がやってくるから普段より騒がしい。隣のクラスから苦情が入りそうなほどだ。始業のチャイムがなって五分、ようやく先生が教室に入ってくると、いかにも病み上がりですといった風情の女の子も一緒に入ってきた。その瞬間、男子の声がワッと上がる。ひとみがなかなかの美少女だったからだろう。ひとみは先生に促されて簡単な挨拶を済ませると自分の席に座り、最初の授業を受けた。初めての授業のせいか、彼女は終わるまで落ち着きなくそわそわしていた。
「初めましてひとみちゃん。わたしみちこって言うんだ。これからよろしくね」
休み時間に入ってすぐ、ニコッと笑顔を作って挨拶をすると、ひとみは驚いて目を瞬かせつつもぎこちない挨拶を返してくれた。
「う、うん。初めまして」
「わかんないことがあったらなんでも聞いて! わたしこれでも学級委員長やってたことあるんだ。任せてよ!」
「わっ……すごい。ありがとうみちこちゃん」
ひとみは感激して、さっそく休み時間の過ごし方を聞いてきた。長い入院生活のせいで何をしたらいいかわからないようだ。このままではボーっとしているうちに十分という短い休み時間が終わってしまうと笑った。
みちこは簡単に短い休み時間の過ごし方を教えた。昼休みなら大勢で遊べるけど、短い時間ではトイレに行ったり、次の授業の準備をしたりといったことしかできない。あとは近くの席の人と雑談をするぐらいか。ひとみにそう説明すると、彼女は慌ててトイレへと駆けていった。学校のトイレにはいつでも行っていいことになっているが、授業中に行くのは躊躇われる。気にせず行く人もいるがそんなのは少数で、大抵は恥ずかしがったり授業の流れが止まるのを申し訳なく思ったりで言い出せないのだ。まさかこんなことを教えるなんて思ってもみなかったから、ひとみがこのクラスにきてくれて良かった。人に何かを教えることがなかったみちこは新しいおもちゃを見つけたみたいに心が弾んでいた。
最初はみちこに話しかけられて緊張していたひとみも、帰る頃にはすっかり気を許していた。たった一日過ごしただけなのに二人は長年の付き合いの、腐れ縁にも似た友人のように見えるぐらいだ。帰りも当たり前のように肩を並べて学校を出る。みちこはいつもたくさんの友達に囲まれながら帰るが、今日は掃除や先生の呼び出し、家の用事でさっさと帰ってしまうなどの偶然が重なってしまった。二人で歩くのは久しぶりだったけど、寂しさは微塵も感じなかった。
「どう? 学校楽しかった?」
「うん! 学校はお話の中でしか知らなかったけど、実際に通うと何もかもが新鮮で疲れるぐらい楽しかったよ。明日はどんなワクワクが待ってるんだろうと思うと待ちきれない!」
ひとみは目を輝かせて今日の感想を興奮気味に話した。みちこは六年も通っているから新鮮さなんてこれっぽっちも感じないが、今日は新しくできたばかりの友達と話して久しぶりに新しい風が吹いたという気持ちよさに包まれていた。
「帰り道の景色の移り変わりもすごく面白い。病院はどこ見ても真っ白な壁、服、ベッドで色がなかったから」
「確かに病院って白いよね」
「患者の顔も真っ白! もちろん私もね」
二人は同時に噴き出した。
「これから黒くなっていけばいいのよ。校庭を走り回っていたら嫌でも日焼けしちゃうんだから」
「ふふふ。すごく楽しみ。黒くなった私を見たらびっくりしちゃうんだろうなぁ……」
ひとみはここにいない誰かの姿を想像しているみたいだった。
「誰の話?」
「あ、ごめんごめん。私の友達なんだ。今度紹介するね」
ひとみに友達がいる──みちこはてっきりいないものだと思っていた。
「その子も入院してたの?」
同じ病室の子だったのかと思ったが、ひとみは否定した。
「ううん。入院してないよ」
「あっ、その子の家族の誰かが入院していて、お見舞いにきていたとか」
「お見舞い……うん、まあ、最初はお見舞いと身の回りのお世話だったね」
ちょっと歯切れが悪い。もう少し突っ込んでみようと思ったところで「私、こっちだから」と、みちことは反対の道を指さした。
「みちこちゃんが二人目なんだよ。友達になってくれてありがとね。それじゃあ、また月曜日に!」
バイバイと手を振って、ひとみは入院明けとは思えないぐらい元気に走って行ってしまった。
せっかくの休みはひとみの友達のことで頭がいっぱいだった。
入院生活でできた唯一の友達──同室の患者だと思いきやその子は入院していないという。そして最初はお見舞いと身の回りのお世話だったと言ったときの歯切れの悪さ。今度紹介すると言っていたけど、ひとみの家の近くに住んでいるのだろうか。
紹介してくれるのならこんなにグルグルと考えなくてもいいじゃないか。頭の片隅でそう思っても一人目の友達のことが気になって仕方ない。
これはおそらく、入院していたから友達はいないと予想……いや、期待していたのにその予想はまったくの外れで、どことなく悔しい気持ちがあるからだろう。期待外れになった経験が乏しいみちこはこの複雑な感情を持て余していた。部屋でじっとすればするほどひとみの最初の友達のことを考えてしまう。
このまま考えていても答えは出ない。みちこは気分転換するためにお気に入りのバッグを持って買い物に行くことにした。目的は誰もが羨むような服だ。数日前、ちょっと値段の張った新しい服を着て登校してきた友達の自慢話に刺激を受けたのだ。裕福な家ではないから高級品は買えないけど、百円でも高い服を買いたい。みちこは早々にひとみの最初の友達のことを頭から追い出して外出した。
「あ」
思わず出てしまった声に気が付いて口を押える。向こうにはバレていなかったようで、こちらに気付く様子はまったくない。
みちこの視線の先にはひとみがいた。そしてもう一人。ひとみより少しだけ高い背。顔は見えないけど、きっとあの人がひとみが言っていた一人目の友達だろう。
いつもは遠慮して入らない格式の高いお店に、まさかひとみがいるなんて思わなかった。どうも彼女はみちこの想像を超えてくる。まるで未知の生き物を観察するように、みちこは試着室に身を隠しながら様子をうかがった。
ひとみは笑顔で隣の人物と話している。頬を染めて、興奮した様子でワンピースを手に取っている。遠目からでも嬉しそうな様子が伝わってくる。
「ほら、試着室」
声と同時に二人が振り返る。
まずい!
慌てて試着室に頭を引っ込めようとしたが、「あれ? みちこちゃんだ」とひとみの声が聞こえてみちこは降参したようにから笑いをした。
「みちこちゃん! 偶然だね!」
「う、うん。そうだね。ひとみちゃんも服を買いに来たの?」
「うん! せっかく学校に行けるようになったんだし、今まで着れなかった好きな服買おうと思ってね。ところでなんで顔だけ出してるの?」
「あー、えっと、さっきまで試着しててね。服は元の場所に戻したんだけど、試着室の中にバッグ忘れちゃったんだ。そしたら聞き覚えがある声が聞こえてきて」
「ああ、それで顔だけ出して探してたんだ。ふふふ、みちこちゃんおもしろーい」
「そうそう。店の中見渡してたらひとみちゃんがいてびっくりしたよ~」
下手な言い訳だったけど、ひとみは疑うことなく信じてくれた。普通に考えたらバッグを取るのにカーテンを閉める必要はないし、顔を出して店内を見るなんて行動が怪しすぎる。
「あら、こんちには。ひとみの友達?」
いくつか服を抱えてやってきたのは先ほどまでひとみと仲良さげに話していた女性だった。後ろ姿では同年代、もしくは少し上かと思っていたが、バッチリ決めた化粧は大人の女性のものだった。
「前に話したみちこちゃんだよ」
「こんにちは。ええと……ひとみちゃんのお母さんですか?」
「ええそうよ。ひとみと友達になってくれてありがとうね。これで私もお役御免かしら」
「もー何言ってんの! ずっと”友達”でいてくれるって言ったじゃない!」
「え」
友達──もしかして……。
「ひとみちゃん」
「あ、ごめんねみちこちゃん。こんな形で紹介することになっちゃって」
「ひとみの友達兼お母さんよ。よろしくねみちこちゃん。今度家に遊びに来てちょうだい」
ひとみの一人目の友達。それはひとみの母親のことだった。なんとも呆気ない真相に体の力が抜けて座り込む。
「わっ、みちこちゃん大丈夫?」
「あ……うん。立ちっぱなしでちょっと疲れただけだから」
ひとみもしゃがみ、みちこの視線に合わせる。至近距離で見たひとみの顔は、いたずらが成功したのが嬉しいのか意地の悪い表情をしていた。
「こら。行儀が悪いわよ」
ひとみは母親の言葉を聞いてゆっくりと立ち上がる。
「ねえ、みちこちゃん。これから時間ある? せっかく会ったんだし遊ぼうよ」
ひとみが手を差し伸べる。
みちこは頷いてその手を取った。
ああ、悔しいな。わたしだっていたずらしてみたい。
みちこの顔も先ほどのひとみと同じ表情をしていた。
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