ハミングバード

1/3
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
風に乗って届けられた歌声。青い鳥がさえずる。耳に、心に、スーッと入ってくるあの人の音色だった。 ◇◇ 「じゃあ、行くね」 僕たちは今日、離れ離れになる。彼女は夢を叶える為に上京する事を決めた。発車のベルがホームに鳴り響く。一枚の扉が閉まる音。それに溶ける様に届いた言葉。 〝すき〟 顔を上げると、四角い窓の向こうには涙を滲ませながら微笑む彼女。大丈夫だよ、僕たちならきっと大丈夫。 走り去っていく新幹線に向けて、 〝僕もすき〟 と返事を返した。 この時の僕には、この先の未来なんて見えていなかった。突き抜けるほどの紺碧の空が、目の前には広がっていたから。果てしないぐらいに、高く、遠く。   僕たちは遠距離恋愛でも、毎日メールして電話もして上手くいっていた様に思う。彼女の夢は歌手だった。バイトしながら路上ライブや、小さなライブハウスで歌声を響かせていた。心安らぐ、癒しの歌声。小鳥のさえずりの様な、耳に優しい余韻を残す歌声。 僕は彼女の歌声が大好きだった。電話越しに聴こえてくるメロディー。会えなくても寂しさを埋めてくれたのは、彼女の声色が聴けたから。 彼女が上京してから半年。忙しいのか、連絡が取れなくなっていた。大丈夫だろうか。ちゃんとご飯を食べているだろうか。メールも電話も出来ないぐらい、忙しいのだろうか。でもそれは、彼女の夢が近付いているという事。嬉しく思わないといけない。 溜め息を吐きながら、部屋の窓を開けた。生温かい風が吹き抜ける。もうすぐ夏が来る。 なずなが好きな季節だ。 「どうして夏が好きなの?」 「だって、楽しい事たくさんあるじゃん?プールとか花火とか」 「そうだけど、暑さはやっぱり嫌だな」 「暑いからこれも美味しんだよ」 なずなはビニール袋から棒アイスを2本出した。それを袋ごと僕の頬に当てた。イタズラな瞳で笑いながら。 「うわ!冷た!」 「はい、食べよ」 僕たちは寝苦しくなる様な夜風の中、並んでアイスを頬張った。「アイスは喉の奥を冷やすから、いい声が出るんだよ」と彼女は言っていた気がする。 あの日の事を思い出しながら、なずなが好きだったバニラアイスを口に放り込んだ。真っ白な甘さが口いっぱいに広がると、目の前に可愛い笑顔が咲いた。 なずなに会いたい、そう思いながら見上げた星空。この夜空は彼女と繋がっている。たとえ離れていても、同じ景色を見ていて欲しい。 それから数日経っても、彼女からの連絡は無かった。何があったのだろうか。ここまで連絡がないのはおかしい。スマホを握り、通話ボタンを押す人差し指が震えた。最悪な事が脳裏を掠めて、深い溜め息が出て来そうになる。 まさか、他に男が出来たとか? 彼女は僕と別れたいのかもしれない。 窓を開けると、暑くなった夜風が額と頬を通り過ぎる。その向こうの夏空を見上げると、青い何かがこちらに向かって飛んでくる。黒い空を横切る青。窓辺に止まった鳥。 青い鳥だ。その美しい彩りの鳥は〝ハチドリ〟=〝ハミングバード〟だった。 〝♬〜♫〜♪〜〟 鳥がさえずる。その歌声を聴いて心臓が脈打っていく。久しぶりに聴いた声。大好きななずなの声だった。 どうしてこの鳥が、彼女の歌声をさえずるのかは分からない。彼女の歌声をどこかで聴いて覚えたのだろうか。それとも、彼女が届けてくれているのか?私、頑張っているよって教えてくれているのかもしれない。   その鳥は何日かおきにうちに来ては、歌声を響かせてくれた。相変わらず彼女からの連絡はないが、このさえずりを聴くと彼女が頑張っているんだという安心感で満たされた。彼女に会えなくても、それを聴くだけで毎日頑張る事が出来た。でも、彼女の美しい歌声を聴く度に〝好き〟の気持ちが募って苦しくなるだけだった。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!